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今日の自宅前

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今日の自宅前、ポカポカ天気で玄関から市道まで、すっかり乾いてきました。米沢市内は気温12.5度ラジオで言ってますね、山形市内では厚いコートを脱いだり、自転車に乗ってる人も見受けられてるとのこと・・・・ほんとあったかいです。雪も少なくどんどん消えていくばかりですね・・我が家では、年末に2回ほど除雪機稼働した後は、動かしてません、年末年始と1月末は家開けて、除雪は知人に依頼してましたが、その間2度ほどの除雪で済んだようです・・今日は高気圧が本州付近を覆って晴れですが、天元台は強風で昨日に続きロープウエイ運休となりました・・昨日と、今日は天元台でスキー予定も昨日は米沢スキー場に変更してスキーへ、今日はスキーやめて自宅でお絵描きです。

2024.02.14:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

-15℃の世界(天元台第三リフト)

  • -15℃の世界(天元台第三リフト)

天元台高原第三リフト(つがもりゲレンデ)はコメツガやオオシラビソなどの大原生林の中をリフトが通り、標高1640mから1820mまで登ります。

この時期、気温-10℃から時に-15℃の世界です、例年より今年は気温高いですが、ここは寒いです。降りて西壁からの圧雪ゲレンデ、奥の東壁はピステをしないパウダーゾーンがあり、西に飯豊・北に朝日・月山・鳥海そして東に蔵王と山形の名峰が一望できます、なかなかいい天気には恵まれない、この2月は一番気温が低い時期、それゆえに雪は上質のパウダーです・・このところボーダー客が一段と増えましたね、パウダー求めて来るようです・私は、今日から6日間、お休みして2日間は天元台で、そのあと蔵王泊で2日間、帰って米沢スキー場で2日間スキーしますよーー。スキー友と4日間、所属クラブと2日間怪我しないようにせんとですね・・・

2024.02.13:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

冬山遭難・西吾妻山

  • 冬山遭難・西吾妻山
  • 冬山遭難・西吾妻山

8日朝に、天元台高原ロープウェイ駅から西吾妻に登山した男性が米沢市内ホテルから「宿泊客がもどらない」と米沢警察署に通報、警察は遭難の恐れがあるとして、10日朝から消防などと登山道周辺を捜索したが発見には至らず、午後3時にこの日の捜索を打ち切った。 天元台は8日は終日くもり、連日氷点下の気温が続いている。10日は朝から快晴でヘリも低空で捜索してましたが、午後2時過ぎから崩れてきた、昨日の天気は視界が悪い状態、天元台高原第三リフトから、従業員が上がったすぐ後にゲレンデの西壁方向に向かって捜索隊がいきました、悪天候のため午後2時すぎで捜索は打ち切られたようで、人形石方面から隊が戻ってきましたね、本日12日も捜索を検討しているようです。3連休の初日10日は天気よく西吾妻登山に100名を超えるお客、昨日は視界が悪いにも関わらず40名ほどの登山客が行きまして、悪天候でまた来ます!と、すぐ戻るお客に、何が何でも行くお客がいます、昨日遅めの11時頃にスノーシューではなくアイゼンはいた4人グループが行こうとしていて、聞けば日本在住の外国人客、リフト最終午後3時と20分前倒しで言ったが3時には戻らず第三リフト終了ぎりぎりで戻ってきました・・ミニモンスター観れて山頂も行けたとのこと、雪が腰までとか、すごかったと感激はしてましたが、遭難は紙一重である、時間的な余裕もなく、装備も勘違いしての登山・・困ったものですね・・昨日はこの4人心配した通りでしたがね・・間に合ってよかった

2024.02.12:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

米沢スキー場スキー授業

  • 米沢スキー場スキー授業
  • 米沢スキー場スキー授業

先週の水、木、金と3日間は米沢スキー場のスキー授業を担当しました。小学生、中学生でしたが、初心班も当たり、疲れました。この米沢スキー場は毎年シーズン券を購入してますが、今年は販売してないので、スキー授業を請け負ってから、終わって滑りを楽しんでますけども、日によっては疲れて滑る気もしないですね・・今年の授業請負はこの2月9日金曜で最後、あとはプライベートで楽しみます・・

2024.02.11:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

浅間山

  • 浅間山

正月撮った浅間山です、今年も年末年始は軽井沢で過ごしてました。この浅間山は三重式の成層火山、第一外輪山は黒斑山、牙(ぎつぱ)山、剣ヶ峰。第二外輪山は前掛山、東前掛山であり、寄生火山としては小浅間山、石尊山、車坂山がある。
 天明3年(1783年)、4月から7月初旬(旧暦)まで断続的に活動を続けていた浅間山は、7月8日(旧暦)に大噴火を起こしました。このとき発生した土石なだれにより嬬恋村(旧鎌原村)では一村152戸が飲み込まれて483名が死亡し、群馬県下で1,400名を超す犠牲者を出しました・・今回こそは鎌原の観音堂見に行こうと思ってましたが行かずじまい、今度は必ず・・この鎌原村の本格的な発掘調査は、昭和54年から始まり・・観音堂の石段、十日ノ窪の埋没家屋、延命寺跡などが調査され、遺体や生活用品、仏具などを発見しました。鎌原村の災害状況を示す古文書や記録類も多く、言い伝えもありますとあります。噴火で埋もれた近世の村の様子が判明してきていますとあり見に行きたいなと思ってます。

2024.02.08:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]