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地名考 中ノ倉山と御林下

  • 地名考 中ノ倉山と御林下
  • 地名考 中ノ倉山と御林下

小岩沢地区の字中ノ倉山と山の麓が字御林下(オハヤシシタ)です。

 

御林は江戸時代、米沢藩の官林のことで、御林に取立てられると山年貢その他税負担を免除されますが、その山では草を刈ることも出来ません。

江戸時代は草葉を使った刈敷(カリシキ)※に頼って田畑を耕作していたので困ることになります。

 

米沢藩は山を単なる木材の供給地とするだけでなく、水林や保安林として重要視していました。

「御林集」という藩の台帳によれば、南陽市に関係ある御林は53カ所あり、中ノ倉は雑木立と書かれていますので保安林として管理されていました。

 

さて中ノ倉の地名ですが、小岩沢地区には「倉」がつく字名が一ノ倉山、柴倉山、免古倉とありいずれも山で急傾斜地です。

盆地の中にある倉(山)で中ノ倉になったと考えます。

 

※刈った草葉を地中に埋めて発酵させた肥料

 

参考:南陽市中巻

2022.03.03:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

地名考 小屋場

  • 地名考 小屋場

川樋と金山との境にある字小屋場です。

 

明暦3年(1626)12月に米沢藩は北条郷(現南陽市一帯)において大鳥狩を催しました。

南陽市史中巻より引用

「藩主網勝は、22日午後4時頃、中條・平林両奉行以下を供に赤湯御殿に到着した。雪路なので雪舟(そり)に乗ってきたという。

翌23日は明け六ツ(午前6時頃)に御殿を出立、「御小屋場」に向った。御小屋場は「宮内村之内石切場」とある。「御狩場之図」で見ると川樋村と金山村の間あたりらしい。その辺で石を切り出していたのであろう。」

 

コヤがつく地名は荒野の新開地が多いのですが、石切りに鍛冶小屋は必ず附属していますので、そこから名付けられたのでしょうか。

 

字小屋場の近くには砥石沢鉱山(金山地区)があり、字鍛治屋敷もあります。

2022.02.21:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

地名考 寺浦と稲葉山

  • 地名考 寺浦と稲葉山
  • 地名考 寺浦と稲葉山

川樋地区にある字寺浦(画像1)と稲葉山(画像2)です。

 

寺浦は松林寺の裏側にあることから名付けられました。寺裏とも書きます。

以前は水田が広がっていました。

お米の生産調整が始まるまでは、水があればどんな山の奥でも田んぼにして、お米を作っていました。

小さい田んぼだと6畳くらいの大きさしかなかったと教えていただきました。

川樋字吉蔵田も山の中にあるのですが、国土地理院HPの空中写真を見ると田んぼが確認できます。

 

稲葉は稲の干場のことです。

南向きで日当たりが良いことから、寺浦の田の稲を稲葉山麓の道沿いに干していたことから名付けられました。

2022.02.15:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

花窪坂の記念碑

  • 花窪坂の記念碑
  • 花窪坂の記念碑

元中山地区の幹線道路である県道は、大正2年(1913)と昭和9年(1934)に花窪坂の掘り下げ工事が行われています。

また、昭和58年頃より県道原中川停車場線の拡幅工事が行われ、平成9年に花窪地内までの工事が完成しました。

 

画像は大正時代に行われた道路改修の記念碑です。

(以前撮影したものです)

正面に「記念碑」、

側面に「大正二年九月為道路堀下工事記念」(下と工は異体字)

「大正三年七月建設之」と刻まれ、下部に發起人6名の名前も見られます。

 

大きな立派な石碑ですので、当時の人々の道路改修を喜ぶ思いが窺えます。

 

参考:ふるさと中川

2022.02.10:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

地名考 花窪

  • 地名考 花窪
  • 地名考 花窪

元中山地区の花窪の地名が出て来る最も古い文書は元禄9年(1696)宮内の蓮蔵院文書です。

 

中山村内、花窪稲初尾取集に付

本寺、従大佛頂院、北條郷之内都合三拾ケ村と貴院江御奉書被下置候ニ付而、中山村之内花窪も貴院江稲初穂尾取集可被成候 (以下略)

 

簡単に略すと

「中山村のうち花窪の稲初穂※は貴院のです」という証文です。

 

花窪の地名ですが、ハナ(花=鼻・端)は山から突き出た半島のような地形の様子を表します。

(画像1は下流側の諏訪原から見た花窪の風景)

クボ(窪・久保)は開けた場所に使われる場合が多く、沢によって土砂が堆積した地形に因む地名のようです。

窪地は水が溜まる水田適地なので、県内各地にクボがつく地名があります。

 

※稲初穂は、修験寺院が五穀成就のため、稲の刈りはじめを一軒に一束ずつ集める習わし

 

引用:南陽市史編集資料 第7号

参考:地名のなぞを探る~やまがた~ 木村正太郎著

   やまがた地名伝説 山形新聞社

2022.02.10:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]