昭和35年9月21日国内初の鑑賞型ダリア庭園『川西ダリヤ園』が開園された、平成10年まで開園されていたが平成11年に現在のダリヤ園になっている、昔のところは現在ハーブ園である。
川西町誕生当時、町を代表する観光地づくり、町民が親しめる公園づくりが目指され、話し合いが進められ、その結果、町内の「花の会」でダリア栽培が楽しまれていたことからダリヤ公園を設営することになったとの事です1975年(昭和50年)には町の花をダリアに制定している。(川西町HP参)
ダリアは、日本に1842年(天保13年)頃、オランダより長崎出島を経由して江戸巣鴨に導入されたと言われる花であるが、その頃は天竺牡丹と呼ばれ、ダリアと呼ばれるようになったのは徳川末期になってからとのことである。ところでDahliaの発音は日本においては「ダリア」が一般的であるが川西町では、看板、案内板、旗、ダリアに関する商品もすべて「ダリヤ」となっている『ダリア』と変更することなく『ダリヤ』の名で慣れ親しまれているのである。町田は『ダリア園』である、都会では相模原市に住んでいて、その町田ダリア園もなじみがある、町田ダリア園は障がい者の働く場として町田市が設置し、まちだ福祉作業所が運営しています。
町田は昭和60年6月開設し、開設にあたっては、日本一のダリア園である我が故郷の「川西ダリヤ園」から、球根を寄付するなど協力関係にある。私の母は昭和50年から13年にわたり町のダリヤ園でダリヤの栽培・管理に携わっていた。自分もこの公園はいつもの遊び場であった。
昭和35年開園直後の写真が(置賜の昭和)いき出版にあったので投稿、それと現在の箇所を撮影(現ハーブ園)を掲載する、開園翌年昭和36年に弟が生まれ、公園で私の母と兄、ばあちゃんそれと母の姉が写っている写真がある、これらは水害でも残ったもので懐かし風景が見れる。
因みに私のばあちゃんは8人も子を生んだ豪傑ばあちゃん、母の一番上の姉が今ならばあちゃんのようだ、母が小学3年で父が急逝した、4つ下にも双子の弟、妹もいて、母子家庭になったばあちゃんは、子にぼろを着せては恥ずかしいと、寝る間を惜しんで働いたそうだ、それを見ていた姉も母も出来ることは進んで手伝いをした、仕事で忙しい母(私のばあちゃん)に変わり姉は下の子をおんぶして学校に通ったそうです(ほんとにドラマ『おしん』の世界で泣けてきます。その姉が嫁に行くとき母も妹弟も行かないでと泣いて頼んだと聞きました、その姉は私の弟が生まれた昭和36年、子供が既に高校生で当時珍しくカメラを持っていた、写真好きで私たちの写真もよく撮りに来てくれたそうです。