9月12日曇り、NPO法人 ”ここ掘れ和ん話ん探検隊”主催の越後米沢街道・一三峠トレッキングで黒沢峠へ・・会の名前もなかなかいいネーミングでよく考えてるなと感心します・・もともと使われなくなった街道の峠道を守ることを目的に昭和55年土に覆われた敷石道を5年かけて掘り起こしたとあります・・ここ掘れのあと和と話がおりなす保存会の面々の苦労がわかります・・保存活動開始が1980年のことですから”あれから”40年ということですご苦労さんと思います・・おかげで気持ちよく通ることができますね・・一三ある峠のうち黒沢峠は米沢から6番目ですからだいたい真ん中辺、天保6年(1835)~慶応3年(1867)の間に整備補強完成したとありますおよそ1.8kmの間に敷石3600個というものです、広場に案内看板がありその歴史を知ることができます、敷石は現地調達でありその切り取り跡なども見ることができます・峠は約2.6kこの日はそんな暑くなく汗もかかずに気持ちよい秋の日最後に示した写真にみるように敷石道は見事なものです・・
イザベラバードの通った道(山形県小国町編)その3”朴の木峠(2/2)”
9月12日お天気曇り、涼しくてかえって良かった・・雨もなかったしまずまずの天気でした越後米沢街道・十三峠トレッキング今年度2回目の参加で朴の木峠へと山頂まで1時間ほどそこから下ると敷石道がありその先に地元で古くから”ばけもの杉”と呼ばれている古木の杉があります、峠道の脇で昔からどっしりとそびえたつ・・貫禄があります、樹齢に幹大きさも調査してないので不明だそうですけど・・多くの人をみてきたであろう古木霊気を感じます・・なんか古い街道という感じです、ほどなく進むと自然石に”右やまみち”、”左ゑちご道”とはっきりと見れる・・深く自然石に彫ってるのでそのまま残りますね風化しません・・側面に寛政9年とあります1797年200年以上も前なんです、右はここの集落の共有林であったということです、越後道と間違わないよう道しるべとして建立したようですが書体なんかもいい感じです、建立者も不明とのこと・・そして朴の木峠を下った最終場所は町の民家わきにでてきます、最後の写真大きな石碑が2個あるのですが草が茂って分かりにくいなんて書いてあったか聞いたけど忘れてしまった・・トレッキングではここにバスが来てくれて次の黒沢峠まで連れて行ってくれるのです・・
イザベラバードの通った道(山形県小国町編)その2”朴の木峠(1/2)”
NPO法人”ここ掘れ和ん話ん探検隊”主催の越後米沢街道・一三峠トレッキング今年はコロナの影響で10人限定の県内在住者のみの募集でした3回に分けた一三峠のうち第二回目9月12日のだけ参加、今年も山友ハイジさんと昨年に続き参加で二回目は朴木の峠と黒沢峠・・峠の入り口まではマイクロバスで連れて行ってくれるので助かります、バードが通ったのは明治11年の7月・・この翌年コレラが大流行した年になるわけです・感慨深いものです・・入り口から峠頂上までは約1時間ていど途中は何も見えないとこですが頂上に着くと視界が開けて天気よければですが飯豊山に朝日連峰が見れるところとの説明でした・新緑に残雪~夏の万年雪、紅葉に初雪、厳しい冬の厳冬の山飯豊とか四季折々に絶景にあえることもある・・この日はあいにくの曇りで遠くの山は見えませんでした・・少し降りると聖観音という立て看板が見える、その昔峠道の安全を願って祭られた、昭和53年道路改修の際、大木の洞穴から出てきたという説明でした、やがて朴の木峠では少ない敷石道が見られます
だいこんの芽
朝は5時すぎないと明るくないし夕方も仕事帰りではもう暗いしで朝仕事や夕方では畑仕事がそんなにできなくなりました、日に日に日が短くなっていくのを感じます・・今日はお休み取って越後米沢街道トレッキング行きますが、行く前に畑のスイカとメロンどうなったか見たらメロンは割れてしまっていた・しかしもう一個いつの間にか成長してるのありましたね・・スイカはというと2個だけと思っていたけど4個ほど残って成長してました・・とにかく日に日に変わるんで毎日見てないとだめになったりで。。こまめにみてないといかんですね・・今月1日に植えた秋野菜たちは大根の芽が出てきてました・・