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マイキャリアストーリー ~コンサルタント・澤村千明編~

  • マイキャリアストーリー ~コンサルタント・澤村千明編~

こんにちは!澤村千明です。

ジンジャーズの人材コンサルタントに聞く「マイキャリアストーリー」。

面談の際に、求職者の方にこちらからお聞きするばかりで自分たちのことはさっぱり話してないよねというところからスタートしました。

第一回:佐藤広一編

第二回:佐藤大輔編

 

今回は、この記事企画の言い出しっぺである私が、自分自身を振り返る形で「マイキャリアストーリー」を書いていこうと思います。

 

【社会を知った、新卒時の就職】

私は県外の大学卒業後、県内の金融機関に就職をしました。

地元就職を選んだ理由は「もう一回実家に住みたいな、親と一緒に生活したい」という単純なものでした(笑)

 

仕事は、主に個人営業と金融事務・窓口でした。住所変更や相続届などの受付・事務や投資信託・生命保険等の金融商品の販売。個人向けローンの説明・契約や事業性融資の事務など。

営業においては、「先輩から引き継いだお客さま」というのは、私の場合皆無で・・。いちからお客さまを開拓する必要があり、新規のお客さまへの丁寧なニーズ喚起に努めていました。ニーズ喚起を通じて多世代にわたるお客さまからダイレクトに反応をいただけたり、戦略立てて数字に向かって動いてみたりという面白さがありました。

ただ、私は総合職を選んだのですが、「女性総合職」というとまだ色眼鏡で見られる時代でしたし、働き方改革や女性活躍等が叫ばれるのもずっとあとの時代。理不尽なこともたくさんありました。

 

当時は20代半ば。あまり「こうなりたい」という仕事における目標はなかったのですが、漠然と「このままこの会社で働いていく」という気持ちはありました。ですので、結婚および出産というライフイベントで辞めざるを得なかったことには、悔しさや悲しさもあって、それは今もたまに思い出します。

 

 

【専業主婦時代のこと】

専業主婦になってからも、「いつから仕事始めようかな」という気持ちが絶えず自分の胸の中にありました。自分の意によらず、金融機関を辞めざるを得ないこととなり、自分で納得できない気持ちがあったからだと思います(かつ、負けず嫌いでもあるので)。

 

一方で、赤ちゃんとの生活も楽しく、働くことでそれが時間的にそがれてしまうことや、新婚時に過ごした埼玉から山形市に引っ越したばかりで周りに知り合いがほとんどおらず、保育園などの情報も自分にはなかったことから躊躇する気持ちもありました。

 

そんなとき、たまたま離乳食教室で知り合い親しくなった女性がいました。話をすると彼女は保育士であることが分かり、彼女から市内の保活や保育所に子どもに預けている母親の話を聞いたり、再就職について互いに話したりするうちに「ママでも、子どもが小さくても、自分が思うことをやろう」と思い、再就職活動をすることに。幸い保育園の入所もすんなり決まったので、久々にスーツを着て面接を何社か受けました。

 

【再就職先で気づいたこと】

新しい職場は、福祉系のNPO法人でした。金融機関とまったく違う内容の業務であることはもちろんのこと、企業の規模や働く人もそれまでとはまったく異なっており、非常に刺激的な毎日でした。

 

仕事は、団体の経理・労務のほか、県委託事業である「女性の再就職支援事業」を中心に数多く関わりました。働きたいという再就職を願う女性(母親)の個別相談を受けたり、セミナーを企画・開催したり、預け先情報を得るために各保育園を回ったり。出張相談として庄内・最上・置賜へもよく行きました。

 

仕事は裁量があり、自分が考えたことを周りと調整しながら進めることができました。また、かつての自分がそうだったように、出産・育児というライフイベントに向き合いながら再就職を考えるというたくさんの山形の女性に出会いました。

そこから山形の雇用、社会環境、女性の心理、男性の働き方、夫婦関係、親子関係など多くのものが見え隠れすると気づきます。そして、誰かの「働く」「暮らす」に山形密着で関わることは、私にとって非常に興味を持つ仕事であると気づくことができました。

充実した毎日ではありましたが、体調を崩したことから、退職を決断。専業主婦に戻ることにしました。

 

【そしてジンジャーズへ】

第二子を授かり、出産・育児をしながら、これまでの生活を振り返っていました。

そのなかで出た私の答えは、「仕事は大切だけど、自分も大切だし、家庭も大切。自分の健康や家族との時間を考えながら、また働きたい。」

そのときに出会ったのが、ジンジャーズ。私のこれまでの仕事や、置かれていた環境等も鑑みて「ジンジャーズの新入社員」として迎え入れてくださり、すごくありがたかったです。

 

実際に働いてみて、間もなく丸2年。

これまでとは違った、「転職」という視点で求職者・企業の方と向き合い、考える日々を送っています。分からないこともまだまだたくさんありますが、様々な方の感情や事情が交錯する奥深い仕事だと思います。

 

今、私が転職支援のなかで大事にしているのは、どうするか・どうしたいかを「自分で決める」お手伝いをするということ。

転職するか?留まるか?転職事情や求人を知り、事実を受け入れ、ご自分の気持ちに向き合ったり揺らいだり。その中から、ご自分なりの答えを出していただきたい。その方がご自身のキャリアを、転職を含めてどんな選択があるかを共に考え、選び、決めるお手伝いをしたいと思っています。

また、企業にとっては「どんな人を採用するか」は企業業績や将来にも関わる大きなポイントであることは間違いないことであり、責任も感じます。企業側のお声をよく聞き、「どんな会社なのか」「どんな方なら活躍できるのか」の把握に努めています。

 

 

ジンジャーズは、以前Twitterでアップされた通りの社風だと思っています!!

 

背中に羽が生えたかごとく自由な人が集っており(でも意外と協調性もある・・?)私にとっては過ごしやすく、働きやすい職場です。

いいなと思うことの一つは「その人(企業)にとって、何がベストかをいつも一番に考えている」こと。転職「してもらったほうが」、会社として利益は上がりますがそこだけを見つめるということは誰一人していません。

心のある、転職支援をしている会社であると思いますし、私自身も今後もその部分は大事にしていきたいです。

 

 

休日は家族で遊ぶことが多いです。

昭和~平成~令和のウルトラマンに家族ではまり、ものすごく詳しくなりました!

(最新のウルトラマントリガーもYouTubeで毎週見ています。

BSで白黒のウルトラQも見ています)

自分が子どものころ好きだったものを、親になってから子どもと共にもう一度好きになるというのは楽しいですね!そして、うれしいです。

たくさんいる人形たちの一部。

 

 

 

次は面談の際に、あなたのこれまでのストーリー、教えてけろなあ(^-^)

2021.09.17:yamaten:コメント(0):[キャリアアップ情報]

マイキャリアストーリー ~コンサルタント・佐藤大輔編~

  • マイキャリアストーリー ~コンサルタント・佐藤大輔編~

こんにちは!澤村千明です。

 

 

ジンジャーズの人材コンサルタントに聞く「マイキャリアストーリー」

面談の際、これまでの仕事などについて、いつも私たちから皆さんへお聞きするばかりで、自分たちのことはあんまり話してないっけね、というところから始めました(^-^)

 

今回は、佐藤大輔に、これまでの仕事のことなど聞いてみました~。

(初回:佐藤広一編はこちらから)

 

 

 

 

澤村:大輔さん、いきなりですがご自分の仕事観、どんな風だと思っていますか?

 

大輔:えっ、いきなり?!うーん・・・40歳過ぎたけど「〇〇したい!!!」っていう熱いものはないままですね。「毎日のごはんがおいしく食べられればいいなあ」と思っています。
今の仕事では、誰にとっても嫌なことや苦痛なことがないような世の中になったら良いなと思ってやっているし、山形県に絞った事業展開は「手や目の届く範囲でやりたい」っていう自分の性分にも合っていると思っています。

 

 

澤村:もうここで淡々とした大輔さんっぽさが出てるなと思いましたが・・・。

大学卒業後は、株式会社毎日コミュニケーションズ(現:株式会社マイナビ)に入社されたんですよね。

 

大輔:そうです。それも「人材業界に入りたい!」って学生時代に熱烈に思っていたわけでなくて。当時も、自分が何をしたいかどんな会社がいいかよく分からなかったんです。それで、いつも使っていた就職サイトの運営会社に応募しました。そうしたら受かったので、そのまま入社しました。

 

澤村:なるほど…。入社後はどういう仕事を?

 

大輔:東京の営業部に配属されて、求人広告の営業をしていました。
「就職サイトに掲載しませんか」って、知らない企業に電話でアポイントをとるんですけど、その電話が結構きつかったですね。2003年の入社当時はまだ「マイナビ」というブランドもなかったので、電話をかけても、そう簡単にアポイントは取れず。やっとアポイントが取れたら提案書作って持って行くんだけど、すぐには売れない。
1年目はまったく売れずに苦労しました。2年目からはそれなりにできるようになりましたが。

 

 

澤村:今、振り返っていかがですか?

 

 

大輔:そうですね、今とはコンプライアンスや働き方の意識が全然違う時代だったので、毎晩遅くまで仕事して、仕事が終わったら上司や先輩との飲みについて行ったりして、終電過ぎれば一緒にタクシー乗せてもらって帰って、二日酔いでも仕事して、そんな感じでだいぶめちゃくちゃでした。が、いい上司、いい先輩、いい同僚に恵まれて、楽しくやっていたな、という印象です。

あと、世の中にはいろんな会社、いろんな仕事があるなとわかったのは面白かったですね。工場見学なんかもさせてもらったなぁ。

 

 

澤村:5年間広告営業をして、その後は異動したんですよね。どういう仕事だったのですか?

 

大輔:企業向けの教育研修サービス(現:マイナビ研修)の事業立ち上げに関わりました。研修商材を作ってそれを全国の支社の営業担当者へ説明をしに行ったり、営業担当と一緒に企業へ同行訪問したり。どんなニーズがあるか情報収集したり。
新規事業だったので、試行錯誤しながら進めるのが楽しかったし、各地方支社を回っていると、地方によってカラーが違っていて、いろんな人のいろんな視点に触れられたのが楽しかったですね。

 

 

澤村:一緒に仕事をするようになって、大輔さんはいろんな新しいことを吸収して考えながら仕事するのが好きなのかなあという印象を受けています!もしかしてルーチンワークは苦手?

 

 

大輔:そうですね、ルーチンワークというか、決められた手順で何も考えずにやらせられる仕事は苦手ですね。あんまりやりたくない。

 

 

澤村:なんとなく、話聞いていてそう思いました。ちなみに私も苦手です・・。

その後、山形へUターンされますが、いつごろから考えていたんですか?

 

 

大輔:30歳のころ。最初のきっかけは、高校の同級生と話したときに「山形さ帰んねのか」なんてそんな話になったことじゃなかったかな。
それで、東京はもういいやと思って、奥さんとも相談しながら、仕事のこととかお金のこととか準備して、33歳で帰ってきた。

 

 

澤村:東京と山形で働くうえでの違いって感じましたか?

 

 

大輔:そうですね。いろいろあるな。
まずは東京の時と比べれば、お客さんとの距離の近さは感じました。同じ高校出身だったりとかね。
あとは時間の感覚。時間の感覚・物事の進み具合がゆっくりしている気がする。東京だと競争相手も多かったので、他社を意識しながら早く行動しなきゃいけなかったように思います。

 

澤村:なるほど~。山形の生活の部分ではどうですか?

 

大輔:そうですね、これはたまたま私が入った会社がそうだったっていうのもあるけど、仕事終わって帰る時間が桁違いに早くなりましたね。
東京では残業してごはん食べて電車に揺られて帰宅が午前0時を過ぎる事もあったけど、山形では帰宅は18時だったりするわけで。そうすると6時間も差がある

 

 

澤村:6時間!

 

 

大輔:そう。大きいですよね。「んじゃその6時間で今何しったの?」って聞かれると困るんだけど…うーん、毎日6時間、俺は何しったんだろう?

 

 

澤村:とりあえずお酒がゆっくり飲めますね(笑)

大輔さんは、ジンジャーズはどんな会社だと思っていますか?

 

 

大輔:自分にとっては居心地のいい会社です。自由に泳がせてもらっている感じがします。

みんな程よく守備範囲が違って、うまいことバランスが取れているように思います。得手不得手をそれなりに把握できていて、良い意味で個人の不得手の克服に時間を割かずに任せ合いができていると感じます。

 

 

澤村:広一さんも前回そんなお話をされていたし、私もそう感じます。チーム力あるよってことでいいですかねえ。

 

大輔:んだねぇ、それが「チーム力」というなら「チーム力」なんだべなぁ。

 

澤村:最後に、お休みの日は何をしていますか?

 

大輔:子どもといっしょに遊んでいることが多いです。大きくなると親父と遊ぶことはなくなると思うので、大きくなるまで出来るだけ一緒に遊びたいなと。

子どもと遊びと言いながら、自分も一緒になって楽しんでますよ。外で遊んだり、ブロックしたり、箱や紙で工作したり。

 

澤村:大輔さん以前、仮面ライダー変身ベルト自作されてましたよね~あれすごかったです!

大輔:最近はぜんぜん作ってないけどね。作るのは楽しいな。

 

 

 

 

 

【インタビューを終えて】

 

大輔さんは普段さくさくと仕事をしている(ように見える)ので、新人時代の苦労話は新鮮な感じがしました。
そして、東京と山形とで、6時間も平日ゆとりのある時間が生まれるというのはちょっとビックリ。山形へUターン転職をしたすべての人が一概にこうなります、とは決して言えませんが、東京と山形とでは暮らしや時間の感覚が違うというのはあるのかもしれませんね!

 

 

 

ジンジャーズコンサルタントのマイキャリアストーリー。
面談時にはあなたのキャリアストーリーもぜひお聞かせくださいませyes



 

2021.03.30:yamaten:コメント(0):[キャリアアップ情報]

【データで読み解く】山形県内の労働者のみなさんの賃金・労働時間の平均は?

  • 【データで読み解く】山形県内の労働者のみなさんの賃金・労働時間の平均は?

皆さんは「毎月勤労統計調査」という調査をご存知でしょうか?

賃金、労働時間及び雇用の変動を明らかにすることを目的に厚生労働省が実施する調査で、その由来は大正12年から始まっている調査です。

毎月勤労統計調査って?
(厚生労働省HP 外部リンクに飛びます)

全事業者調査ではなく、全体のバランスをみて事業者を抜粋している調査ではありますが、国内の労働者の賃金や労働時間などの状況が毎月わかります。

毎月県別のデータが出ており、2月26日に令和2年の平均分が発表されていましたので
皆さんの現状把握の参考にご案内いたします。

山形県の月間平均賃金:267,141円
山形県の月間労働時間:143.9時間

(従業員5人以上の企業)

業種や業界、年齢によっても賃金相場や労働時間が違ってくるものですが、「今の自分の状況はどうなのか」の指標を確認しておくことも、ご自身の生活設計や職業選択の参考になるのではないかと思います。

公開されているデータですので、転職を考えていらっしゃる皆さんも、事業者の皆さんも時々チェックして、「自分の会社がどうありたいか」を考えていただくきっかけになれば幸いです。

詳しい元データはこちらをご覧ください(PDFが開きます)

2021.03.12:yamaten:コメント(0):[キャリアアップ情報]

事務職をめざすあなたへ。最初に知っておきたい3つのこと。

  • 事務職をめざすあなたへ。最初に知っておきたい3つのこと。

こんにちは。澤村千明です。

 

ジンジャーズに入社してあっという間に1年が経過しました・・・!とっても早いです。

ここ半年は、主に女性の転職希望者の方と面談をさせていただく機会が多くありました。お一人お一人のお顔が、強く思い出されます。みなさん、お話いただきまして、ありがとうございました(^-^)

 

 

\ピンポーン/

あ、今日もまたどなたか女性のご相談者がいらっしゃったようです!

 

「澤村さん、転職相談をお願いします!私はA子、20代です」

「A子さん、よろしくお願いします。転職をお考えなんですね」

「そうなんです。今、営業の仕事をしているんですが、事務職に転職したいなと思っているんです」

「事務がいいなと思っているのですね。それはどうしてですか?」

「今、休みが不規則だし残業も多くて。土日休みの、残業のない楽な仕事がよくて・・・。事務なら、それが叶うかなあと。」

 

事務職への転職を考えるA子さん。

こんなときに、私がどんなお話をしているか。今日は、最初に知っていただきたい3点をご紹介しますね。

 

 

 

①どうして事務がいいの?

なぜ事務職なのかをお聞きすると、「土日が休みだから」「残業がないから」「なんとなく」こんなお答えをいただくことがあります。このお答えを、真っ向から否定するわけではありません。仕事へ求める優先順位を考えるうえで「休日」「残業の有無」は大切な項目のひとつだと思いますし、お若い方など『イメージ』で仕事を考える場合もあるでしょう。

ただ、後述しますが、事務職は非常に人気の高い職種です。+αの「事務職に就きたい気持ち」「経験やスキル」がより明確であるほうが、企業側へのアピール材料になります。

また、事務職といえども、必ずしも土日が休みとは限りません。残業がないとも限りません。
「土日休みや残業の有無を優先したい」のか?それとも、「事務職として働きたい」のか?給与や通勤距離などその他の項目も加味してとなりますが、【自分は仕事に何を求めるのか】という優先順位をあらためて考えてみるといいかもしれませんね。

 

②事務の仕事って?

そもそも、事務の仕事とは何なのでしょう。会計ソフト入力や日々の帳簿作成などの「経理事務」、給与計算等の労務管理や外部との調整などの「総務事務」というように、専門的知識が必要な事務の仕事もあります。特に中小企業の場合は、これらを合わせて「事務」と呼んでいる場合も多くあります。
また、事務職は社内に1~2人しかいないことも多いです。「縁の下の力持ち」として、社内を少人数で支えているのが事務職なのです。
幅広い知識や経験が求められますし、自らも学ぼうとする姿勢も求められます。また、社内外のさまざまな立場の方と接することもあるため、いわゆるコミュニケーション能力や調整力も必要でしょう。「1日座っているだけ」「ずっとパソコン作業をしていればOK」というわけではありません。

 

③事務職に就くのは簡単?

「事務職に就くことは簡単ですか?」と聞かれたときに、私は「いいえ」と答えます。

職種別の有効求人倍率をご存じでしょうか?
2020年10月末に山形労働局が発表した資料によると、事務系の有効求人倍率は「0.45」という数字でした。具体的には、事務系求職者3,424人に対して、求人数は1,549件。求人数が圧倒的に「少ない」のです。販売や技術職などほかの職種と比較しても、有効求人倍率が最も低いのは事務職です。
つまり、「事務職に就きたい人はたくさんいるのに、求人が十分にない」状況がすでに生まれており、非常に人気のある職種だとも言えます。

 

さらに、具体的な事務職の求人票を見てみると、多くの企業で「事務経験者歓迎」「経験者優遇」との文字が並びます。未経験で正社員事務職にキャリアチェンジしたい、とお考えの方はより一層むずかしい状況であると考えられます。

 

 

 

ここまでお読みいただき、
「イメージで『事務がいい』と思っていたけれど、本当にそれでいいのかな?」
「私はなんの仕事が向いているんだろう・・・」
「やっぱり事務がいいんだけどどうしたらいいのかな」
「初めての転職活動。そもそも進め方がよく分からない!」
などと思っているそこのあなた。

 

ご相談のなかから一緒に、事務職を含むさまざまな可能性を考えてみませんか?

 

 

まずはお気軽にお問い合わせくださいね~!

2020.11.17:yamaten:コメント(0):[キャリアアップ情報]

Uターン転職を思い立ったら、「生活」の見積もりをしよう

  • Uターン転職を思い立ったら、「生活」の見積もりをしよう

山形へのUターン、実行するにはなかなか勇気が必要ですよね。私も東京からのUターン転職組なので、とても気持ちがわかります。

今回は、「そろそろ、山形に戻ろうかなと考えるけど、決めきれていない」方に向けて、私の山形へのUターンの経験談を通して感じた、Uターンするために必要なことについてお伝えします。



Uターンの想いを推し進めるためには、「生活を見積もること」が必要

私は、30歳くらいのときに一度自分の将来やキャリアを見直すタイミングに「この先どうしようか?」とか「どこで自分は死ぬのかな」といったことを考えてみたら、親の顔が浮かんできたり、家とかお墓とかどうすんだろ、と思ったり…それで、東京から山形に戻ってくることに決めました。

そこで心配になったのは、やはりお金のこと。

都会に比べて、給与のベースが格段に低いです。相場を聞いてみたら、職種や業種にもよりますが、私の場合、山形で最初に入社した会社での年収は、東京で働いていた時の半分程になる計算でした。
当時結婚したばかりの妻にしてみたら、結婚してすぐに年収激減なんて詐欺のような話だったのではないかと思います(笑

それでも、いま私はこうやって山形で働いているわけですが、Uターン前に「給与が下がっても大丈夫」という覚悟できたのは、「ライフプラン表を作って将来のキャッシュフローを想定出来た」からです。

入社時に提示された初年度の給与から月毎の手取りを計算し、そこから月々の生活費や貯金を計算し、ライフプランに基づいていつ何を買う必要があるか、予想して書きました。
Uターン当時は子どもはいませんでしたが、将来仮に子どもを授かった場合の計算もして、生活するイメージがきちんと持てたことがとても大きかったですね。
一応、60歳までのシミュレーションをして、さらには、仮に病気になったり、帰ってから自分が急に死んでしまった場合も想定しました。
生命保険、医療保険も見直ししました。保険や税金は少しでも知っておいたほうが良いなと感じ、FP3級の資格を取ったりもしました。。勉強したことはもうほとんど忘れてしまいましたが(笑

こうやって「生活を見積もる」ことを行ったことで、普通のつつましい暮らしの目処がたったことと、最悪、急に死んでしまっても家族は安泰だという変な安心感が、私のUターンの決意を確固たるものにできたと思います。



「生活を見積もること」で、Uターン転職の「想い」が「覚悟」になる

覚悟とは、辞書で調べると「悪い事態(に多大の努力がいるの)を予測して心の準備をすること。」と出てきます。

「Uターンしよう!」と決意してみても、なかなか腹が決まらない人も多いと思います。

そんな方は、まずは生活を見積もってみましょう。
Uターンしようかどうかフワフワしている人は、この「生活を見積もる」がなかなか出来ていないように思います。

書き方としては、厳密に計算する必要はありません。
親と同居?アパート暮らし?車は何台持つ?子供は保育園に入れる?など、暮らしをイメージしてかかる費用をざっくり紙に書き出して計算してみるのです。何か特殊な知識が必要なものではありません。(でも、計画は常に変わるものだし、くらいの心の余裕を持ってくださいね)

以下は実際に私がUターンしてくる時に作った年間のキャッシュフロー表です(具体的な金額はご勘弁を・・・汗)。
この表の別のシートには、月々に何が幾らかかるかを想定した生活費の計算表があります。


お金の問題ある程度目処がついて解決できていれば、転職した先で一時的に給与が下がったとしても、生活するイメージができます。

特に首都圏からのUターンにおいては、給与が上がる転職はほとんどありません。年収では首都圏の6~7割程度になるケースが多いです。


Uターン転職で、大きな障壁になるのが、やはり「家族の納得」です。
特に、山形で暮らしたことのない配偶者や親族にとっては、どの程度の収入があれば生活していけるのか、がイメージできず、収入を下げてしまう不安が大きくなってしまいます。

家族の不安を払拭するためにも、可視化して、ご自身の覚悟を明確にするとともに、家族と生活イメージを共有することを、是非お勧めします。

【コンサルタント 佐藤大輔】

(この記事は、2018年9月に書いた記事を加筆再編集しています)

2020.09.29:yamaten:コメント(0):[キャリアアップ情報]