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踏切の記憶

  • 踏切の記憶
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山形鉄道のあちらこちらに、使われなくなった踏切が見える。この白兎第一踏切は、まだ閉鎖にはなっていないようだ。昔の道と行き交う人の姿を思い起こすのは、私だけだろうか。
2018.07.25:orada2:コメント(0):[停車場界隈の風景]

名残の紫陽花

  • 名残の紫陽花
  • 名残の紫陽花

暑い日が続いています。ホーム西側の紫陽花も、下草刈りを終えたばかりの時は、写真のように元気で鮮やかな色どりでしたが、今はげんなりしてまいっている様子です。そして、玉置さんという花が大好きな嘱託駅長さんがおられた時の花壇の様子をご覧ください。紫陽花は、この頃に植えられた名残なのでしょうか。せめて紫陽花だけでも大切にしていきたいものです。

2018.07.24:orada2:コメント(0):[停車場界隈の風景]

長大な防雪柵

  • 長大な防雪柵
  • 長大な防雪柵

 撮影場所は、2枚とも成田駅の南、現在の成田第4踏切付近と思われます。「昭和30年代の長井線を走る貨物列車」には、稲株の残る田んぼの中に、稲くい用の木材らしきものが見えます。 「羽前成田駅の防雪柵(昭和60年)」では、風雪と戦ってきた当時の方々の姿が見えて来るようです。

【出展:『写真で見る致芳のあゆみ』 致芳地区文化振興会平成14年11月発行】

2018.07.23:orada2:コメント(0):[停車場の記憶]

駅とSL、保線区小屋も

  • 駅とSL、保線区小屋も
  • 駅とSL、保線区小屋も

 今時は、私らの年代でも「汽車」と言うのを憚られるようになった。でも、子供は今でも、「ポッポ来た」「ポッポ、ガッタン、ゴットン」と言い、目を輝かせる。今から60年ほど前に、駅にはポッポがたくさん来た。当時の成田駅には、倉庫の他に保線区小屋もあったことに驚く。今でも残る駅舎の匂いは、本物のポッポの匂いかもしれない。 

「成田駅とSL ― 羽前成田駅に停車した蒸気機関車(昭和30年頃) 」 「成田駅と蒸気機関車、保線区小屋 (昭和49年)」

【出展:『写真で見る致芳のあゆみ』 致芳地区文化振興会平成14年11月発行】

2018.07.22:orada2:コメント(0):[停車場の記憶]

キューロクが行く

  • キューロクが行く
  • キューロクが行く

 戦中、戦後の混乱を経て、日本の国は昭和39年の東京オリンピックから高度経済成長へと進んで行きます。この時期に、蒸気機関車はディーゼルカーとなりました。「さよならSL ご苦労様キューロク」の陰で、昭和43年には長井線存続期成同盟会が発足していました。

写真は、「成田駅の停車場に止まった蒸気機関車 (昭和40年撮影)」 と「長井線さよならSLと成田駅 蒸気機関車はなくなりディーゼルカーとなる (昭和47年撮影)」 なお、長井線を走ったキューロクは、現在、北九州市「九州鉄道記念館」に展示されているとのこと。

【出展:『写真で見る致芳のあゆみ』 致芳地区文化振興会平成14年11月発行】

2018.07.20:orada2:コメント(0):[停車場の記憶]