長井線の実現に奔走した人物を訪ね歩く中で、米澤新聞社様はじめ多くの方のご協力をいただいた。宮内のふるさと資料館さんからは、極めて貴重な資料を提供いただいた。鮎貝村村長・菅四郎兵衛氏と高橋辰二国会議員が親戚関係にあって、長井線の延長に際して協力してもらったらしい、といった秘話も紹介してもらうことができた。お陰様で、長井線建設の後半部分についてはかなり整理することができたように思う。心から感謝したい。
しかしながら、建設当初の段階で誰がどのように動いたのか、という点については未だ不明である。明治30年10月27日の米澤新聞に、「西郡の長井町の有志者また宮内町の有力者と連合し、長井町より今泉を経て宮内町を通過し赤湯停車場に出でんとする計画ありという。」との記事が掲載されている。また長井のひとびと16集あやめ公園ものがたりには、「明治42年国鉄長井線の敷設運動高まる 遠藤安兵衛、工藤太兵衛が中心となり運動を展開」「明治43年国鉄長井線敷設誘致運動のための費用捻出のため現在のあやめ公園の高台下付近の杉林を伐採開墾する」と記されている。長井のあやめ公園建設のきっかけが長井線の誘致にあったというのである。これからまた新しい資料が見つかって、歴史の中に埋もれていた人々に、ライトをあてることができればうれしいと思う。
鉄道建設期が「志士の時代」であれば、鉄路を守ろうとする現代は「諸人の時代」なのかもしれない。それぞれの時代の長井線物語を語り継ぎ、未来に伝えて行きたいものだ。
【新聞記事提供:米沢新聞(明治30年10月27日)】
【参考資料:長井のひとびと16集あやめ公園ものがたり(平成15年3月発行)】