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あまり面白くない漫才。

  • あまり面白くない漫才。
わたしにとっては、ということになりますが。

マキノ洋一・初枝という漫才師をご存知でしょうか。知ってる方は是非連絡を!語り合いましょう。
いまでは余り見られなくなりましたが、男性がアコーディオン、女性が三味線を持って出てくる古い漫才でした。
私が見たのは、米沢で行われた新春寄席という催しでした。多分毎年行っていたはずだが、私が見に行ったのはその時一回きりです。

マキノという片仮名の亭号を使っているところをみると、マキノ省三率いるマキノ映画の系統でしょうか。省三の息子で東映でエンターテイメントピクチュア(主に実録なんとかいうヤクザ映画とか清水の次郎長、、、これもヤクザ映画ですね)を撮っていたマキノ雅弘亡き後は、沖縄アクターズスクールのマキノ正幸(雅弘の長男)、津川雅彦(雅弘の甥)が映画監督のときに用いるマキノ雅彦がこの姓を用いています。
芸能の歴史の深さを感じます。アムロもスピードもこの上に乗っかっているわけですねぇ。

滋賀県高島市(高島屋発祥の地)マキノ町というのもなぜか片仮名です。
紅茶キノコなどを流行らせた出版社もマキノ出版です。
なぜ片仮名なのだろう。ご存知の方がいらっしゃれば教えてください。

さてこの漫才、たぶん最初から最後までほとんどくすりともしなかったと思います。だれもガハハなんて笑う人はいません。
だからといってそれが悪いわけではなく、口座にはいい風が吹いているのです。
筋はもう何十年もまえに書かれたもので、殆んどこのネタで来た方々なのでしょう。なにか軽いコント風のお話の落ちのあと、簡単なミュージックでブリッジする感じです。
だからお客の笑いがなくとも淡々とネタは進んでいきます。その進み方がまあ、自然なのですね。なんかフランス小咄みたいな感じもしました。なにをもってフランス小咄かは分かりませんが。

こういう漫才もあるし、これもいいと思います。20年ぐらい前の話です。その頃でもすごく時代錯誤を感じました。よくも平成まで残ったなと。もし健在であればまた見てみたいと思います。一回松尽くし(松を書いた扇をいっぱいにもって踊るやつ、現在では玉川スミ師はやれねぇかなぁ、90近いし)で花王名人劇場かなんかに出たような気もするのですが、はっきり分かりません。
17、8年前に談志師匠が書いた本に、懐かしの漫才としてマキノ洋一・初枝とありました。本人を見てから2,3年しか経っていなかったので、不思議な感じがしました。中央の歴史からは既に消えていたのでしょう。

2009.06.30:mameichi:コメント(4):[芸能音楽の50]

盲目のピアニスト

  • 盲目のピアニスト
私はクラシックのことは分からないので。

ジャズでは何といってもアート・テイタム。但し全盲ではなく若干光は確認できたようですが。バカテク技巧派というイメージです。早いアルペジオのパッセージにはいろいろなパターンが駆使されており、ちょっと聞けばこの人と分かる演奏。

イギリス生まれのジョージ・シアリングは今も健在と聞きます。もうやってはいないかなぁ。8月で90歳、バードランドの子守唄という粋な曲を書いています。彼のテーマ曲でもある「9月の雨」はナベプロ社長だった渡辺晋のシックスジョーズのテーマ曲でもありました。ピアノとギターとビブラフォーンのユニゾンが中々乙なものです。

レイ・チャールズは県民会館に見に行きました。ヴォーカルの方に耳がいってしまいますが、ピアニストとしても一流です。もう一人スティビー・ワンダーもどっちも素晴らしい。

洋の東西を問わず、盲目の人が出来る商売の一つの選択肢として音楽はあって、日本では検校といわれる人が地歌の世界を作り、代表的なのは琴の宮城道雄でしょう。

この辺では新潟から瞽女がやってきました。かみさんのじいちゃんは今年101歳、その父親が歌舞音曲好きで、瞽女を泊めてうちで興行したことがあったそうです。いつごろの話か尋ねると、「小学校に入って数年して、、、」
、、、90年ぐらい前なのですね。
2009.06.17:mameichi:コメント(0):[芸能音楽の50]

今宵は虎造節で、、、

  • 今宵は虎造節で、、、
秋葉路や 駿河の国に茶の香り  流れも清き太田川 若鮎踊る頃となり 松の緑の色も冴え 遠州森町よい茶の出処 娘やりたやお茶摘みに
ここは名代の火伏せの神 秋葉神社の参道に 産声上げし快男児 昭和の御世まで名を残す 遠州森の石松を 不弁ながらも務めましょう。

廣澤虎造という人は、啖呵も節もいいが、なにせ声量に乏しい。これは浪花節語りにとってはその当時ある意味致命的でした。だから東京の寄席みたいなところはいい、お客さんが百から精々二百人だから。
但しそのころの浪曲の人気はそんな小屋では賄えない。両国の国技館を一杯にする、或いは浅草国際劇場。二千、三千という興行です。そんな時はピアノ線を張り巡らしてそれに声を乗せてPAの代わりにしたものだそうです。
でも通常は地方公演、いわゆるドサ廻り。こういう細工は出来ないので自分のノドが頼りです。
その後マイクとアンプとスピーカーが発達して、更にラジオの時代になります。そうすると声の大きさよりも、話の内容では虎造は負けません。一躍大スターとなります。

それと同様のことが海の向こうアメリカでも起きていました。20世紀に入ってニューオリンズで生まれたジャズはミシシッピーを遡りシカゴで花開きます。世は禁酒法時代、やっちゃいけないといわれると派手になるのが人情、酒を飲んでドンチャカ騒ぎをするホールもどんどん大きくなり、それに従ってバンドの人数もどんどん増えていきます。
その時テナーサックスをソロ楽器にしたのがコールマン・ホーキンスという親方。音色、音量共に完璧でその後ベン・ウエブスター、レオン・チュー・ベリーなどが追従しました。その時虎造同様、アイデアには優れているが残念ながら音量に欠けていたのがレスター・ヤングというサーカス出身のサックス奏者。ビリー・ホリデーなどの一部の識者からの支持はありましたが、よいマイクが出来た頃には麻薬でいい演奏が出来る体ではありませんでした。

虎造は長く絶頂期を務めるのですが、録音中声が出なくなり脳梗塞で人前での口座には立てなくなります。なにも話せずに、口上でお辞儀をするのみの引退の全国ツアーが組まれ、本人もつらい思いをしたことと思います。

但し、レコード、CD,カセットの虎造はいつも元気に明るい声でからっとした博打打ちの話を今日も聞かせてくれます。是非機会があれば虎造の石松三十石船道中で爆笑していただきたいと思います。

「江戸っ子だってねぇ」「神田の生まれよ」「そうだってねぇー」これです!
2009.06.11:mameichi:コメント(4):[芸能音楽の50]

一節唸りましょうか?

  • 一節唸りましょうか?
「火事喧嘩 伊勢屋稲荷に初鰹 その名物の数ある中で 火事と喧嘩は江戸の華 背中に彫った彫り物が一二、三次の名を残す 体一面野狐の少年時代の物語 お粗末ながらも勉めましょう」

中学高校のときに憶えたものですが、これは春日清鶴(かすがせいかく)という先生の節で、小粋な江戸前の芸だったと聞かされたものです。これを覚えた頃には本人はとうに亡くなっていました。大学のゼミの宴会でこれと虎造だかをやらしてもらった事があります。今考えてもかなり恥ずかしいです。

そのころは浪曲という芸はもはやかなりマイナーになってはいましたが、NHK第一の「浪曲十八番」とかまだ民放でも「早起き名人会」などというところで一週間に2回ぐらいは聞けたものでした。また夏になるとNHKTV「昼のプレゼント」で浪曲道場ということであのころは東家浦太郎師匠が師範代となり素人のど自慢をやっていました。60過ぎの農家の親父とかがまた、うまいんだこれが。

自分が好きな物語と音楽が一体になっているこんなに面白い芸がなぜ廃れていくんだろう、などと子供心に思っていました。浪曲物真似の前田勝之助なんていうひととか浪曲手品の布目貫一なんという人もいました、いました。

米沢に帰ってきたのが20年ほど前でしょうか。世の中はCDの時代になっていましたが私はまだレコードしか持っていなかったんですね、考えてみれば。長井のTASの近くにあったホームセンター(今はない)で廣澤虎造3枚組みのCDを購入、それからCDウォークマンみたいなものを買ったのがCD体験の始まりでした。
そのCDも何となく命脈尽きそうな雰囲気ですね。MDあたりはほぼ終わってますし。無駄に道具を買わせられた感があるのは否めません。

多分生で聞いたのは1,2回でしょう。しかも誰のかはなぜか覚えていません。
是非聞いてみませんか。面白いんだから、虎造からね。
2009.06.04:mameichi:コメント(0):[芸能音楽の50]

営業で演奏する場合の諸注意。

  • 営業で演奏する場合の諸注意。
先週の火曜日は久しぶりに宴席の営業の演奏でした。無事終了したわけですが、こういった場合どのように振舞えばいいのでしょうか。

基本的にうちのバンドの場合ビッグバンド編成ですので、大きな会場で大人数が前提となります。なんといってもラッパとサックスで少なくとも10人程度は入ってますから。五月蠅いんです。
基本的には会合などが終了してから乾杯のあとのショウタイム、という場合が多いようです。実際食べたり飲んだりするのが佳境に入り、自分の席を立って友人とお話したり、好みの女性のそばへ、などというタイミングのことが殆んどです。
ですから、最初は結構いぶかしげというか、微妙な状況から始まってしまいます。最初の曲が終了しても拍手などは大体まばらでしょう。

曲が進むにしたがって、自分たちが少しづつ暖まってきて、ノリが出てくれば占めたものです。聞いている人のことが気にならなければそれはそれでうまくいく場合が多いです。
そうなればいいのですが、非常に空気が硬くて、何をやっても拍手もなければ殆んど誰も聞いていない、なんということも何度あったことでしょう。
そういう場合は、諦めることが肝要です。淡々と終りまで演奏するのです。

そうはいってもこの不景気の世の中、こういったバンドを呼んでくださるというのはありがたいと思います。
今年は12月5日土曜日にスターダスターズの第10回コンサートが開催の予定です。
是非お誘いあわせのうえご来場ください。

明日から6月のコーヒー、葵月と、夏珈琲がデビュウです。是非試飲にいらしてください。
2009.05.31:mameichi:コメント(0):[芸能音楽の50]