天元台高原のロープウエイ湯元駅と高原駅は、冬になると宿直者を1名ずつおいて、翌日の営業に向け、駅舎の清掃、施設入口などの除雪に、ロープウエイの試運転を行います。ときには高原で急病人など発生した場合に臨時でロープウエイを動かす必要があり、そのための役割もあります。17時で仕事が終わり従業員が湯元に戻ってくると、駅舎は戸締りして、あとは夕飯準備となる・・・自炊するかは自由・・私はメニューが餃子、シチュー、おでん、お好み焼き、たこ焼きだいたいこの繰り返し、そこにたまに釣り好きの人から差し入れがあります、今回はニジマスの燻製でした・・あぶらないでそのまま食べてというんでそのままパクリと行きました・・背のほうはちょうどいい塩加減でよかったけど、腹のほうは身が薄く塩加減が濃かったかな・・以前、生アジをさばいて刺身、塩焼き、フライにしたこともあり。アユの塩焼&寒風干し、ハタハタの丸干しもありました・・いずれも絶品の味・・またアユの寒風干し食べたいなー
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ほろは堂
昨日12月4日同じ窪田地区のほろは堂に行ってきました、「裸の餅搗き」で有名な、窪田の千眼寺境内(せんげんじけいだい)祀られる保呂羽堂(ほろはどう)、秋田県平鹿郡大森町の保呂羽山(483メートル)に鎮座する保呂羽山波宇志別神社に由来し、米沢藩重臣の色部氏(菩提寺が千眼寺)が分霊してきたことによるとあります。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の命により上杉景勝は出羽国の検地を行い、家臣の色部長真(いろべながざね)は秋田の大森城に留まり、年貢の徴収や治安の維持にあたりました。色部長真はこの大森在城中に、保呂羽山の神を深く信仰し、自分の領地である越後国の平林城(新潟県神林村)に分霊しました。その後、上杉氏の会津・米沢への移動に伴い、色部氏や千眼寺・保呂羽堂も米沢に移り、現在に至っています。
言い伝えでは、戦いの途中に道に迷った色部氏が、雉子に先導されて助かり、この雉子こそ保呂羽山の神の使いであったといいます。このため、保呂羽堂には美しい雉子(きじ)の絵馬が掲げられ、窪田地区には雉子を食べてはいけないと伝える家も多く残っています。今回初めて山友さんに誘われて、昼前11時半ころでしたので車は満車状態で込みあlってました、入口で持田家だと1000円、神の御札付き1500円、木の御札が2000円となります、餅つきは早朝から15時くらいまで10回ほどやってるようです、あんこ、納豆、雑煮の3種でお代わり自由、おしんこにお通しみたいのもついてます・・空いてる席について餅3種というと、ほどなく運ばれてきます・・ひとしきり食べてると餅つき始まりますと案内があります・・餅を突き上げるころには、せまい堂内に人がいっぱいでした。餅は2個入っていて10個めでギブでした。