西国霊場中興の祖である花山法皇は三十三所の観音霊場を御巡幸され、その折に各札所で詠まれた歌が御詠歌として今日まで伝わっています。
花山法皇はその時に当山を西国巡礼結びの地と定められ、三首の御詠歌を詠まれました。
その御詠歌は現在・過去・未来を表し、「世を照らす~」で始まる歌が【現在】、「万世の~」は【過去】、「今までは~」は【未来】を表すとされています。
その三首の御詠歌は満願のお寺に相応しく、なかでも「今までは~」で始まる御詠歌には、長い間ずっと親のように想い、供に旅してきた笈摺を最終の札所である当山でようやくたどり着いて、満願に寄せる格別の思いでこの地に納めたという花山法皇の御姿をうかがい知ることが出来ます。
この笈摺を脱ぐという行為は満願に伴う「精進落とし」であり、それはすなわち宗教的次元での「再生」を意味したものと考えられており、この歌が【未来】を表すのは、そのような意味があってのことかもしれません。
引用:華厳寺山主 久保田美好「西国巡礼慈悲の道」より