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成田駅前変な民俗学 1-①茂吉と翁草

 故郷は遠くにありて…・・

 「翁草」という野草をご存知だろうか。その名のごとく、白髪の老人が腰を曲げているような花である。どんなにひいき目に見ても、美しいと言えるものではないが、山形県が生んだアララギ派の歌人・齋藤茂吉が「翁草」を題材とした句を多く作っている。とりわけ、茂吉が東京の医学部に進学していた頃に詠んだ句に、次の句がある。
 「翁草に唇ふれて帰りしが あはれあはれいま思ひ出でつも」
故郷の野に咲いていた花に、故郷を想う青年茂吉の心が映る。そして、初恋の想いにも似た切なさが感じられて、私が好きな句である。そしてこの歌は、室生犀星の「故郷は遠くにありて思うもの…」の歌に似たものを感じる。なお、この翁草はレッドデータブックの危急種になっているが、その貴重な群生地が長井市の成田地区内にあることを知っている人 は少ないだろう。
 さて、「故郷は遠くにありて思うもの…・」に戻ろう。私の子供もこの春、大学進学で故郷を離れていった。都会のアパートに一人居て、彼は何を想うのであろうか。その想いは、私達が就職列車に乗って、上野駅に降り立った時の、切ない想いに通じるものがあるのではなかろうかと思うのである。
 現代は、ITの時代であり、企業人は世界を駆け巡り、NGOとして若者が遠い外国の支援に向かう時代である。現代に生きる若い人にとって、活躍の舞台は故郷ではなく世界である。しかしその一方で、50年立った今でも、故郷に帰りたいと願う同胞(はらから)がいる。私は、翁草のように故郷で生きる運命にある。私達は同胞の友のために、どのような故郷を残さなければいけないのか。そして世界に向かって旅立とうとする子供達に、故郷の何を伝えなければならないのか。そんなことを、「ふるさと長井ナビ」のスタートに考えてみたいと思うのである。

成田駅前変な民俗学 1-②長井の心

  長井の心

 地元の長井高校の大先輩である長沼孝三先生は、「長井の心」という詩の中で、「私は日頃、人間形成の最も重要な条件は、故里の自然環境そして風俗、習慣であると考えておりますので、長井に生まれ『長井の心』で育った事を誇りとし、感謝しております」と書いている。
 第一話で紹介した歌人・茂吉を形成したのは、最上川や蔵王連峰、そして翁草という野の花々を含めた「ふるさと」であったかもしれない。長井高校の校是に、かの有名な犬養毅の揮毫による「万物我に備わる」がある。万物が備わる“我”こそは、「ふるさと」という土壌の中で形成されたものと考えることができる。故郷を知ることと、我を知ることは、ある意味では相通ずるものがあるような気がするのである。そしてそれは、生命を伝え、自らのDNAを探る旅ではなかろうか。そして、この事を理解することが、世界の平和と共存につながるものに思えるのである。今も長井市の教育の基本方針は、『長井の心を育てる』ことである。
 また、故郷・長井で、素材にこだわり製法にこだわって生きて来た食の匠が集まり、長井銘産品研究会が設立された。メンバーは、羽前成田駅前の高橋鯉屋と大千醤油店、そして草岡ハム、大勝麺匠などである。彼らの思いは、「長井の心」「食の職人の心」を伝えたいという一点にある。食育が脚光を浴びているこの時に、食をとおして、自らの故郷を考えてみることも一つの切り口であろう。物語とは、“物”が“語る”ものであるかもしれない。物が語るのは、職人の生き様であり、故郷の心そのものであろうと思うのである。
 ⇒ 興味のある方は,置賜地域地場産業振興センターのHPへどうぞ

成田駅前変な民俗学 1-③桜の花は・・・

桜の花は咲きにけり…・・何故桜の下で酒を飲むのか

 第二話でDNAのことを話しましたが、故郷のDNAを考えるよりは、日本民族のDNAから話しをした方が分かりやすいと思う。ヘンなオジさんの民俗学を始めたいと思います。興味があれば、読んでみやってくだい。
 故郷・長井の春は、桜で始まる。久保桜、大明神桜など、故郷に桜の花は咲きにけり…・である。日本の国花は桜である。さて、「何故、日本人は桜の下で酒を飲むのだろうか?」。このことを民俗学的に考察してみよう。
 サクラのサとは、サ神(作神様)のサを意味する。サから始まる言葉を並べると、相模の国、我が母校の長井高校が建つ「早苗ケ原」の早苗、サナブリ、そして早乙女etc。お分かりになるだろうか。稲作文化が伝わった弥生時代に、それまでは山岳宗教として山に住んでいた神様が、いつのまにか作神様として、里に降りて来るようになった。里人が、田植えを終えて秋の豊作を祈る時期に、サ神様が降りてくる座席が、クラ(坐)であったのである。つまり、サクラは作神様が里に降り立つ場所だったのである。そしてサケ(酒)は、サ神にササゲるものであり、里人が飲む酒は、サ神からのおサガリもののサケなのである。
 国の天然記念物・久保桜のような桜の老木に、日本人が今でも、何とも言えない感情を持つのは、こうした記憶に埋もれたDNAに基づくものである。そして、現在、置賜地方の最大の観光事業は桜回廊であり、台湾や韓国からも観光客が来ているのである。そして、白兎地区にある葉山は、置賜一円の作神様として崇められた山であることを覚えておいて欲しい。

成田駅前変な民俗学 1-④桃太郎伝説

 日本民族と桃太郎伝説

 日本民族のDNAの第二話を続けよう。「昔々、お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に行きました。…・」で始まる桃太郎は、環境論と性教育と国際政治論からの視点が必要な物語である。
 お爺さんが、芝刈りに行った山は、今日的には「里山」における育林の重要性を描いているのである。お婆さんが洗濯に行った川は、「三尺下って水清し」と言われる、水環境問題への警鐘である。そして、この物語の最大の鍵は、「何故に桃でなければならかったのか」と言うことであります。
 お婆さんがモモを割って、生み出す場面は、まさしく性教育であると思いませんか?。この際どい話しを、父母でなく祖父母に語らせるところに、昔の人の気遣いを感じるのである。
 さらに、山の川で生まれた桃太郎が、川を下って海の鬼が島に行き、鬼退治を行います、これはまさに「山は海の恋人」であり、さらにはいわゆる拉致問題ではあるまいか。国際政治であり、鬼が島は尖閣諸島なのかも知れないがね・・・・。
 そして、犬と雉と猿の三人の友人が登場するところは、風水論によるものであるが、三人の友があれば事は成す。「三人寄れば文殊の智恵」「三本の矢」の故事そのものだと思いませんか。三人の仲間に出会えたのは、婆さん(祖先の人々)が作ってくれたキビ団子にありますね。
 そして海から山に上って、宝物を持ち帰るところは、親孝行であり祖先に感謝のの心です。また「故郷に錦を飾る」に通じるような気もするのである。 桃太郎伝説を、こんな風に読む事は実に面白い。桃太郎伝説は、男の子が主役の物語ですが、次回は、女の子を主役にしたかぐや姫伝説を考えてみたいと思います。どうぞお楽しみに。財宝を持ち帰るのである。

成田駅前変な民俗学 1-⑤竹取物語

日本民族と竹取物語

 ちょっと前に、「かぐや姫」というフォークグループがいたのをご存知ですか。この「かぐや姫」の元の題名は、「竹取物語」なのです。竹取物語に最初に出てくるのは、竹林の中のお爺さんです。それは月の夜、お爺さんが竹林の中から光る竹を見て、その竹を切るところから物語は始まります。
 この物語の最初のポイントは、「月」です。女性と月とは切っても切れないものですよね。外国語のルナティックとは月の光の中に立つ女性の妖艶さを表現したものです。第2のポイントは、「竹」です。竹=節を持ったモノであり、私の記憶が正しければ,心理学で言う「リビドー(男性器)」を表現したものにほかなりません。
 物語の最後にかぐや姫は、お爺さんとお婆さんに別れを告げて月に帰ります。かぐや姫が舞い降りた使命は、多分、子供のいなかった二人に夢を与えることでなかったかと思います。この物語は、女の子が主役であるために、多少なまめかしくて、エッチぽいお話になった事をお許しください。
 互いに愛する夫婦にとって,子供を授かると言うことは,本当にありがたい事なのです。でも良くわからないのが,かぐや姫に振られた3人の男達ですね。勝手な思い込みですが,かぐや姫を好きになった男性が,お爺さんとお婆さんを好きになり,大事にしてくれたら,どうなったでしょうかね。もしかすると結婚できたもね。
 私事になりますが、年をとると、女の子はつくづく可愛いいなあと思います。私には、女の子がいなかったので、せめて孫は女の子がほしいなあと思う今日この頃です。