久しぶりのそば打ち、練習にと思い、2回ほど行いました。1回は切りやめて捏ねまで、そば食べるには多いので、捏ね終わったのを切らずに取っときました・・仕事のおやつにと薄く切って油で揚げて、フライパンに移し、砂糖まぶして、砂糖味にもう一つ、袋に入れてアジシオ振って、袋フリフリして終了、塩味と砂糖味のそばせんべい・・出来立ては、柔いのですが、冷えたら固いので、差し歯とか歯が弱い人は危険でしたが割と好評でした。
カジカ
一昨日のアルブ助勤で、かなり久しぶりです・・カジカの素揚げ頂きました。職場の釣り好きさんが採ったもの・・このカジカは川の上流域に生息する淡水魚で、大きな"むなびれ"と人面魚みたいな、すこし、あいきょうのある顔つきが特徴、水温が低く、流れの早い水のきれいな瀬で暮らしており、主に水生昆虫を食べるという〃生まれ育った川西町上小松の殿原から数百メートルで犬川があり昭和40年ころまでは、川が水泳場所で、カジカも住んでいてヤスでカジカ捕りをしたものです、昭和40年ころまでは、きれいな川でしたが、日本が高度成長に入り、昭和42年の羽越水害もあり、護岸がコンリートとなったこともあり、あっという間にカジカはいなくなりました、生息に適した環境は減りつつありますが、まだ清い水域の川がある大事にしたいものです。
そば打ち
かなり久しぶりにそば打ちをしました。
田舎暮らししたくて、都会暮らしから40年を経て、田舎に戻り、新規の移住地を見つけた最初が飯豊町中津川でした、そこで近所に別荘として住んでいた方がそば打ち好きで・・そのOさんを師匠として師匠宅で月に一回、そば打ち練習、そしてすぐ近くにある『源流の森』での”そば打ち道場”で練習をかさねて、そば打ち検定なるものを受けて、初段ということになってます・・さらにその上をというところで飯豊の移住地はある事情で米沢市に再移住となり、そば師匠とも疎遠となり随分と経ちました。・・・・・初めは遠く友人が来た時にそばふるまいでそば打ちしてましたが・・なかなか打つのも面倒で時がたちまして、地区の組長任期終了で我が家で飲み会ということになり久しぶりのそば打ちしましたがぁーー、あまりいい出来ではありませんでした。リベンジもう一度ですかね・・定期的にやっておかないと手の感触忘れます
姉の背
出生率が毎年減少していて、今後日本はどうなっていくのと心配になりますねーー、この出生率は「人口1,000人に対する1年間の出生数の割合」を示す数値です、日本においては、毎年10月1日時点の人口をもとに計算されるとあります。
この普通出生率よりも注目される機会が多いのは、「合計特殊出生率」で、「15~49歳の女性人口」をもとに計算されるもの・・・導き出された数値は「1人の女性が生涯を通じて産む子どもの数」となる。私の親世代は昭和戦前生まれ、どこの家庭も子だくさんで5人6人は当たり前の時代、私の母は8人兄弟で、うち2人は生まれて間もなくなく亡くなったということです。7歳までは神の子、医療が行き届かない時代で弱い子はなくなるという時代でした、7歳を過ぎるとようやく落ち着いて、もう大丈夫・・神の子から人になるとして・・7,5,3歳の節目にお祝い事ありました。
そんな、子だくさん故、親は仕事で忙しく、赤ん坊はイチコに入れて動けなくし、目の届く範囲で田んぼの隅に、唐傘射して置いておく・・母の下の子は双子でしたので一人はイチコで動けなくして、一人は姉がおぶって子守していたそうです・・私の母はそんな姉の姿みて、早くおんぶしたいと言ってましたが、まだ小さく・・出来なかったのが残念だったそうです・・お風呂も遊びも姉がしてくれて、まるでお母さんという感覚だったそうです・・・・母は姉が嫁に行くときに、大泣きして・・行かないでと母に頼んだそうです・・昔おばあちゃんに聞いたことがあります・・この世代の子は、兄や姉の背で育っていくのが当たり前、その分兄弟の結びつきはいまよりずっと強かったものでしょうね・・昨日から”なせBA”でART MEET OKITAMAが開催されてます、そこに出した昭和30年代前半までの田園風景一部です
やせ馬に一輪車
昭和の初期生まれの母や父の話を聞くと、戦前はまだ江戸時代さながらの暮らしで、何でも手作りなわけで、背負子はじめ一輪車も自作、そして米つくりでたくさん出てくるわらは、草履やわらじなど生活にかかせないもので藁細工は、農閑期の農家にとって大切な仕事の一つでありました。子供はわらを柔らかくするために木づちでトントンとわらをたたいて、力のあるお父さんがイチコ、わら靴、草履など一年使う分を作るのでした、こうした農家の技や藁の効用が人々の間から忘れられてしまうのはとても寂しいことですよね、コメを作り残ったわらは、牛、馬の寝床となり糞尿の混じったわらは肥料として畑に返す・・草履や藁靴は、最後は燃やして灰になり畑に戻る。自然のサイクルができてましたね・背負子は梯子のような木の枠に、荷物を取り付けて運ぶ運搬具で背に当たる部分の枠には藁縄(わらなわ)を巻いてクッションにしています。枠を背負うための背負縄(せおいなわ)や、荷物を枠にくくりつけるための荷縄(になわ)がありますが、背負縄には布きれを混ぜて肩への当たりを和らげることもありました。地方により名称は様々です。西日本では負子(おいこ)、北陸・九州などでは背板(せいた)、東北では痩馬(やせうま)です。