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有意性が疑われる「図書館アンケート」…若者世代の「駅前」待望論が破綻!!??

  • 有意性が疑われる「図書館アンケート」…若者世代の「駅前」待望論が破綻!!??

 

 「新花巻図書館の建設場所については、市民の意見の集約ができていない中で、アンケートなどによる多数決で決めるのではなく、話し合いによる意見の集約に努めていく必要がある」―。市川清志生涯学習部長(当時)は令和5年3月定例会で、羽山るみ子議員(はなまき市民クラブ)の質問に対し、こう答弁した。そうした中、若者グループが高校生を対象に行った「図書館アンケート」が今月14日開催の「新花巻図書館整備基本計画試案検討会議」の場に討議資料として提出されることが分かった。当局側のこの発言との整合性は一体、どこに…

 

 一方、このアンケート調査自体(4月16日付当ブログ参照)が統計学上の原則を逸脱した恣意的な内容になっており、公正性が担保されるべき数値からはほど遠い結果になっていることも明らかになった。通常、この種の統計調査を実施する場合、集団の全員を対象にする「全数調査」とその一部を対象とする「標本調査」とがある。いわゆる“くじ引き”といわれる「無作為抽出法」などの後者が一般的な手法として知られている。今回の「図書館アンケート」は市内の全6校を対象にして行われたが、集計が可能な範囲内で得られた回答は4校の924人に止まり、残り2校は結果的に調査対象から除外された形になった。つまり、「全数」と「標本」という二大原則のどちらも踏まえない、単なる“ご意見箱”のレベルだったことになる。

 

 調査はQRコードからの選択や記述式で回答を求める手法になっており、例えば希望する立地場所については「花巻駅前」が694人(75・1%)で、「まなび学園周辺(病院跡地を含む)」の68人(7・4%)を大きく上回った。しかし、回答者のうち電車通学している実数把握が抜けているほか、図書館本体への関心度合いを問う設問ではなく、「飲食、勉強、おしゃべり」などその機能への期待を引き出すような問いかけになっていることからもその恣意性がうかがわれる。これでは主客がまるで逆さまである。

 

 「駅前か病院跡地か」―。市民を二分する形の“立地論争”が高まる中、新図書館の建設計画について「知っている」と回答したのはわずか254人(27・5%)にとどまり、7割以上の670人(72・5%)がその計画自体を「知らない」と答えた。このことから、今回のアンケート調査はそもそも「図書館とは何か」という本質論に踏み込む内容にはなっていなかったことが分かる。逆に言えば、高校生が抱く“図書館像”が初めて、正直な本音として吐露されたとみるべきかもしれない。

 

 「駅前」立地を強力に進める市側はこれまで、高校生など若者世代の「駅前」待望論を“錦の御旗”みたいに掲げてきただけに今回の当事者からの想定外の“反応”をどう受けとめるのか…。調査を実施した若者グループ「HANAMAKI Book Marks」は統計集計上の不備を認めているが、その一方で図らずも今を生きる生身の“若者像”を浮き彫りにしてくれたという点ではその労を多としたい。「試案検討会議」での議論の行方が注目される。

 
 
 
 
(写真は高校生アンケートの集計数字の一部)
 
 

 

ナシのつぶての公開質問状…地元紙が市の“秘密主義”を痛烈に批判!!??

  • ナシのつぶての公開質問状…地元紙が市の“秘密主義”を痛烈に批判!!??

 

 総合花巻病院に対する5億円にのぼる財政支援について、その不透明性を問いただすための「公開質問状」を4月19日付で市側に提出していたが、回答を求めた同月30日を1週間すぎた5月7日現在(閉庁時間午後5時15分)、何の連絡もない。たまたま、この日の地元紙「岩手日報」の一面トップに「今秋の再生計画焦点/市が果たす責任重く」という大見出しが躍り、市民不在の市側の対応に手厳しい批判を浴びせた(コメント欄に記事の全文を転載)

 

 以下に私の公開質問状の趣旨を再掲し、辛抱強く市側の出方を見守りたい。なお、4月4日付で別途、財政支援にかかる協定書などの文書開示請求をしていたが、これについては開示決定の期限を45日間延長し、5月31日とする旨の文書通知がこの日、郵送で届いた。

 

 

 今般、公益財団法人「総合花巻病院」に対する5億円の財政支援が行われたが、その際の議員説明会(3月22日開催)が「非公開」とされた。このため、納税者に対して当然保証されるべき「支援の経緯」を知る機会を一方的に奪われた。この件に関し3月29日付で、①議員説明会に提出された資料の開示、②議員説明会の会議録と「公開―非公開」の基準の根拠を示す文書の開示を求めたが、4月12日付「通知」によって、①は非開示、②は不存在との回答が寄せられた。よって、以下の諸点についての見解を伺う。回答は文書でもって、2024年4月30日までとする(4月19日付当ブログ参照)

 

 

 

 

(写真は語気を強めた市政批判を一面トップに掲載した岩手日報)

 

 

私論「まるごと賢治」…「美代子、あれは詩人だ。石を投げなさい」

  • 私論「まるごと賢治」…「美代子、あれは詩人だ。石を投げなさい」

 

 「(宮沢賢治ばやりを批判し、朗読会ブームについて)詩にとって、朗読は自殺行為だ。共感・理解されるだけの方が気持ち悪いかもしれない。『読みたくなかった』と思われるくらいの何かを残したい」(2月21日付「朝日新聞」)―。多様な芸術領域に足跡を残した詩人、大岡信をたたえる「大岡信賞」の第5回受賞者に決まった現代詩作家、荒川洋治さん(74)が激越な賢治批判者だと知った。”賢治教”の信者ではないが、人並みの愛好者にとってはすわっ、一大事。さっそく、その原典の詩集を古書店に求めた。若干、旧聞に属すが、連休中の話題づくりにどうぞ…

 

 『坑夫トッチルは電気をつけた』(1994年10月刊)―。風変わりなタイトルの詩集の「美代子、石を投げなさい」という一編にその批判の一端が載っていた。「宮沢賢治論が/ばかに多い/腐るほど多い/研究には都合がいい/それだけのことだ…」―。いきなりのパンチにちょっと、引けた。「社会と歴史と現在を文学で独自につなぐ試み」と受賞理由にある。その難解な詩風に圧倒されながら、やっと巻末にたどり着くと、そこに一人の名前を発見した。「1995年3月17日、池袋にて。中里友豪」という書き込みがあった。念のため、インターネットで来歴を調べてみた。

 

 地元の「琉球新報」に中里さんの記事を見つけた。自分の不明を恥じた。「沖縄の琉球大学を卒業後、教師生活を経て、演劇集団『創造』の結成に参加。1998年、詩集『遠い風』で沖縄を代表する第21回山之口獏賞、2000年には戯曲『越境者』で第4回沖縄市戯曲大賞。2021年、84歳で病没」―。中里さんは「美代子、あれは詩人だ。石を投げなさい」という激しい言葉で結ばれるこの詩の何か所かに赤いボールペンで棒線を引いていた。たとえば、こんな個所に…

 

 「宮澤賢治よ/知っているか/石ひとつ投げられない/偽善の牙の人々が/きみのことを/書いている/読んでいる/窓の光を締め出し 相談さえしている/きみに石ひとつ投げられない人々が/きれいな顔をして きみを語るのだ…」―。この棒線の部分にこそ、中里さんの共感の意思表示が込められているのだと思った。基地問題などに揺れる「沖縄の苦悩」と向き合い続けた詩人にとっての「賢治の違和」は私にも分かるような気がした。

 

 「賢治の強さ、やさしさ伝えよう」というテーマを掲げた第15回「雨ニモマケズ」朗読全国大会が今年1月13日、花巻市内で開かれた。先の大戦の際は国威高揚のために利用され、戦後になると今度は耐乏生活を強いるためのスローガンに採用された。そんな「雨ニモマケズ」を朗々と謳いあげる、その光景に私は何となく「不穏」な空気を感じてしまうのである。海の向うではいま、ウクライナとガザの悲劇が極限に近づきつつある。「弾ニモマケズ」といった無神経なギャグが私の身辺でささやかれたのは記憶に新しい。「賢治」という両刃の剣…

 

 それにしても「流転の妙」ということをつい、考えてしまう。約30年前、東京・池袋の書店で、この詩集を購入した中里さんが何かの事情で古書店に手放し、それをいま私が手にしている。かなりの年月を経て、表紙は破けたり、印刷がぼやけたりしている。それがまた,渺々(びょうびょう)たる流転の旅にピッタリで、楽しくなる。帯に「宮沢賢治賛美を痛烈に批判し、論議を呼んだ」の文字がかすかに読み取れる。さっそく、私論「まるごと賢治」の中の必読書に搭載することにした。

 

 そういえば、賢治が生前、法華経の布教に歩いた際、「この気ちがい」と近隣の住人たちから実際に石を投げつけられたというエピソードを聞いたことがある。

 

 

 

 

 

(写真は回りまわって、私の元にやってきた荒川さんの詩集)

 

 

暮らしの中のアート(まちてくギャラリー)…東和の”モンパルナス”を目指して

  • 暮らしの中のアート(まちてくギャラリー)…東和の”モンパルナス”を目指して

 

 その写真の前で思わず、足が止まった。豊かな白髭をたくわえた長老と寄りそう老婦人…アイヌの衣装を身にまとった二人は川のたもとに立ち、身じろぎもしないで真っすぐに前を見つめている。「あたりの自然と一体化した誇りが感じられる」と案内をしてくれた造形作家の菅沼緑さん(78)。その静寂がこっちにもすう~っと入り込んできた。

 

 東和町の中心街、土沢商店街のあちこちにさりげなく、写真が飾られていた。緑(ろく)さんが10年以上前から手がけてきた「まちてくギャラリー」の48回目。今回は写真家の故達川清さんの作品26点が並べられた。「すごい。息を飲んだ。写真家の目がまるで露出計みたい」―緑さんはこの写真との偶然の出会いの衝撃をこう語った。ともに同窓(日大芸術学部の写真学科と彫刻学科)で、同じ東和町の移住者同士だったが、なぜか未知のままだった。スマホのカメラ電話で連絡を取り合い、今年2月3日に展示が始まった。達川さんの訃報が飛び込んだのはその直前の1月23日。自分の作品展を見ずに旅立ってしまった。

 

 緑さんは2000年に移住し、いまは田瀬湖畔の旧保育所にアトリエを構えて、創作活動を続けている。目の前には廃校になった旧田瀬小学校の校舎がある。「モンパルナスを再びという妄想がふくらんできて…」―。大正の終わりから先の大戦の敗戦前後にかけて、東京・池袋一帯に長屋風のアトリエ村(住宅付き貸アトリエ)が点在していた。数多くの芸術家が参集したパリのモンパルナスをもじって「池袋モンパルナス」と呼ばれるようになった。彫刻家の父を持つ緑さんはここで生まれた。「隣はペンキ職人。朝が早いのに寝坊助。だから、母がその男の足にロープをまいて、朝になったらそれを引っ張って起こすわけ。俺をおんぶしたオヤジが電車の網棚にこの俺様を忘れてきて、大騒ぎになったことも」…

 

 緑さんは今年2月29日付で「田瀬小学校―いきかえれ新聞」を創刊。「田瀬小学校が復活することの実現に向けて、 愉しみながら話しあう『ワイガヤ会議』をまず、呼びか けたいと思います」と書いた。全戸配布した結果、第1回会議(3月31日開催)には予想以上の32に人が集まり、「ワイワイガヤガヤ」に花が咲いた。第2回は5月12日に予定されており、「東和“モンパルナス”」という夢の実現へ向け、第一歩を踏み出した。新聞はすでに、4号を重ねた。

 

 「日常の暮らしの中にそっと、アートを紛れ込ませる。忘れていた時にふと、気づく時があり、それがアートだ」と緑さんは口癖のように言う。まったくそうだと思う。今回の「達川清展」だって、見知らぬ者同士の合作の産物であり、私自身がいまその作品群に魅せられている。ひときわ、目を引くのがアイヌのポートレート。達川さんはスーパーカブに写真機材を積み込み、津軽海峡を何度も渡ったという。なぜ、達川さんがこれほどまでに“アイヌ群像”にこだわり続けたのか。「想像力を働かせよ」―達川さんの声があの世から聴こえてくるような気がする。

 

 「池袋モンパルナスに夜が来た/学生、無頼漢、芸術家が/街にでてくる…」(「池袋風景」)ー。そういえば、池袋をモンパルナスに見立てたその名付け親はここを拠点にした北海道・小樽出身の詩人、小熊秀雄(故人)だったことを思い出した。この不世出の詩人には「飛ぶ橇(そり)―アイヌ民族の為めに」と題した長編叙事詩がある。展示は4月30日まで。

 

 

 

 

 

(写真は「静かなる凝視」を感じさせるエカシ(長老)とフチ(おばあさん)、そして緑さん=花巻市東和町の土沢商店街で)

 

 

 

《追記》~住民投票条例案を議会へ提出(狛江市)

 

 東京都狛江市の松原俊雄市長は26日、新図書館整備計画の賛否を問う住民投票条例案を、反対意見を付けて臨時市議会に提出した。5月15日に採決される。住民投票は、市民団体「こまえ図書館住民投票の会」が直接請求した。条例案は、1977年開館の市民センター内にある市中央図書館を「分割・移転」するか、「現在地で拡充」するかを市民が投票で選ぶという内容で、市と議会には結果の尊重を求めている。

 

 これに松原市長は「『現在地で拡充』は多額の財政負担が生じることなどから実現が難しい。改めて問うのは現実的ではなく、住民投票に意義を見いだし難い」と反対意見を付けた。市は、現在地から約300メートル南東の市有地に新図書館を建設し、改修する市民センター内に子ども向け図書コーナーを残す方針。図書館機能の分割を批判する市民からは一体での整備を求める意見が出ている(28日付「東京新聞」電子版、3月15日付当ブログ参照)

 

イーハトーブの皆さん!事件ですよ…“二枚舌”議員のとんでも行状記!!??

  • イーハトーブの皆さん!事件ですよ…“二枚舌”議員のとんでも行状記!!??

 

 「私が心配しているのは、がれきの取り扱いなんですよ。市民もあるいは花巻の経済界に大きな貢献をした新興製作所の跡地がああいう形でコ ンクリート殻になっていると、衛生上も問題があるんじゃないかというのは市民の声だと思う。これはいわゆる土地利用とか何かの問題じゃなくて、いわゆる国道4号線を来たときに、コンクリート殻が未だにある…」(4月10日開催の議員説明会会議録から)―。旧新興製作所跡地に関するこの発言を知って、どでびっくりした(当地の方言で、腰を抜かすほどの驚きの表現)。発言者は「社民クラブ」所属の照井省三議員である。10年ほど前の同議員の発言を思い出して「どでった」のだった。

 

 「花巻城址の乱開発防止とその周辺の景観保全は私たちの最低限の願い。百年の計を視野に入れ、条例制定に心からの配慮を」―。市当局が旧新興跡地の取得を断念し、当該地が不動産業者の手に渡った直後、その跡地にパチンコ店やホームセンタ―を建設する計画が明らかになった。危機感を抱いた中心市街地の住民らは(仮称)「花巻城址周辺景観保全条例」の制定を求める請願書を議会側に提出した。平成27(2015)年3月18日、その賛否を問う3月定例会本会議が開会され、反対多数でこの請願は否決された。私が賛成討論に立った後、照井議員が以下のような反対の弁を述べた。

 

 「まさに今やスーパーもないという市街地、花巻城址の景観や賢治のまちづくりも結構ですけれども、まず優先すべきことは生活者の利便を第一に考えることだと思います」(同日の会議録から)―。実はこの発言には上田市政の“露払い役”に徹するような伏線があった。同議員は自身の「市政ニュース」(平成27年1月14日号)で、こううそぶいて憚(はばか)ることはなかった。「私はこの店舗建設(パチンコ店など)をまちづくりの活性化へと結び付けていくことが大事であると受け止めています。また、新たに市民の雇用の場が生まれることについて歓迎すべきと考えます」

 

 あれから、足かけ10年―。跡地取得に反対する先陣に立ち、景観条例に異議を唱えたこの同じ人物が今度は「がれきの放置」に注文を付けている。こんな廃墟に誰がした…この倒錯した神経にまたまた「どでって」しまった。ついでに、“二枚舌”ぶりをもうひとつ―

 

 「総合花巻病院/5億円の財政支援」―同議員の「市政ニュース」(2024年3月28日号、通算437号)にこんな大見出しが躍った。「非公開」、つまり“門外不出”とされていたはずの議員説明会(3月22日開催、3月26日付と4月19日付「当ブログ」も参照)の様子がこと細かに掲載してあった。当初は議員としての使命感がそうさせたのかなと思ったが、やはり早とちりだった。過去の言動の経緯と何よりもこの人物が上田東一市長の後援会事務局長を長年、務めているという事実がふと頭によみがえったからである。単なる”勇み足”というか、調子に乗っただけだったのだろう。

 

 照井議員など3人が所属する議会会派「社民クラブ」は女性政治家の闘志、福島瑞穂・社民党党首が率いるその傘下に身を置いている。この関係図をひも解いているうちに頭がこんがらがってきた。誰か、”正解”を教えてほしいものである。

 

 

 

 

 

(写真は荒れ放題の旧新興跡地の上部平坦地。かつて花巻城の三の丸があった場所で、明治以降は「東公園」として住民の憩いの場となり、桜の名所でもあった=花巻市城内で)