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米沢出身の芸能人といえば、、、

  • 米沢出身の芸能人といえば、、、
現在はあき竹城の独壇場といった感がありますが、私たちが子供のころは伴淳三郎、通称バンジュンがぴか一でした。
とにかく芸能には縁のない土地柄で、あとは島倉千代子とデュエットしたりしてたコロムビアレコードの歌手山形英夫、松旭斎なんとかとか言ったおじいさんの手品師、新宿だか上野だかで流しをやっていたおやじ、当地米沢出身ではそんなところしか記憶にありません。

そのバンジュンの映画祭が9月6日(日)市民文化会館で行われます。
映画3本と映画監督瀬川昌司氏のトークショウもあります。

ちなみに瀬川さんの弟さんの瀬川昌久氏は著名なジャズ解説者で、富士銀行(こういう銀行でも今は名前さえも無いんですね)のニューヨーク支店時代にチャーリー・パーカーを生で観た数少ない日本人です。
そういえば米沢になんと富士銀行があったんですよねぇ。立町の荘内銀行は元々富士銀行だったんです。安田銀行の番頭をやっていた結城豊太郎のコネなのでしょうか。たぶんそうでしょうな。

チケットも豆いちで取り扱っておりますので、興味のある方はお問い合わせください。
2009.08.31:mameichi:コメント(0):[芸能音楽の50]

as long as i live(生きている限り)

  • as long as i live(生きている限り)
出来るだけ長生きしてずっと君を愛し続けたいけど、
多分僕が望むほどには、長くは生きられないんだろうな。
人生はそんなに長くはないから。
でも、生きている限り君を愛そう。

ハロルド・アーレン作曲、テッド・コーラー作詞のミュージカル「コットンクラブ・パレード」の中のナンバーです。
ちょっと年が往ってから若い彼女でも出来たのでしょうか。

写真のボビー・トループ、アニタ・オデイ双方のアルバムにこの曲が入っていて、双方ともいい感じでスゥイングしています。トループはビッグバンドで、アニタはクァルテットでヴァースから唄っています。

間奏は双方ともギターが取っていて、アニタは前半16小節、後半16小節はポール・スミスのピアノでこれもいい感じです。
片やトループはヴォーカルでもところどころギターが絡んでいて、間奏はやはり前半16小節、その後もずっと絡み続けギター&ヴォーカルのショウケースになっています。
16小節、小粋にアドリブを決めるのはすごく力量がいると思います。
とにかくゴキゲンですよ。

このギター奏者は双方とも名手バーニー・ケッセルです。
唄うがごとき彼のギター、機会があれば是非お聞きください。



2009.08.28:mameichi:コメント(3):[芸能音楽の50]

ウォーターメロンマンの一夜。

  • ウォーターメロンマンの一夜。
今から23年前の1986年10月5日深更、ハービー・ハンコックが新宿ピットインでピアノを弾いていた。他のメンバーは、ペーター・ブロッツマン(sax)、故ソニー・シャーロック(g)、ビル・ラズウェル(el-b)、ロナルド・ジャノン・ジャクソン(ds)、「LAST EXIT」の面々である。それに日本人ゲストの坂田明(as)。

その頃入っていたバンドのメンバーから「ハービーが来る」という情報を得たのだ。ハービーとしか聞いていないので、もしかしたらハービー・マン(fl)かハービー・ニコルス(p)、ハービー・スチュアート(ts)そして----人形あたりも疑ってみたのだが、現場に行ったら間違いなくハンコックがピアノの前に座った。
やった音楽はフリーミュージックというよりノイズミュージックで、すごいことはすごかったのだが、ただただうるさかった印象が強い。ガマンして聞いていたという感じが適当だと思う。
ただその頃そういうのも多くて、それはそれで楽しくないこともなく、耳がグァーン、グァーンなりながら会場を後にすることもあったのだ。

多分大学4年の年で、余り就職などということも考えずに生きていた頃で、その後成り行きでなったサラリーマンのころには別のバンドにおり、その頃のバンドのメンバーとはもう随分連絡が取れていない。

深夜0時から始まったセッションは、いつどのようにして終わったのかも記憶にないが、その夜は多分新宿の誰かの家に泊めてもらったのだろう。

ハンコックのメロンマンを聞くと一寸思い出す一夜なのだ。
2009.08.22:mameichi:コメント(0):[芸能音楽の50]

レス・ポール氏を悼む。

  • レス・ポール氏を悼む。
ロックギタリストに愛用されているレスポールというギターを作ったレス・ポール氏が13日にニューヨークで亡くなりました。94歳、最近までライブ活動を行っていたようです。

多重録音を開発した人としても著名であり、私が持っているアルバムも、ギターと奥さんであるメリー・フォードのヴォーカルも多重録音されたものとなっております。

ギター名手&女性ヴォーカルというパターンを作ったのもこの方ではないでしょうか。

その後ミッキー&シルビア、つなき&みどり共にこの感じを踏襲しています。

そのギターはジャズギターではあるのですが、かなりカントリー&ウエスタンの入った奏法のようで、明るいです。

彼のヒット曲は『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』と『世界は日の出を待っている』です。
明るいのです。
2009.08.15:mameichi:コメント(6):[芸能音楽の50]

昭和と平成の狭間で、、、

  • 昭和と平成の狭間で、、、
6月末になると美空ひばりの命日ということでどこかの局で特集番組が組まれます。

私が所属するスターダスターズというバンドは、いわゆる営業(依頼演奏)の場合、よく「川の流れのように」を演奏します。2コーラス半の繰り返しなのですが、簡単なアレンジにしてはよく出来ていて、段々気持ちが乗ってくるので時々使わせていただいております。

この曲は平成元年(1989)年1月11日にシングルカットの発売になったのですが、平成という時代はこの年の1月8日から始まったため、平成最初の大ヒット曲(150万枚)といえましょう。

前年(1988年)より昭和天皇のご病状が思わしくなく、演歌歌手の伴奏の仕事をしていた先輩は殆んどの公演がキャンセルになり、ちょっと世間も騒然としていた頃です。
私は東京でサラリーマンの真似事のようなことをしており、崩御当日は背広に喪章をつけて仕事をしていました。とはいうものの大して仕事をするといった雰囲気でもないようでした。

大葬の礼が新宿御苑で執り行われ、すこししたある日、私は首都高を川口方面に進めていました。ラジオをつけると独特のちょっと鼻にかかったような声が耳に入ってきました。美空ひばりでした。ニッポン放送で10時間特番をやっていたのでした。すこし声はかすれ気味だったかもしれません。

そしてその放送から3ヵ月後の6月24日、今度は美空ひばりが天に召されていきました。
というわけで「川の流れのように」はリリースしてから半年もしないうちに本人が亡くなってしまった曲であり、まだそれほど歌いこまれていない曲なのです。
だからフルコーラスの映像を持っているのはTBSとCXと12chだけで、他の局は前記3社よりの借用となるらしいのです。

マイケルが50歳、ひばりが52歳、自分の歳と余り変わらないことにびっくりです。
但し二人とも子供の時からのいわゆる「天才」芸人だったわけで、実働は通常の人よりも補って余りあると言えましょう。私の場合、これから!ですから。

また双方ともスキャンダルの多い人生で、時々本人の至芸を覆いつくすような騒ぎになることもしばしばでした。
それも含めて不世出のスーパースターだったと思わずにおれません。

お二人のご冥福を心よりお祈りします。




2009.07.09:mameichi:コメント(0):[芸能音楽の50]