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停車場憧憬  秋の夕暮

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刈り入れが終わった頃

父は畦道に腰を下ろして 

切り株だけになった田んぼを見ながら

煙草をプカリとふかす

手塩にかけた稲が手を離れる時だ

嬉しいような 寂しいような気持ちだ

と父は語った

秋の夕暮時になると想い出す光景だ

2017.10.12:orada:コメント(0):[停車場憧憬]

停車場憧憬 西の山から

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西の山から 差し込む光を受けて

私はひと時 黄金の中に遊ぶ

 

やがて光は 西山の光背となり

そして 全ての光は消え去るだろう

 

人生の最期の時も こんな光の中を

歩めたらいいのにと思う

 

私は今日一日を 

精一杯生きただろうか

2017.09.27:orada:コメント(0):[停車場憧憬]

停車場憧憬 蝉しぐれ

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  • 停車場憧憬 蝉しぐれ
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蝉の亡骸があった。地上で許された短い時間に、ひたすら哭いていたであろう最期の姿である。思えばこんなにも身近に、こんなにも多くの生命のドラマが繰り返されていたのだ。生命に終わりというものはない、と語った人がいたが、それでもここには行く夏の風景があった。

停車場憧憬 人生をいかに生きるや蝉しぐれ

2017.08.22:orada:コメント(0):[停車場憧憬]

停車場憧憬  祭りの記憶・村の記憶

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いよいよ明日から、お文殊様のお祭り(子供獅子)だ。長井で行われる獅子舞は、光があり、動きがあり、音があって、子供達の脳に深く記憶されるものだ。ところで、「鉄道がなくなると、町は廃れる。」と語った友がいた。子供の数が少なくなって、学校も統廃合が進められている。ある地域では、子供の祭りが休止になったとの話も聞こえて来る。学校がなくなれば、村人が集まる機会も少なくなり、帰省した時に同級生が集まる場所もなくなってしまう。そして、祭りがなくなれば、村の記憶もなくなるのではないだろうか。停車場と祭りを永く残して行きたいものだ。【写真提供:氏家・永山・佐々木/ただし成田八幡神社の祭礼時のものです】

2017.08.13:orada:コメント(0):[停車場憧憬]

停車場憧憬  祭りの記憶

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もうすぐお盆である。息子夫婦が帰って来た。孫の動きの一つ一つに、笑い声がおこる。14日には、御文殊尊の祭礼で、子供の獅子舞が町を練り歩く。かつて息子もその一団の中にいたものだ。子供が少なくなって祭りの継続を心配する人もいる。まして都会で生きる息子である。笛や太鼓、祭りの記憶は、どこまで伝わって行くのだろうか。せめて、盆と正月ぐらいは、顔を見せて欲しいものだ。【写真提供:渡部・永山】

2017.08.11:orada:コメント(0):[停車場憧憬]