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軽鉄長井線が告示に登場

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軽便鉄道は、軽便鉄道法(明治43)に基づき建設された鉄道のことです。「軽便鉄道長井線」の名称が国の文書に最初に現れるのは、官報第370号(大正21022日)の鉄道院告示のようです。

鉄道院告示第97号では「明治4210月鉄道院告示第54号国有鉄道線路名称中 奥羽線の次に長井軽便線(赤湯梨郷間)を加える」とし、鉄道院告示第99号では「大正21026日より長井軽便線赤湯梨郷間鉄道運輸営業を開始す その停車場及び哩程は左のとおり」として、赤湯、宮内町、梨郷の各駅を明示しています。

「明治4210月鉄道院告示第54号」は、国有鉄道法(明治39年)に基づき国有鉄道線路の名称を定めるものです。この時点では県内では奥羽本線のみが国有鉄道に指定されていますが、大正21026日の長井軽便線(赤湯~梨郷間)の開業に合わせて告示を改正したことになります。

軽便鉄道法が公布されてからたった3年後に、長井軽便鉄道が開業することになります。この背景には何があったのでしょうか、妙に気になります。

『長井線ヒストリア』 発車!

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 人には、自分の人生を振り返りたいと思う時がありますよね。会社であっても、団体であっても、地域であっても、歴史を振り返る時期があるのではないでしょうか。そして昨年は、山形鉄道のフラワー長井線開業30周年でした。だとしたら、もう一度その歴史を振り返ってみたいと思ったのです。昔のブログ(http://samidare.jp/orada/)の「変な民俗学者シリーズ」に対抗して、NHKの人気番組的に言えば「長井線ヒストリア」。

 さて長井線の最初の名前は、長井軽便鉄道でした。物語を始める前に、まずはこの2冊の本をじっくりと見てください。軽便鉄道に想いを寄せる人が今でも多くいます。さて、軽便鉄道とは何だったのでしょうか。さあ、「長井線ヒストリア」は、約150年前の明治時代からスタートします。どうぞお楽しみに。