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図書館“所管“論争の雲泥の差…上手の手から、”本音”がポロリ~議会運営の先行きに不安!!??

  • 図書館“所管“論争の雲泥の差…上手の手から、”本音”がポロリ~議会運営の先行きに不安!!??

 

 「首長部局と十分に協議し、調整を進めてきた」―。8日開会した花巻市議会9月定例会の一般質問で、伊藤盛幸議員(緑の風)が新花巻図書館の「駅前立地」に関連し、「これまでの経緯を検証すると一貫して、首長主導で進められてきたとしか考えられない。本来、図書館行政は教育委員会の所管に属するはずだが、その職務権限をどう考えているか」とただした。この案件で真っ先に手を挙げるのはいつも、上田東一市長と相場が決まっていたが、質問内容から市教育委員会の佐藤勝教育長が答弁に立った。これまでに見られなかった光景だけに思わず、身を乗り出して議会中継に見入った。

 

 「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地方教育行政法)や「地方自治法」などを振りかざしながら、佐藤教育長は首長部局への“丸投げ”疑惑を必死の形相で否定した。ここでちょっと、おさらいをしておきたい。「花巻市教育委員会の権限に属する事務の補助執行に関する規則」(平成19年3月)にこんな定めがある。いわゆる「補助執行」規定で、執行事務は「花巻市立図書館に関すること。花巻市立図書館協議会に関すること」で、担当職員は「生涯学習部長、新花巻図書館計画室の職員及び図書館の職員」に限定されている。

 

 伊藤議員はこの点について、「令和元年の地方教育行政法の改正によって、関連条例の制定を前提に図書館や博物館、公民館その他の社会教育に関する教育機関も市長の管轄下に置くことができるとされた(「花巻市教育に関する事務の職務権限の特例を定める条例」=平成20年12月)。しかし、当市ではこの条例化に踏み切らないまま、現在に至っている。首長部局の独走と見られても致し方ないのではないか」と問いただした。答弁を促された上田市長がやや、戸惑いながら挙手をした。「確かにその点について、教育委員会側とは協議しなかった」と暗に首長主導を認めた一方で、「法律上の瑕疵(かし)はなかった」と問答無用とばかりに切って捨てた。

 

 「さかのぼれば、令和2年の住宅付き図書館の駅前立地(新花巻図書館複合施設整備事業構想)がつまずきの原因ではなかったか。定住人口の増加や賑わい創出などまちづくりの観点から、この構想は当時としては納得できる部分もあった。だからこそ、この構想が白紙撤回された段階で、教育委員会との連携を密にした図書館立地へと舵を切るべきではなかったか」―。伊藤議員がさらに追い打ちをかけると、上田市長は突然色をなし、激しい口調で反撃を始めた。

 

 「何を言ってるんですか。私たちは一度だって、(JR花巻駅との)複合化を考えたことはありませんよ。ここで断言しておきます」―。中継を聞いていた私はまた、“本音”が漏れたなと妙に納得した。伊藤議員の質問の趣旨は住宅付き図書館に付随する子育て施設やテナントなどとの“複合化”だったが、上田市長は何を勘違いしたのか、図書館と駅橋上化(東西自由通路)との複合化(いわゆる「ワンセット」疑惑)についての質問だと早とちりしたみたいだった。裏返せばよっぽど、この疑惑に触れられることは避けたかったということなのだろう。この二つの巨大プロジェクトの“別物”論を強調しなければならない闇の構図がほの見えてくるではないか。ある意味、正直な人なのかもしれない。

 

 それにしても、国からの補助金の減額によって、静岡県立図書館が計画変更(3日付当ブログ「追記」参照)を迫られた責任追及の矢面に立たされているのは当市とは真逆の教育部局の担当者たちである。図書館“所管”論争の雲泥の差をここに見る思いである。なお、補助執行の件については今議会に陳情が提出されており、9月18日に付託先の文教福祉常任委員会で審議される。陳情内容については下記から。

 

第3号陳情 生涯学習・社会教育行政の所管体制の是正と補助執行制度の適正化を求めることについて (PDF 66.7KB)新しいウィンドウで開きます

 

 

 

 

(写真は法律論をタテに教育部局と首長部局の正当性を主張する佐藤教育長=9月8日午後、市議会議場で=インターネットの中継画面から)

 

 

 

《追記》~メディアコスモスとは真逆の対応~条例化を見送ったことに見る上田市政の“強権”支配!!??

 

 令和元(2019)年6月付で「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地方教育行政法)が改正され、条例化を前提にしたうえで図書館を含めた社会教育機関も首長部局の管理下に置くことができる職務権限の特例措置が設けられた。ところが、8日の一般質問の中で、この「条例化」については教育委員会とも協議はせずに見送られたという驚くべき事実が明らかになった。絵に描いたような「コンプライアンス」(法令遵守)違反である。

 

 一方、当市の新図書館選定委員の副委員長に選任された吉成信夫さんは公募により、2015年から岐阜市立図書館の館長をへて「みんなの森 ぎふメディアコスモス」元総合プロデューサーを歴任した。その岐阜市では「地方教育行政法」の改正後、正式な条例化を踏まえたうえで、それまで教育委員会の所管だった図書館を新たに設置された「市民協働推進部」に移管した。吉成さんは「縦割り行政を脱し、単なる複合施設から融合施設へと進化させることができた」と語っている。なぜ、当市ではできなかったのか。上田市長という”ワンマン”がそのトップに鎮座しているからに他ならない。

 

 

 

 

 

★オンライン署名のお願い★

 

 

 「宮沢賢治の里にふさわしい新花巻図書館を次世代に」―。「病院跡地」への立地を求める市民運動グループは七夕の7月7日から、全世界に向けたオンライン署名をスタートさせた。イーハトーブ図書館をつくる会の瀧成子代表は「私たちは諦めない。孫やひ孫の代まで誇れる図書館を実現したい。駅前の狭いスペースに図書館を押し込んではならない。賢治の銀河宇宙の果てまで夢を広げたい」とこう呼びかけている。

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(『春と修羅』序)―。賢治はこんな謎めいた言葉を残しています。生きとし生ける者の平等の危機や足元に忍び寄る地球温暖化、少子高齢化など地球全体の困難に立ち向かうためのヒントがこの言葉には秘められていると思います。賢治はこんなメッセージも伝え残しています。「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう、求道すでに道である」(『農民芸術概論綱要』)ー。考え続け、問い続けることの大切さを訴えた言葉です。

 

 私たちはそんな賢治を“実験”したいと考えています。みなさん、振って署名にご協力ください。海外に住む賢治ファンの方々への拡散もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

 

●オンライン署名の入り口は以下から

 

https://chng.it/khxdhyqLNS

 

 

●新花巻図書館についての詳しい経過や情報は下記へ

・署名実行委員会ホームページ「学びの杜」 https://www4.hp-ez.com/hp/ma7biba

 

・ヒカリノミチ通信(増子義久)  https://samidare.jp/masuko/

 

・おいものブログ~カテゴリー「夢の新花巻図書館を目指して」   https://oimonosenaka.seesaa.net/ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

建設プロと行政との”図書館”像の雲泥の差…その背後には一体、何が~静岡県立図書館は計画の見直しへ!!??

  • 建設プロと行政との”図書館”像の雲泥の差…その背後には一体、何が~静岡県立図書館は計画の見直しへ!!??

 

 「花巻駅の既存駅舎、計画されている東西自由通路の図面があれば提供していただきたい」、「JR東日本花巻駅と屋根や空中デッキなどで接続することを計画してもよろしいでしょうか」―。新花巻図書館の「整備基本・実施設計」業務にかかる「公募プロポーザル」について、これまでに約40社から応募するに際しての質問が寄せられ、その数は252項目に上るなど関心の高さがうかがわれる。とくに、注目されるのは現在計画が進められている「JR花巻駅橋上化(東西自由通路)」との関係性(”紐づけ”)に対する問い合わせである。

 

 駅橋上化事業は西口駅前の整備費を含めて、総事業費は44億円余と試算され、合併特例債を充当することによって、市側の実質負担額は約7・7億円と見積もられている。令和10年度後半の供用開始を目指し、令和8年2月頃から工事に着手するとしている。この駅橋上化事業と背中合わせの位置に建設が予定されているのが新花巻図書館である。近接するこの二つの巨大プロジェクトの関係性に建築プロが注目しないわけはない。プロにとっての“建築美学”とは双方が相まって、相乗効果を発揮できかどうかである。上記質問のねらいもそこにあるのだが、市側の回答は―

 

 「現在、進めているJR花巻駅東西自由通路(駅橋上化)整備事業とは別の計画として提案してください」とけんもほろろの回答である。思い出すではないか。いまから8年前の2017(平成29)年7月10日、文書開示請求によって「最大スペックのラフデザイン」と名づけられた花巻市作成のイメージ図がJR盛岡支社に提供されたことが明らかになった(1月16日付当ブログ参照)。現在、新図書館の建設が予定されている駅前のスポーツ用品店敷地跡に描かれた当時の図書館像が図面上、二階部分で橋上駅と通路で繋がっているのが見て取れる。この二大プロジェクトが当初は「ワンセット」構想だったという動かぬ証拠である。

 

 今回の公募プロポーザルに際しても実際に「花巻駅と図書館の二階レベルを接続するような計画はありますか」という質問が寄せられている。これに対し、市側は「接続する計画はありません」とにべもないが、なぜ一度は「ワンセット」構想を思い描きながら、一転してこの構想に背を向けるようになったのか。建築プロの“常識”になぜ、これほどまでに抵抗しなければならないのか。

 

 駅前に出現する予定のこの2大プロジェクトが「別物でなければならない」―という何か別の事情でもあるのだろうか。表向き、「JR」主導型の行政と受け取られかねないことを懸念する「別物」論の背後にはこのナゾ解きに役立ちそうな市長発言がある。上田東一市長は一貫して、この発言の真意について口を閉ざし続けてきたが、今となっては逆に“藪から棒”の体(てい)をなしつつある。つまり、”本音”が耳元に聞こえてくるような気配を感じるのである。みなさんもこのナゾ解きに挑戦してみてはいかがですか。

 

 

●「JRは花巻駅の橋上化をやりたいと思っており、橋上化の話が進めば、土地の売買について真剣に話をしてくれる可能性はある。橋上化がなくなった際には、駅前に図書館を建設することについてもどうなるか分からない」(令和4年6月開催の市政懇談会での発言)●

 

 

 ちなみに、橋上化事業に伴う新駅舎と東西自由通路の本体部分に要する費用は合併特例債による補てんがあるとはいえ、全額が市の負担。JR負担分は既存こ線橋の撤去費用だけで、「これでは市がJR側に新駅を作ってやるようなものではないか」という批判が以前からくすぶっていた。

 

 

 

 

(写真は公募プロポーザルについての議員説明会。その不透明性に質問が相次いだ=8月1日午後、花巻市議会委員会室で)

 

 

 

《追記》~静岡県立図書館も計画見直しに

 

 図書館建設の反対を争点にした市長選で勝利した静岡県伊東市の田久保真紀市長が学歴詐称問題で揺れる中、今度は静岡県立図書館が補助金の減額によって、計画の大幅な見直しを迫られる事態になった。公共施設に対する国の補助制度は財源難の中で厳しさを増しており、当市の新図書館問題も”対岸の火事”と安穏できない情勢になってきた。詳しくは以下から。

 

静岡 新しい県立図書館 財源不足で計画見直しへ - NHKオンライン

 

財源不足で新県立図書館整備計画見直し 静岡県教育長が陳謝 ...

 

新県立中央図書館の財源不足問題で教育長に再発防止策の策定 ...

 

 

 

 

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政治家とその道を志す方々に読んで欲しい本…まずは『ドウリズムの政治』から~次期市長選は来年1月25日に!!??

  • 政治家とその道を志す方々に読んで欲しい本…まずは『ドウリズムの政治』から~次期市長選は来年1月25日に!!??

 

 「僕が何か一言話すたびに猛烈な拍手が起こり、女の人たちはボロボロ涙を流して泣き出し、自分でももう何を話しているのかわからなくなった。限りない感激だった。私は『もうひとつの政治』を発見した気がした。草の根にある政治の芽を見つけたのだ。物言わぬ大衆のなかに、本当に道理の感覚があることを知ったのだ。この人たちを失望させてはならない、期待に応えなくてはならない、と決意した」―

 

 かつて、このまちにこんな思いを政治に託した首長がいた。社会党(当時)の副委員長にまで上りつめた北山愛郎(1905―2002年)である。昭和22(1947)年まで旧花巻町長を2期務めた際の「北山流デモクラシー」の原点がこの「道理主義」(ドウリズム)だった。母親の世代が「アイロ-さん、アイロ-さん」と叫びながら、選挙カ-の“追っかけ”をしていた光景を子ども心に記憶している。北山町政の一部始終はひとり娘の郁子さんが執筆した『ドウリズムの政治』(2010年)にまとめられている。

 

 あれから幾星霜…平成26(2014)年、今度は「花巻に新しい風を」をスローガンに掲げた現職の上田東一市長がその座を射止めた。北山と同じ東京大学法学部を卒業した新市長に対し、私は「同学の先輩の政治哲学をぜひ、市政に生かしてほしい」とこの本を携えてお祝いに駆けつけた。さらにそれから10年有余、上田市政の4期目を控えたいま、来年1月の市長選に向けた動きが慌ただしくなってきた。すでに、新人3人が出馬の意向を表明し、現職は沈黙を守ったままである。

 

 『なぜ豊岡は世界に注目されるのか』というタイトルの本が私の手元にある。著者は兵庫県議会議員を3期務めた後、2001年から豊岡市長を5期20年間務めた中貝宗治さんである。「コウノトリ『も』住めるまちを創る」―をモットーに掲げる中貝さんは人口減少社会を生き抜く地方都市の方向性について、こう書いている。ちなみに、同市には「コウノトリ共生推進課」があり、”コウノトリのまち”として知られている。

 

 「地方に暮らす突き抜けた価値の創造、生きる場としての突き抜けた魅力の創造。そのキーワードは『深さと広がり』。旗印は小さな世界都市(Local&Global-City)です」―。市内に現存する「出石永楽館」(1901年建立)は近畿地方で最古の芝居小屋で、永楽館歌舞伎の舞台でもある。空前のブームをわき起こしている映画「国宝」(2025年6月公開)の舞台シーンもここで撮影され、一躍注目を集めた。「県立芸術文化観光専門職大学」(4年制)を創設するなどその芸術・文化(+観光)にかける情熱は計り知れなかったが、一方で思わぬ事態が降ってわいた。

 

 「演劇の町なんかいらない」―。2021年4月に行われた豊岡市長選で、芸術・文化に力点を置く“中貝”市政を批判した新人候補に1665票の僅差で敗れた。新花巻図書館の立地問題で、市民の民意が二分された当市の事情と似てなくもない。その「上田」市政を総括する選択の時はもう、数か月後に迫っている。よだれが出るような「まちづくり」の手腕に引き込まれているうちに私は宮沢賢治にあやかって、「イーハトーブはなまき」を「小さな宇宙都市」(Local&Cosmic-City)と名づけたい欲求にかられる。「深くて広い」時空間を兼ね備えている(賢治の)銀河宇宙こそがそれにピッタリだと思ったからである。

 

 来るべき市長選に向け、候補者各位には夢膨らむような広大で無辺な「イーハトーブ」の未来図をぜひ、示してほしいと思う。中貝さんはこうも述べている。

 

 「だからこそまちづくりには、自分事となる人が増えるように、対話による『一歩ずつ、一歩ずつ』の“発酵熱”の醸成が不可欠であり、時間と忍耐が必要になります。その時間の経過に耐えられるかどうかが、事の成否を大きく左右します。そしてリーダーは、地域の未来を切り開くためにやる価値があると自ら信じる事柄について、“発酵”が途切れることなく、一歩ずつ、一歩ずつ前に進むように旗を掲げ続けなければならないと私は考えています」

 

 

 

 

 

(写真は少子高齢化時代の「まちづくり」入門書として、注目を浴びる中貝本)

 

 

 

《追記》~次期市長選は来年1月25日

 

 任期満了(令和8年2月4日)に伴う花巻市長選は令和8年1月18日に告示され、同月25日に投開票されることが決まった。9月1日現在の有権者数(選挙人名簿登録者数)は男性36,677人、女性40,493人の計77,170人。すでに、新人の3人が名乗りを上げており、他の出馬の動きと現職で3期目の上田東一市長の去就が注目される。

 

 

 

 

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「議員ファースト、やめて」…議員報酬引き上げに再考を求める陳情書を提出!!??

  • 「議員ファースト、やめて」…議員報酬引き上げに再考を求める陳情書を提出!!??

 

 議員報酬の引き上げに関する陳情書を22日に提出した。ここに至るまでの経緯には重要な前段があった(詳しい顛末は7月13日付当ブログ参照)。去る7月9日、何の前ぶれもなく突然、最大幅で月額10万円のアップ案が市民説明会で示された。そのちょうど1カ月前の6月10日、5年以上に及んだ新図書館問題について、議会側は賛成16反対8の賛成多数で市側の「駅前立地」にゴーサインを出した。「駅前か病院跡地か」―。市民を二分した“立地”論争について、ある議員が賛成討論に立った。「いつまでやってんのか」ー。選良としての品位を疑わせる発言にびっくりした。

 

 その余韻が冷めやらない中で、今度は「報酬引き上げにご理解を」と議員一同が頭を下げている。市民をどこまで愚弄(ぐろう)するつもりかと強い憤りを抱かざるを得ない。そんな中、旧花巻病院跡地への図書館立地を求めている市民グループは全議員(25人=欠員1人)を対象にアンケート調査(公開質問状)を実施したが、半数以上の14人が回答を拒んだ。「市民の信託を受けた市の代表機関」(「議会基本条例」前文)が機能していないことを思い知らされた。「議員は市政全般についての課題及び市民の意見、要望などを的確に把握するとともに…」―。同条例(第5条)は「議員の活動原則」について、こう定めている。

 

 「日ハ君臨シ カガヤキハ/白金ノアメ ソソギタリ/ワレラハ黒キ ツチニ俯シ/マコトノクサノ タネマケリ」―。稗貫農学校(現花巻農業高校の前身)の教師時代、宮沢賢治は校歌がなかった生徒たちのために自ら作詞した「花巻農学校精神歌」を送って励ました。銀河宇宙を突き抜けるような清冽(せいれつ)なこの歌はいまでは“市民歌”としても親しまれている。ちなみに、現職の中にはこの学び舎の門をくぐった同窓議員が複数人いる。「そこで学んだはずの“賢治精神”は一体、どこに…」と問いたい。ついでに言うと、「駅前立地」へは諸手を挙げた、これらの同窓議員はそろって、アンケートへの回答は拒否している。

 

 花巻市は将来都市像を高らかにこう謳っている。「豊かな自然/安らぎと賑わい/みんなでつなぐ/イーハトーブ花巻」―。受難者に寄り添うというこの精神、つまり「公共への献身」を全議会人で共有して欲しいと切に願いたい。市議としての「原点」に立ち返り、報酬のあり方そのものを市民とともに再考する真摯な論議を心から期待したい。なお、今回の陳情は9月29日開催(予定)の「市議会議員報酬調査検討特別委員会」(高橋修委員長)に付託され、審議される。

 

 

 

<議員報酬引き上げに関する陳情書>

 

 

件名: 議員報酬引き上げに関する市民説明と意見聴取の徹底について

 

趣旨:議員報酬を月額339,000円から最大幅で439,000円へ引き上げる提案について、花巻市議会基本条例およびまちづくり基本条例の理念に基づき、市民への十分な説明、意見聴取、透明な手続きの確保を強く求めます。あわせて、厳しい経済情勢と市民感情をふまえた再考を要請いたします。

 

理由:物価高と円安の影響により、市民の暮らしは極めて厳しくなっています。食品価格は高騰し、実質賃金は過去3年間低下が続いています。光熱費や生活必需品の支出に苦しむ市民にとって、議員報酬の10万円増額は「議員ファースト」と捉えられても仕方がありません。市民に選ばれた議員が、自らの報酬を引き上げることには極めて高い説明責任が伴います。ところが、これまでの議論は十分な情報開示もないまま進められており、多くの市民が経緯を把握できないまま、報酬引き上げが先行した形です。

 

 花巻市議会基本条例第24条第2項は、報酬改定時に「市民の意見を参考にすること」を定めており、第8条・第9条も説明責任と応答責任を明示しています。また、まちづくり基本条例でも、市民参加による熟議と合意形成が原則とされています。一部で「市民説明会」が実施されたとはいえ、広報の範囲や議論の中身は不十分で、議員一人ひとりの賛否理由すら説明されていない現状では、市民の納得には到底つながっていません。

 

 このまま拙速に議決すれば、議会そのものへの信頼が大きく損なわれかねません。報酬引き上げに先立つべきは、まず信頼の回復であり、十分な説明と参加の機会です。

 

要望事項

1.報酬引き上げの根拠資料や審議経過の全面公開

2.議員個々の賛否理由の説明責任の履行

3.市民が参加可能な説明会や意見交換会の再実施

4.パブリックコメントなど市民意見を反映する制度の導入

5.現下の経済状況をふまえた慎重な再検討

 

 本件は、報酬額の問題にとどまらず、議会制度の信頼と正統性に関わる重要課題です。市民の声に真摯に向き合い、開かれた議論を尽くすことを強く要請いたします。

 

 

 

 

 

(写真は報酬引き上げを協議する報酬特別委員会=8月1日午後、花巻市議会委員会室で)

 

 

 

≪追記≫~misunderstanding

 

 「市政堂」を名乗る方から、議員報酬にからんだ次のようなコメントが寄せられた。

 

 「『市民の大切な税金を預かっている』―。以前は市長の口から何度かこのセリフが発せられたが、このところ、とんと聞かなくなった。市長擁護の議員たちに囲まれ、市民の税金を好きなように使おうとしているように見受けられる。そもそも市長をはじめ議員たちの報酬は、誰のおかげで手にしていると思っているのか?市民の税金ではないか!多くの市民の声に耳を傾けることもなく、チェック機能を持たない議員たちの必要性に疑問を持つ」

 

 

 

 

 

 

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「記憶」の再生…戦後80年の「8・15」に想うこと~歴史の“無化”に抗(あらが)いながら!!??

  • 「記憶」の再生…戦後80年の「8・15」に想うこと~歴史の“無化”に抗(あらが)いながら!!??

 

 戦後80年―。先の大戦の戦争“遺児”もすでに85歳の老境を迎えた。戦争の真っ只中に「生」を受けたはずの当人の記憶の中から、その“戦争”が日々薄れていく。敗戦の日の8月15日、何か急かされるような気持で、私は地元の博物館へと急いだ。そこではテーマ展「戦争と花巻」(7月5日~8月24日)が開かれていた。めっきり弱った足腰の動きを気遣って、受付の館員が使い勝手のいい車いすを用意してくれた。たっぷり、2時間。えぐられたような穴が開いた黒い塊(かたま)りが目に飛び込んできた。

 

 「九九式双発軽爆撃機(胴体部分)」と書かれた説明版にはこう書かれていた。「後藤野飛行場から出撃した渡邉秀男少尉(享年22歳)が搭乗し、福島県原町(現南相馬市)に墜落した特攻機の一部です」―。後藤野飛行場(現北上市和賀町後藤)は昭和13(1938)年に建設され、「最北の特攻出撃基地」と呼ばれた。敗戦末期には陸軍特別攻撃隊の隊員8人が配属され、そのひとりが静岡県出身の渡邉少尉だった。釜石市が2度目の艦砲射撃に見舞われた8月9日、3機に出撃命令が下され、渡邉機は太平洋上の連合艦隊への突撃を試みたが、何らかのトラブルが発生。原町郊外の山林に墜落したとみられている。

 

 「兵隊さんの魂が入っているから…」―。80年ぶりに“ふるさと”岩手に戻ってくるきっかけは墜落現場に住む地元民たちのこんな思いがあったからである。まもなく「軍神」となるはずの若き特攻隊員たちには出撃前、ひと時の「家庭のあたたかさ」を味わってもらうため、民家への寄宿が提供された。渡邉少尉はいまも続く当市の味噌・醤油製造の老舗「箱崎醤油店」に約2週間ほど身を寄せた。死出の旅立ちを前にそこでは一体、どんな会話が交わされたのであろうか。

 

 渡邉少尉の短い一生を追想しているうちにふと、心づいた。「そういえば、14年前に福島原発事故が起きたのは少尉が非業の死を遂げた現場からわずか20キロほどしか離れていなかった」―。この不思議な偶然に頭を混乱させながら、私はこの日のために携えてきた一冊の本のページを繰(く)った。

 

 『80年越しの帰還兵―沖縄・遺骨収集の現場から』(新潮社刊)―。ともに大手新聞社出身のフリージャーナリスト、浜田哲二・律子夫妻の2冊目の“記憶”の配達日記である。前著『ずっと、ずっと帰りを待っていました―「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』(同社刊)については、2024年4月4日付の当ブログで紹介した。失速し、ぐるぐると宙を旋回する渡邉機の機影が、続編とも言える本書と二重写しになった。「佐岩さん、あなたは誰ですか」という一節が目に止まった。

 

 20年以上、沖縄で戦没者の遺骨収集や遺留品の返還運動を続けてきた浜田夫妻は3年前の初冬、糸満市の現場で「佐岩」と彫られたハンコを見つけた。「珍しい名前だから、すぐ遺家族に返せる」と思った。しかし、当ては完全に外れた。「平和の礎(いしじ)」がある平和祈念公園のデータベースにも「佐岩性」は記録されていなかった。自分たちで収集した部隊資料の中に「佐藤岩雄」という名前があった。北海道の出身で、大隊の第三中隊に所属していることが分かった。「名字と姓を一文字ずつ組み合させたとしたら…」

 

 印章学の研究者、ハンコ屋の業界団体である全日本印章業協会…。「佐藤岩雄さんが、“佐岩”というハンコを持っていた可能性は十分あります」―。協会の福島恵一会長はこう話し、続けた。「姓と名の一文字を取ったハンコでも印鑑登録は認められています」。はやる気持ちを押さえながら、夫妻が北海道に向かったのはその年の6月。地元警察や町役場、印章業協会から紹介された地元のハンコ屋さん、果ては映画「ゴールデンカムイ」で有名になった旧陸軍第7師団の「北鎮記念館」、北海道護国神社…。記者時代に鍛えた“地取り”調査(聞き込み)が役に立った。こんな記述に涙がボロボロとこぼれ落ちた。

 

 「家族をとても大切にする伯父だった思います。遺骨や遺品が何も返らないのがよほどつらかったのでしょう。父親は旅行に行く知人に頼んで手に入れた沖縄の土を墓に納めたと聞きました。岩雄が持っていたハンコだと思います。こんな小さなものでも伯父の証。いただけますか。仏壇に供えて供養したい」―。競走馬の産地として知られる新ひだか町(旧静内町)に住む、岩雄さんの弟・武さんの長男である秀人さん(64)は慈(いつく)しむようにハンコをなでながら、こう語ったという。

 

 「昭和20年12月16日、栄養失調症により、ソ連ウスリ-州ウオロシロフ地区リポ-ウツイ収容所で戦病死」―。黄色に変色したその紙片(戦死公報)にはこう書かれている。渡邉少尉の数奇な運命、そして戦火に散った「記憶」の配達に奮闘する浜田夫妻の姿を思い浮かべながら、私は無意識のうちに父親の記憶をさかのぼっている自分に気がついた。敗色が濃厚になった昭和19年夏、旧満州(中国東北部)へ。約1年後の敗戦でソ連軍の捕虜となり、シベリアの収容所に抑留された。享年37歳だった。

 

 「捕虜たちの仕事はほとんどが石炭堀りだった。みんなガリガリにやせこけてね。タバコを差し入れしたこともあった。多くの人が死んだらしいけれど、みんなそのまま土に埋められたと聞いている。日本語の唄がいつも聞こえてきた」―。今から35年近くも前、私は父親の面影を求めて、元収容所跡を訪ねた。目指した場所は「ソ満」国境のウスリ-河のほとりにあった。荒涼とした草原が捕虜たちの“墓所”だった。シベリア抑留者は総数で約64万人といわれ、うち約6万人が死亡している。村人たちは当時の記憶を昨日のことのように記憶していた。私は道端に転がっていた石炭のかけらと異国の土くれを持ち帰り、いまは亡き父母が眠る墓にそっと、納めた。

 

 「記憶の再生」という言葉がふと、口元に浮かんだ。戦後80年の節目の2025年―。歴史の記憶を修正したり、捏造(ねつぞう)したりする“狂気”が日本列島をおおいつつある。「息が詰まりそうな日常から少しでも逃れたい」―。そんな思いにかられた私は父親の唯一の“形見”である2冊のノートを仏壇から取り出した。父親が通っていた慶應義塾大学理財科(当時=現経済学部)の講義記録である。万年筆でびっしり書かれた字面から、几帳面だったその性格がしのばれるが、私自身に生前の記憶はない。

 

 「哲学」ノートの一節にこんな文章が載っている。「霊魂ノ救済ハ矢張リ、一ツノ情熱ヲ感ズル所ニアルガ、而シソコデハ霊魂ノ本質ガ凡ユル感覚的ナ障害カラ超越シテ居る場合デアル」―。「霊魂の救済」という言葉が胸に突き刺さった。そして、思った。「こんな“哲学っ気”が今の私と似ていると言われれば、似ているのかもしれないな」と…

 

 朝鮮半島出身者、台湾出身者、さらにアイヌ民族や連合国軍捕虜…。浜田夫妻は「そこに眠るのは『日本人』だけではない」と題した最終章をこう結んでいる。「戦争が生む悲劇と薄れゆく記憶に立ち向かうべく、沖縄で戦没者に向き合うアイヌにルーツを持つ若者と、遺骨収集を続けてくれている若き記者。あの戦争から80年、日本の未来も捨てたものではない」―。私にとっての80年目の「8・15」はこんな風にして、過ぎていった。そうとは気づかずに「記憶の再生」を試みていたのかもしれない。(コメント欄に関連写真を2枚掲載)

 

 

 

 

 

(写真は渡邉少尉が搭乗していた特攻機の胴体部分=花巻市高木の花巻市博物館で)

 

 

 

≪追記≫~アイヌ戦没者の消息を求めて!!??

 

 当ブログをアップした直後の18日午前11時すぎ、文中に紹介した浜田哲二さんからさっそく、返信があった。こう書かれていた。そのナミダが一体、何だったのか。読みながら、ふたたび「滂沱(ぼうだ)の涙」が流れ落ちた。

 

 「現在、北海道に来ています。アイヌ民族の戦没者を追いかけているのです。これが簡単ではありません。〈道東の〉白老に一軒家を借りて、コタン(集落)を回る日々。差別され続けた方々の苦難は、並大抵なものではないことを改めて知らされました」ー。浜田夫妻の『80年越しの帰還兵』によれば、沖縄戦で犠牲になったアイヌ出身の“日本兵”は43人に上っている(北海道アイヌ協会調べ)


 

 

 

 

 

 

 

 

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 「宮沢賢治の里にふさわしい新花巻図書館を次世代に」―。「病院跡地」への立地を求める市民運動グループは七夕の7月7日から、全世界に向けたオンライン署名をスタートさせた。イーハトーブ図書館をつくる会の瀧成子代表は「私たちは諦めない。孫やひ孫の代まで誇れる図書館を実現したい。駅前の狭いスペースに図書館を押し込んではならない。賢治の銀河宇宙の果てまで夢を広げたい」とこう呼びかけている。

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(『春と修羅』序)―。賢治はこんな謎めいた言葉を残しています。生きとし生ける者の平等の危機や足元に忍び寄る地球温暖化、少子高齢化など地球全体の困難に立ち向かうためのヒントがこの言葉には秘められていると思います。賢治はこんなメッセージも伝え残しています。「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう、求道すでに道である」(『農民芸術概論綱要』)ー。考え続け、問い続けることの大切さを訴えた言葉です。

 

 私たちはそんな賢治を“実験”したいと考えています。みなさん、振って署名にご協力ください。海外に住む賢治ファンの方々への拡散もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

 

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