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姉の背

  • 姉の背

出生率が毎年減少していて、今後日本はどうなっていくのと心配になりますねーー、この出生率は「人口1,000人に対する1年間の出生数の割合」を示す数値です、日本においては、毎年10月1日時点の人口をもとに計算されるとあります。

この普通出生率よりも注目される機会が多いのは、「合計特殊出生率」で、「15~49歳の女性人口」をもとに計算されるもの・・・導き出された数値は「1人の女性が生涯を通じて産む子どもの数」となる。私の親世代は昭和戦前生まれ、どこの家庭も子だくさんで5人6人は当たり前の時代、私の母は8人兄弟で、うち2人は生まれて間もなくなく亡くなったということです。7歳までは神の子、医療が行き届かない時代で弱い子はなくなるという時代でした、7歳を過ぎるとようやく落ち着いて、もう大丈夫・・神の子から人になるとして・・7,5,3歳の節目にお祝い事ありました。

そんな、子だくさん故、親は仕事で忙しく、赤ん坊はイチコに入れて動けなくし、目の届く範囲で田んぼの隅に、唐傘射して置いておく・・母の下の子は双子でしたので一人はイチコで動けなくして、一人は姉がおぶって子守していたそうです・・私の母はそんな姉の姿みて、早くおんぶしたいと言ってましたが、まだ小さく・・出来なかったのが残念だったそうです・・お風呂も遊びも姉がしてくれて、まるでお母さんという感覚だったそうです・・・・母は姉が嫁に行くときに、大泣きして・・行かないでと母に頼んだそうです・・昔おばあちゃんに聞いたことがあります・・この世代の子は、兄や姉の背で育っていくのが当たり前、その分兄弟の結びつきはいまよりずっと強かったものでしょうね・・昨日から”なせBA”でART MEET OKITAMAが開催されてます、そこに出した昭和30年代前半までの田園風景一部です

2024.03.09:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

やせ馬に一輪車

  • やせ馬に一輪車

昭和の初期生まれの母や父の話を聞くと、戦前はまだ江戸時代さながらの暮らしで、何でも手作りなわけで、背負子はじめ一輪車も自作、そして米つくりでたくさん出てくるわらは、草履やわらじなど生活にかかせないもので藁細工は、農閑期の農家にとって大切な仕事の一つでありました。子供はわらを柔らかくするために木づちでトントンとわらをたたいて、力のあるお父さんがイチコ、わら靴、草履など一年使う分を作るのでした、こうした農家の技や藁の効用が人々の間から忘れられてしまうのはとても寂しいことですよね、コメを作り残ったわらは、牛、馬の寝床となり糞尿の混じったわらは肥料として畑に返す・・草履や藁靴は、最後は燃やして灰になり畑に戻る。自然のサイクルができてましたね・背負子は梯子のような木の枠に、荷物を取り付けて運ぶ運搬具で背に当たる部分の枠には藁縄(わらなわ)を巻いてクッションにしています。枠を背負うための背負縄(せおいなわ)や、荷物を枠にくくりつけるための荷縄(になわ)がありますが、背負縄には布きれを混ぜて肩への当たりを和らげることもありました。地方により名称は様々です。西日本では負子(おいこ)、北陸・九州などでは背板(せいた)、東北では痩馬(やせうま)です。

2024.03.06:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

荷馬車

  • 荷馬車

アートミート置賜に向けて作品つくり、昭和30年代前半までの田園風景を作成しました。川西町小松で昭和32年生まれたわたくし、小学校低学年までは昔ながらの生活がありました、近くの小松木材の裏には馬車屋さんが唯一残っていて馬小屋がありました・道路に馬の糞がぽろぽろと落ちてたのを記憶してます。まもなく馬車はなくなりましたが、馬小屋は残っていてその中で幼馴染とよく遊んだものです、小松木材の従業員風呂に入ったり、チップの山に登ったり、藁倉庫の中で勝手に藁積みしたり、もちろん大人に見つかるとしかられてはいましたが、近所の農家で牛、馬を見ることができました・・思い深い荷馬車作りました

2024.03.06:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

自宅前(啓蟄)

  • 自宅前(啓蟄)

今朝の自宅前、白黒世界になりました・・雪から雨へと変わり雪氷がとけ始める頃という意味の「雨水」の次が啓蟄『けいちつ』3月5日から19日となります。冬ごもりをしていた虫たちが土の中から出てくる頃・・という意味、春の気配を感じて、冬ごもりをしていた虫たちが活動を開始する頃を表していますけども、2月は春陽気が続いて、家の前にも全く雪がなかったのに、3月に入り冬に戻っていくような天気が続いてますね・・ここ数日、今日が締め切り期限である最終搬入日『ART MEET OKITAMA』ようやくできました・・絵は手をつければキリがないのでやめました・・今日は搬入にたまっていた資料整理などなどやらなければです。

2024.03.06:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

杭掛け

  • 杭掛け

ART MEET OKITAMA2024に向けての作品つくり、今年は、昭和30年代前半までの田園風景を作成しました。小学校低学年までは昔ながらの生活で稲刈りは手植え、手刈、そして天日干しの杭掛けの風景がみれましたね、牛や馬も農耕用に飼っていたとこもまだ残っていて、田んぼにはタニシからトンボもたくさんいましたが30年代後半から日本は高度成長となり、耕運機や稲刈り機械と急激な変化をみて育ちました。定年を迎え、米沢に移住して数年間、手植えに、杭掛けとお遊びですが友人となった農家さんのとこでやってみましたけど・・なるほど大変な作業でした・・杭を立てる穴を鉄棒で掘る作業、そして、杭立てるて稲を止める横棒を杭にとめる・・苦労がわかりましたね

2024.03.06:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]