現代版「クマ考現学」(上)…なめとこ山の熊とAI

  • 現代版「クマ考現学」(上)…なめとこ山の熊とAI

 

 「母親とやっと一歳になるかならないような子熊と二疋丁度人が額に手をあてて遠くを眺めるといった風に淡い六日の月光の中を向うの谷をしげしげ見つめているのにあった。小十郎はまるでその二疋の熊のからだから後光が射すように思えてまるで釘付けになったように立ちどまってそっちを見つめていた」―。宮沢賢治の代表作『なめとこ山の熊』にこんな一節がある。クマと人とのこころの交流を描いた感動的なシーンである。

 

 「AIカメラでクマ対策」(1月31日付「岩手日報」)―。1面トップの見出しに一瞬、ひるんだ。花巻市がこの春に導入するという内容で、川岸などに30台配置し、AI(人工知能)が識別したクマをメールで受信し、下流に先回りして花火で威嚇するという最新“兵器”らしい。ここ数年、全国的に人里に現れるアーバンベア(都市型クマ)が増え続け、当市でも昨年、クマの目撃が5年前の約4倍に当たる495件に達した。「保護(放獣)か殺処分か」で揺れる“クマ騒動”を横目に見ながら、私はいつの間にか小十郎とAIとの“知恵比べ”に夢中になっていた。

 

 「なめとこ山の熊のことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。淵沢川はなめとこ山から出て来る」―。この物語はこんな書き出しで始まる。「なめとこ山」(標高860㍍)は当市西方の奥羽山脈に位置する実在の山である。文中の「淵沢川」はいまも町なかを貫流する「豊沢川」にちがいない。AIカメラはクマの目撃情報が多いこの川沿いに配置されるというから、なめとこ山のクマたちもカメラにキャッチされるかもしれない。こんな光景を思い浮かべていた矢先、突然猟師の小十郎とクマたちが交わす対話が耳元に聞こえたような気がした。

 

 「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ。…てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ」(小十郎)、「もう二年ばかり待って呉れ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるしただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胃袋もやってしまうから」(クマ)

 

 互いにこころを通い合わせる間柄だが、小十郎とクマとは実は「殺しー殺される」という“敵対関係”にある。ちょうど2年目の風の強い朝、家の前の垣根の下で、あのクマは約束通りに血を吐いて倒れていた。しばらくたった冬のある日、狩りに出かけた小十郎に突然、大きなクマが襲いかかってきた。「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」。小十郎は意識が遠ざかる中で、そんな言葉を聞いた。物語はこう結ばれる。

 

 「その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸が半分座ったようになって置かれていた。思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴え冴えして何か笑っているようにさえ見えたのだ」―。クマたちによる小十郎の「葬送の儀式」である。

 

 ふと我に返り、ChatGPTならクマたちと小十郎の出会いの物語をどんな風に描写するのであろうかという妄想にかられた。「このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ」―。同じ賢治の『どんぐりと山猫』の中のあの有名な“判決文”が頭の中をグルグル回っている。私はやはり、小十郎の頭の方が人工の知能よりもずっと、賢く思えてならない。

 

 

 

(写真は街頭に出没したクマ=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》~署名総数が6,793筆に!!??

 

 花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会(瀧成子代表)が続けている全国署名の第2次分(13日現在)が2,063筆(市内1,178筆、県内322筆、県外563筆)になり、1次分を含めた総累計が6,793筆に上った。実行委員会では引き続き、署名活動を継続するほか、随時、街頭での呼びかけもすることにしている。

 

 

 

 

2024.02.11:masuko:[ヒカリノミチ通信について]

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