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成田駅の宝物  駅勢概況表

  • 成田駅の宝物  駅勢概況表
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陽に焼けてあちこち剥がれてしまっている概況表。昭和38年4月の日付がある。38豪雪に見舞われた年である。一日の乗客数が昭和36年(1961年)が300人。ウィキペディアでは平成9年(1997年)104人、平成29年(2017年)が50人となっており、調査内容が同じだとすると現在の6倍ほどの利用者がいたことになる。産物は米2121トンの他に繭121トン、ホップ12トン、葉タバコ4トン。繭で121トンとはどれぐらいの容量になるのだろうか。そして八幡神社の祭礼は、10月第1土・日になっている。神社総代長は、明治からの記載のある「宮司の神社日誌」を調べてくださった。それによれば、例大祭は明治22年から昭和22年までが9月15日(旧8月15日)、昭和23年から32年までが10月15日。昭和33年から50年までが10月第1日曜日で、昭和51年から現在までが9月の第2日曜日になったとのこと。剥がれ落ちた箇所にも、面白い情報が隠れていたんだろうなと思う。やはり丁寧に保存しておくことが必要だな、とつくづく思います。

2019.09.29:orada2:コメント(0):[成田駅の宝物]

成田駅の宝物 トロリー線の文鎮

  • 成田駅の宝物 トロリー線の文鎮
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山形鉄道開業記念品としてトロリー線で作られた文鎮です。トロリー線は電車や電気機関車に電気を供給する銅線だそうですが、なぜこれが記念品として配られたのでしょうか。調べてみると昭和50年(1975年)11月に奥羽南線の電化完成記念品として、秋田鉄道管理局長名で制作された同じ形状の文鎮が、現在、オークションに出品予定のようです。山形鉄道の開業は昭和63年(1988年)ですが、当時は「電化するぞ!」と考えていたのか、あるいは奥羽線の記念品が好評だったのか、いろんな想像ができて楽しい宝物です。【長さ:19.5cm  幅:約1cm】

2019.09.20:orada2:コメント(0):[成田駅の宝物]

成田駅の宝物  電球箱とチューインガム

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「電球 取扱注意」と書かれた木製箱。蓋の裏側には「今泉電力分区行」とあり、これも通い箱として使用されたものだろうか。さらに、「米沢電気支区」に書き替えられているように見えるが、残念ながら年代を特定することはできない。箱の内側にはチューインガムのポスターが貼られていた。菓子メーカー・ロッテのHPによると、1916年(大正5年)にチューインガムが日本に上陸し、ロッテの創立は1948年(昭和23年)とのこと。ガムのポイ捨て禁止がポスターになるのは、高度成長期の頃であろうか。

2019.09.18:orada2:コメント(0):[成田駅の宝物]

成田駅の宝物 出納通い袋

  • 成田駅の宝物 出納通い袋
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「収支総計日報入」と書かれた袋。「長井駅行」「羽前成田駅行」と書かれた宛名紙を差し込むようになっており、成田駅から長井駅の間を行き来していたようだ。その袋書きにあるように毎日発送されたのか。長井駅には出納役という職務の職員がいたのか。この袋には現金は入らないだろうな、とか色んな疑問が浮かんでくる。今であればメールでやりとりできるのだが。

2019.09.13:orada2:コメント(0):[成田駅の宝物]

成田駅の宝物 お手製封筒

  • 成田駅の宝物 お手製封筒
  • 成田駅の宝物 お手製封筒

以前、ゴミの減量のために、封筒の再利用運動が行われたことがありました。しかし、この封筒を見ると、不要になった事務用紙で封筒を作っていたようです。「昭和39年11月分 乗車券簿」の記載があります。なんと、東京オリンピックの年です。差出部署は不明ですが、新潟管理局内の部署でないかと思われます。日本がオリンピックを迎えて、イケイケドンドンと盛り上がっていた社会の裏側で、封筒を糊付けしている日本人がいたんですね。やっぱりこれもお宝ですね。

2019.09.11:orada2:コメント(0):[成田駅の宝物]