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どうなる?「いのちと健康」(中)…強引な行政主導と泡沫(うたかた)の夢!!??

  • どうなる?「いのちと健康」(中)…強引な行政主導と泡沫(うたかた)の夢!!??

 

 「総合花巻病院の移転整備に向けた検討が始まっています」(平成27年11月15日発行)―。足掛け10年ほども前の「広報はなまき」の1面にこんな大見出しがおどった。「移転整備検討委員会」(13人)の筆頭には上田東一市長の名前も。次号(12月1日発行)には1面と2面のぶち抜きで、完成イメージ図付きの「移転整備基本構想(案)」(以下「旧構想案」)がでかでかと載った。寝耳に水の市民や議員の間には「病院移転の既成事実化がねらいではないのか」という批判が巻き起こった。上田“迷走劇”はこうして、始まった。

 

 旧構想案(平成27年11月策定)は「(病院側の)施設の老朽化が進んでいることから、厚生病院跡地への建て替えを検討している」とした上で、高らかにこう謳っていた。「新病院や高等看護専門学校、認可保育所などの複合的機能の展開により、移転地において年間80万人が行き交うにぎわいを創出。市中心部における地域活性化につなげていきます」―。総事業費は約99億円で、うち当市への補助金要請は約30億円。過去最大級のこの公金支出をめぐって、市民の意見は二分された。

 

 「病院側からの要請なのか、それとも行政主導なのか」―。このプロジェクトの是非をめぐる論争のさ中、旧構想案が公表された直後の議員説明会で病院側から突然、“爆弾発言”が飛び出した。「移転整備の打診は市側からあった。こうした打診がなかったら、現在地で医療業務を続ける予定だった。お膳立ては全部、行政側が用意した。病院としてそれに乗っただけだ」―

 

 取材を進めるうちに病院側ではすでに、病棟の耐震工事や地下水利用工事、電子カルテなど各種システム改善、非常用発電設備の設置などの長寿命化に備えた準備を進めていたことが分かつた。さらに、前市政時代の平成22年度には耐震化補助金として2,100万円を支出していた。こうした各種補助金の返還免除という“禁じ手”まで駆使した「移転・新築」構想は早くも1年余りで座礁に乗り上げた。資金繰りが追い付かなかったためである。 

 

 当初の旧構想案に変わって、登場したのが「移転新築整備基本構想」(平成28年12月策定=以下「新構想案」)である。「どうなる?(上)」で詳述したように、新構想案では総事業費が約86億9千万円に圧縮され、制度補助金の負担分を含めた市側の補助金も19億7500万円に減額された。その結果、「80万人」の交流人口の創出は泡沫の夢と消え、医療の生命線である診療科目も小児科や皮膚科、眼科などの開設が見送られた。さらに、呼び物だった多目的ホール(234席)やオーガニックレストランの設置も計画倒れに終わった。“助産所”事件と呼ばれる出来事があった。 

 

 「助産所は2階建て(延べ154平方メートル)で1日2人の利用者に対し、産婦人科医や助産師など5人が対応に当たる」―。旧構想案でこう明記されていた記述が新構想案ではそっくり削除され、こう書き替えられた。「将来的に産婦人科医師や助産師の体制が整った際には出産の受け入れを検討する。それまでは助産師外来を開設し、出産前後の妊婦指導を行えるようにし、同時に産後ケア施設の開設も検討する」―。新病院のオープンから丸4年。上記の“公約”はすべて反故(ほご)にされ、「出産」受難は解消されないまま、現在に至っている。

 

 「一方では医師の確保は大変、至難のわざでございます」(平成27年3月定例会会議録)―。病院の「移転・新築」問題に当初から携わった当時の佐々木忍健康福祉部長(のちに副市長、その後退職)は在任中、こう言い続けた。「仏作って、魂入れず:」…今回の財政支援の要因は元を正せば、「魂(医療本体)より仏(ハコモノ)」を優先させた上田市政の強引な政治手法に起因すると言わざるを得ない。22日開催の市議会臨時会で上田市長は今回の事態の責任をすべて、病院側に転嫁(てんか)する発言を繰り返した。果たして、そうなのか。胸に手を当てて考えてほしいと思う。思い当たるフシがあるのではないか。

 

 

 

(写真は総合花巻病院の受付ロビー。財政支援のニュースに不安を訴える人も=花巻市御田屋町で)

 

 

 

《追記》~議員説明会が非公開に!?

 

 総合花巻病院に対する財政支援を審議する臨時会に先立ち、22日午前9時から議員説明会が開催されたことが25日付市HPで告知された。「本説明会は非公開のため、説明資料及び会議録は掲載しません」とあった。よほど、市民に知られたくないことでもあるのか。それにしても、選挙を通じて市民の負託を受けたはずの市議会側に“かん口令”を敷くとは。こんな”秘密主義”に抗議をしない議会も議会。あるベテラン議員がポロリともらした。「まるで、”ガス抜き”みたいな雰囲気だった」。2024年3月22日ー相互に監視し合うという「二元代表制」はここに死した。自らの使命を放棄したという意味では、ともに「自死」である。

 

 

 

 

 

 

どうなる?「いのちと健康」(上)…総合花巻病院に巨額の財政支援~「財政民主主義」が破綻の危機に!!??

  • どうなる?「いのちと健康」(上)…総合花巻病院に巨額の財政支援~「財政民主主義」が破綻の危機に!!??

 

 花巻市議会の臨時会が22日開かれ、公益財団法人「総合花巻病院」(大島俊克理事長)に対し、総額5億円の補助金を支出する補正予算案が上程された。さらに、同病院に対して抵当権を設定している金融団が総額6億円の債権放棄に踏み切ることも明らかになった(22日付市HP参照)。関係者によると、同病院は2年連続で債務超過に陥り、今年度末には9億7000万円に達する見込みだという。議員側からは病院側の経営状況や今後の見通しなどについての質問が出たが、「市民の病院」としての位置づけを優先させるべきだとして、財政支援の予算案は全会一致で可決された。

 

 上田東一市長は質疑の中で「2期連続で純資産額が300万円未満になると、自動的に『公益財団』としての資格が消滅する。その期限が年度末に迫っており、今回はそれを回避するための緊急的な措置。この種の支援はこれを最後にしたい。そのためにも病院側には理事会の構成の見直しや経営改革を求めていきたい。将来、市立病院化する考えはない」と答弁。病院側が本年中をメドに「財団法人」から(300万円の縛りがない)「社団法人」への機構改革を検討していることを明らかにした。

 

 同病院が現在地にオープンしたのは2020(令和2)年3月2日。当時の病院側の「移転新築基本構想」(平成28年12月)によると、総工費は86億9千万円で、うち市側の補助金は19億7500万円。この内訳は市単独補助が12億円で、残りの7億7500万円は国の制度利用に伴う市負担分となっている。また、病院側の自己資金はわずかに1億円で、金融団からの借入金が30億3千万にのぼっている。つまり、自己資金をほとんど持たないまま、多額の借金に頼りながらの多難な“船出”(見切り発車)だったことがこの数字からも分かる。これにコロナ禍などが追い打ちをかけ、経営を直撃する形になった。

 

 一方、「公益財団法人」である病院側の管理執行体制は10人以内で構成する「理事会」が担っている。「市民に開かれた病院」を目指すとして、この中には医療福祉関係の有識者や行政関係者も含まれ、当市の副市長(当時)もオープン前の2019(令和元年)10月から理事職にあり、現在は八重樫和彦副市長がその職を継いでいる。

 

 直近の登記簿謄本(土地、建物)によると、金融団(4行)はオープン1年後の2021(令和3)年3月29日付で同病院に対し、総額75億円にのぼる抵当権を設定。その債権額は当初の借入額の2倍以上に達している。このことからも“綱渡り”を覚悟の上で、厳しい運営を続けてきたことがうかがわれる。この間、八重樫副市長は「理事」として、その経営状況などを知る立場にあり、片や経営改善などにも関与しなければならない立ち位置に置かれていたことになる。こうした“二足のわらじ”の功罪も改めて問われなければならない。この点について、上田市長は「お目付け役としての役割を期待したが、十分に果たせたとは思っていない」として、今後の対応に含みを持たせた。

 

 ところで、私が今回の臨時会の招集を知ったのは前日の21日夕に掲載されたHP上の告知だった。十分な審議の余地を与えないという「上田流」議会運営の常とう手段だが、巨額な公金つまり税金に関わる案件が安易な形で「いのちと健康」という大義名分と引き換えに、まるでそのことを”隠れ蓑”(みの)にしたかのようなやり方に危惧を抱いた。多くの市民も不信感を募らせており、議会中継を観たある市民はさっそく、X(旧ツイッタ‐)に書き込んだ。「市民の皆さん、花巻病院の案件で議会のライブ中継が始まっています。すごい内容になっています。病院の経営状態に無関心ではいられない内容です」。また、別の市民は「税金の“私物化”ではないか」と切って捨てた。その一方で、当事者であるベテラン議員は「議会の当日にいきなり、議案が提出されても精査する時間すらない」と不満をぶちまけた。

 

 上田市政の市民不在と議会軽視は今に始まったことではない。当該病院の「移転・新築」構想が公になったのは約10年前の「広報はなまき」の一方的な告知記事だった。また、住宅付き図書館の「駅前立地」構想が突然、青天の霹靂(へきれき)のように降ってわいたのは記憶に新しい。「駅前か病院跡地か」という立地論争が続く中、市側が新たにJR用地の取得を強行しようとする姿勢にも「これこそが税金の二重払い〈無駄遣い〉ではないのか」という市民の批判が高まっている。

 

 私たちの生活を支える財源のほとんどは税金である。だからこそ、審議を十分に尽くした上で、議会の議決を得ることが「財政民主主義」(憲法第83条)の基本なのである。上田市長は事あるごとに「税金の無駄使いは許されない」と繰り返してきた。この言葉を今こそ、おのれに問い返してほしいと思う。上田“迷走劇”の実態については随時、報告したい。

 

 

 

 

(写真はオープンから丸4年を迎えた総合花巻病院=花巻市御田屋町で)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「住民投票」論戦も…新図書館の立地場所をめぐる意見集約に関心~そして、思わず、パシャ!?

  • 「住民投票」論戦も…新図書館の立地場所をめぐる意見集約に関心~そして、思わず、パシャ!?

 

 「駅前か病院跡地か」―。新花巻図書館の立地論争で揺れる中、14日開催の市議会3月定例会の予算特別委員会で、内舘桂議員(はなまき市民クラブ)が「市民の意見が二分されている情勢の中、意見集約の方法として、住民投票も有効ではないか」とただした。これに対し、上田東一市長は「多数決が必ずしも民意を正しく反映するとは限らない。議会できちんと議論していただくのがよい」としたうえで、「最近、若者グループが行った高校生を対象としたアンケートでは駅前を希望する声が圧倒的に多かった」と答弁した。

 

 立地場所については「病院跡地」を希望する市民団体が昨年11月27日、市内だけではなく賢治愛好家なども含めた全国からの賛成署名4,730筆を上田市長宛てに提出、署名活動は現在も続けられている。答弁の中で上田市長が「駅前立地に誘導しかねない発言」をしたことは行政運営の観点からも公平性を欠いていると言わざるを得ない。さらに、立地候補地の「事業費比較調査」について、羽山るみ子議員(同)が「10月には結果が出る。その際の意見集約はどのような方法を考えているのか」とただしたのに対し、梅原奈美生涯学習課長(新花巻図書館計画室長)は「いま検討中であり、固まった段階で市民に公表したい」と答えるにとどまった。

 

 住民投票の方法にはいくつかあるが、一般的には具体的な市政課題の是非を問うための「条例」制定を求めるやり方が多い。この場合、有効署名数が有権者の50分の1を超えれば、首長に制定を直接請求することができる。ちなみに、当市の2022年7月24日施行の市議選時の有権者数は79,515人だから、そのラインは1,590人となる。図書館をめぐる問題で住民投票条例の制定を求める、東京都狛江市の市民運動の例を以下に紹介する。

 

 

 

 

 東京都狛江市の新図書館整備計画に反対する市民団体「こまえ図書館住民投票の会」は13日、計画の是非を問う住民投票条例制定を求める4264人分の署名簿を市選挙管理委員会に提出した。署名活動は2月9日~今月9日に実施。有効署名数が有権者の50分の1(1393人)を上回れば、同会は市長に条例制定を直接請求する。市選管は4月2日までに審査する。

 

 中央図書館は1977年開館の市民センター内にあり、建物が老朽化したことから市は新図書館と市民センターの整備を計画。市民センターの約300メートル南東に新図書館を建設し、現在の場所で建て替える市民センター内に子ども向け図書コーナーを残す方針。これに対し、同会は図書館の一体的な整備を求めている(3月15日付「東京新聞」電子版)

 

 

 

 

(写真は住民投票に否定的な意見を述べる上田市長=3月14日、花巻市議会議場で、インターネット中継の画面から)

 

 

 

<参 考 資 料=狛江市の取り組み>

 

住民投票条例を作らせるための署名集めにご協力を!

 

 

*住民投票は市長や市議会に市民の意見が反映されない時に、市民の意見を直接聞くための機会です。地方自治法という法律で認められています。

*今回行う住民投票は図書館のあり方について、「市の計画する図書館分割・移転」が良いか、「分割せず現在の場所で拡充する」のが良いか市民の意見を聞くというものです。

*住民投票を行うためには、狛江市に住民投票条例を作らせなければなりません。そのために住民投票条例を作れという市民の署名が有権者の50分の1(約1,400人分)以上必要です。

*署名は制定請求の代表者か、その委任を受けた受任者(サポーター)が 直接面談して、自筆で署名 してもらう必要があります。たくさん署名を集めるには、大勢の方に受任者になって署名を手伝っていただきたいのです。

*受任者は、狛江市内に住んでいる有権者(18歳以上)なら誰でもなれます。ただ、市の職員、都職員、国家公務員、公立学校の教員、教育委員は受任者になれません。非常勤職員、議員はなれます。

*受任者になって家族の分、お知り合いの分だけでも集めていただけると、大勢の署名を集めることができます。

*受任者になっていただくと、署名開始時に請求者署名簿という冊子をお届けします。1冊10人書ける署名用紙が付いています。1冊目がいっぱいになったら、新しい署名簿をお届けします。10人埋まらなくとも構いませんので、終了次第事務局に連絡ください。

*署名期間は 2024年3月9日(土)まで。みなさまのご協力をお願いいたします。

*受任者になってもよいという方は、事務局まで氏名、住所、連絡先をお知らせください。詳しい署名の集め方の資料をすぐにお届けします。

 

 

 

《追記ー1》~京都府福知山市でも

 

 京都府福知山市が計画している新しい文化ホールの建設について、見直しを求める市民らが、住民投票条例の直接請求に向けて集めた署名を12日、市選挙管理委員会に提出した。署名を集めたのは「新文化ホールを見直す会」。8日までの1カ月で市内の有権者8286人の署名を集め、請求に必要な市の有権者数の50分の1(1250人)を超えたとしている。提出後、共同代表の1人、三谷義臣さんは「市民に情報が届いていない。説明すると、『えーっ』ということが多い。市は市民の声を正確に把握するべきだ」と話した。

 

 市が昨年7月に策定した「新文化ホール基本計画」によると、建設地は現ホールがある市厚生会館を取り壊した跡地。座席数は現在の約1千席から「600席以上」に。建設工事費は45億~50億円と見込む。これに対し、見直す会は座席が大幅に減る▽建設工事費が高額▽駐車台数が30~40台しか確保できない、などと問題視し、見直しを求めている。

 

 地方自治法によると、市選管は20日以内に署名を審査後、7日間署名簿を縦覧できるようにする。有効署名数が直接請求の必要数を上回れば、請求者は住民投票条例の制定を市長に直接請求できる。市長は意見を付けて議会に提案し、議決を求める(3月13日付「朝日新聞」)

 

 

 

 

《追記ー2》~狛江からの連帯のメッセージ

 

 「こまえ図書館住民投票の会」の投票呼びかけ人のひとりで、国際ジャーナリストの伊藤千尋さんから以下のようなメッセージが届いた。世界中を股にかける伊藤さんの眼に映った“図書館物語”に感動した。以下に紹介させていただく(コメント欄にこの日の街頭署名活動のひとこまを掲載)

 

 「図書館は僕も取材テーマの一つです。サンフランシスコ中央図書館という世界的に素晴らしい図書館を取材したのがきっかけでした。何が素晴らしいかと言うと、古くなった図書館を市が建て替えようとしたときに、おばあちゃんが『どうせ建てるなら本当にすばらしいものにしよう』と声を上げました。自分は貧しくて親がけんかばかりする家庭に生まれ、学校で虐(いじ)めを受け、結婚にも失敗し、自殺を図ろうとした。そのとき私を助けてくれたのは1冊の絵本だった・・・という話をしました」

 

 「それに感動した市民が住民運動に乗り出して、募金40億円を集めたのです。ほかにもイタリアはボローニャの図書館は、いつまでもここにいたいと思うようなものでした。国内では高知県梼原町に隈研吾が設計した本当に『森の中にいるような』図書館があります。本屋さんが次々に消えている今、知的生産の場であり住民交流の中核である図書館こそが、充実されなければならないと考えています。イーハトーブ図書館、いいですね。ご健闘を祈ります」

 

 

《追記ー3》~「六分の一」という壁

 

 「花巻市まちづくり基本条例」(平成20年制定)は住民投票の手法のひとつとして、次のように規定している。「住民のうち年齢満18年以上の者は、その総数の6分の1以上の者の連署をもって、市長に対して住民投票の実施を請求することができます」(第25条)。当市の2022年7月24日施行の市議選時の有権者数79,515人で積算すると、その数は13,253人。他の自治体に比べてもこのハードルは高い方で、市民参画を声高に口にするにしては、“門前払い”の陰もちらつく。

 

 

 

危うい“人道”感覚…ガザへの支援に否定的~イーハトーブ応援寄付金!?

  • 危うい“人道”感覚…ガザへの支援に否定的~イーハトーブ応援寄付金!?

 

 「(イスラエルとガザとの間には)いろいろ問題があるので、(ふるさと納税による)支援は考えていない」―。花巻市議会3月定例会の予算特別委員会は14日、3日間の日程が終わった。お願い事やご用聞きレベルの質問に終始した中で、佐々木精市議員(公明党)は国際的な人道支援のあり方をただした。これに対し、定住推進課の畠山夕子課長は冒頭のように答弁。追い打ちの質問がありやと思いきや、尻切れトンボに。強い違和感を覚えた私は改めてその真意を問うて、二度びっくりした。

 

 「ウクライナでの紛争では民間人を含めた犠牲者や、多くの方々が国外への避難を余儀なくされるなど、深刻な人道的危機に直面しています。そこで花巻市では、ふるさと納税を通じて緊急人道支援のための寄附を募ります」―。イーハトーブ花巻応援寄付金(ふるさと納税)を利用した人道支援は令和3年3月に始まり、令和7年2月まで募金の窓口を設けている。佐々木議員はこのウクライナ支援を引き合いに出しながら、「(パレスチナの)ガザ地区も大変な状況になっている。同じような支援は考えていないか」とただした。

 

 「人道に差があってはならない」と私は畠山課長に尋ねた。「イスラエルと(イスラム原理主義組織「ハマス」が実効支配する)ガザの間には歴史的に複雑な背景があり、ウクライナとロシアの関係とは根本的に違う」と答えた。当市は日本赤十字社を通じた「イスラエル・ガザ人道危機救援金」(令和5年10月~同6年9月)をHP上で呼びかけている。さらに、花巻市議会は昨年12月定例会で「パレスチナ自治区ガザ地区における即時かつ持続的な人道的休戦を求める決議」を採択している。この点をさらに問うと、畠山課長は「ガザの支援を呼びかけるHPの広報を失念していた。人道支援のあり方についての判断が未熟だったと反省している」と話した。

 

 イスラエル軍による攻撃が続くガザ地区では、これまでの死者が3万人に迫っている。国連によると、住民の4分の1にあたる57万人余りが飢餓の一歩手前の状態に直面している。当市のふるさと納税の寄付額は令和5年度末で、90億円の巨額に達すると見込まれている。いまこそ、「イーハトーブ」(宮沢賢治の理想郷)の名を冠したふるさと納税の出番ではないのか。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)―

 

 

 

 

(写真は廃墟の街で支援の手を求める老婦人=インターネット上に公開の写真から)

 

「3・11」から「1・1」へ…メルトダウン(炉心溶融)した政治モラル!!??

  • 「3・11」から「1・1」へ…メルトダウン(炉心溶融)した政治モラル!!??

 

 この日をこんなに怒りに震えながら、迎えたのは初めてである。「天災は忘れた頃にやってくる」と言ったのは物理学者の寺田寅彦だが、年明けに襲いかかった能登半島地震は国政を司(つかさど)るべき為政者たちが東日本大震災など過去の災害の記憶と教訓をきれいさっぱり、忘却の彼方に捨て去ったまさに、その時にねらいを定めるように起きたのではないかとさえ思いたくなった。支援体制の信じられないほどの遅れにイライラしながら、私はある政府高官の無神経は言葉を思い出していた。

 

 「(3・11は)まだ、東北、あっちの方でよかった。首都圏あたりだと莫大、甚大だったと思う」―。震災の6年後、当時の今村雅弘復興相はこう語り、被災者の怒りを買った。派閥の政治資金パーティーの席上での発言だったということも今の状況とピッタリ重なる。半島という地理的条件が支援の遅れを招いたという表向きの話の背後から、こんな声がもれ聞こえてくる。「日本海に突き出た半島だからまだ、よかった」―。発災から2か月半近くがたつ今も、ライフラインの復旧さえ追いついていない惨状の中で、永田町界隈は政治とカネと権力闘争に明け暮れている。“棄民”という言葉が頭をかすめた。

 

 「アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ」―。宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の中にこんな一節がある。受難者に寄り添い、その悲しみを決して忘れてはいけないというメッセージである。こともあろうに、このイーハトーブ(賢治の理想郷)の地を地盤とする二人の国会議員がその戒めに泥を塗るようなスキャンダルを引き起こし、そのモラルの崩壊(モラルハザード)に日本中が騒然となっている(9日付当ブログ参照=二人を神輿に担ぎあげた写真の輩も同罪)。“赤ベンツ不倫”と“口移しチップ“のご仁たちは一体、どんな気持ちでこの日を迎えたのだろうか。この日、挙行された「岩手県東日本大震災津波追悼式」に当然のことながら、この”時の人”の姿はなかった。

 

 午後2時46分―。花巻市内の寺では13年前のこの時刻に合わせ、被災者や支援者が鐘を突きながら、手を合わせた。伊藤ヤスさん(87)の姿もあった。あの日、沿岸被災地の大槌町の自宅はあっという間に津波に飲み込まれ、夫も帰らぬ人となった。その年のうちに当地に移り住んだ。過日、市内の整形外科医でバッタリ会った。「膝が痛くってね。で、あんたは?」。足元が若干、おぼつかなくなって病院を訪れた私にヤスさんはニッコリほほ笑んで言った。「足腰が弱るのは順調に老いてる証拠。いただいた命なんだから、大事に生きなくては…。あんたは私より三歳も若いんだからね」―

 

 珠玉の言葉をもらったような気持になった。「3・11」から「1・1」へ…。生きることの大切さを教えてくれたのは実は“被災者”の側ではなかったのか。私はこの日、84歳の誕生日を迎えた。

 

 

 

 

(写真は鐘をつき、手を合わせる伊藤さん=3月11日午後、花巻市愛宕町の妙円寺で)