写真は昭和60年に開催された「長井線を守ろうカラオケ大会」と平成元年10月25日に「フラワー長井線として開業」された時の様子です。あれから30年が経ち、公民館のカラオケ大会も継続している。もちろん長井線も頑張って走っている。ふと、本当に伝えたいもの、残したいものは何だろうか、と思う時がある。
【写真の出展:『写真で見る致芳のあゆみ』 致芳地区文化振興会平成14年11月発行】
戦中、戦後の混乱を経て、日本の国は昭和39年の東京オリンピックから高度経済成長へと進んで行きます。この時期に、蒸気機関車はディーゼルカーとなりました。「さよならSL ご苦労様キューロク」の陰で、昭和43年には長井線存続期成同盟会が発足していました。
写真は、「成田駅の停車場に止まった蒸気機関車 (昭和40年撮影)」 と「長井線さよならSLと成田駅 蒸気機関車はなくなりディーゼルカーとなる (昭和47年撮影)」 なお、長井線を走ったキューロクは、現在、北九州市「九州鉄道記念館」に展示されているとのこと。
【出展:『写真で見る致芳のあゆみ』 致芳地区文化振興会平成14年11月発行】
『停車場の記憶』と題して、羽前成田駅に関する写真を順次紹介していきます。駅正面の車寄せの所で撮られた写真には、「昭和12年 日支事変が勃発、多くの兵士が成田駅から出発した。成田駅前の壮行式」とのキャプション。 ホーム側から撮られたと思われる写真には、「成田駅の出兵兵士見送り。」とあります。
この前夜には、家族や親族だけでの別れの宴があったろうと思います。また、見送る人々の顔を追いながら、召集地に向う車中での胸中は如何なものであったろうか。太平洋戦争の際には、徴用工として、名古屋の軍事工場で働きに出かけて行ったという話も聞きました。停車場は、最も大事な人々との、最後の別れを強いる場所だったのかもしれません。
【出展:『写真で見る致芳のあゆみ』 致芳地区文化振興会平成14年11月発行】