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松山さんのこと

松山さんのうちは三田にあった。
隣のお屋敷はかなり大きい所で、3~4歳のころ隣の庭に紛れ込んでたら、若奥様が”お隣のお坊ちゃん、おせんべい食べます?”とおせんべいを持ってきてくれたけど、当時偏食だった松山さんはいらないと断ったら、”このおせんべいは鶴さんも食べるのですよ”と言われ、食べた。鶴のようになれるのか、すばらしいなあと思って食べたそうだ。それで偏食もだんだん治ってきたとのことでした。

松山さんのこと

松山さんは自分で犬などいうことを前にも書いたが、
犬といえば犬とじゃれあい、犬のほほ肉をかんだり、
勿論甘がみしたり、飲み屋で飲んでてもいきなり犬の遠吠えで吠えまくったり…
他の客もああ松山さんかとしょうがないかと
いうことで刃傷沙汰にもならず
まずはめでたし めでたし。

松山さんのこと

松山さんは自分で犬だということは前に書いたが、飲んでいるといきなり犬の遠吠えをやる。それはものすごく上手で。
最もなぜかあんまり大きい店ではなく小さい店なので、他の客から文句も来ず、ああ松山さんか、ということになり刃傷沙汰にはならない。

松山さんのこと

松山さんは自分のことを犬だといっていて、
松山俊太郎という名前も松山俊犬郎と書いたりしてた。
そして、大きくなったら何になりたいかという話してて(もう2人とも充分大人なのに)
大きくなったら、江戸時代の北陸のお上人様になり、浄土真宗のお上人様になり、
犬の身でありながらお上人様になられた、ありがたいことだ、ありがたいことだ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、と言われたいなんて
その頃はもうインド料理屋をやってたのだが、
ピクルス屋になりたい、勿論無添加の
私の話は広がりなくおもしろくなかったなと思う

松山さんとのこと

松山さんの勉強会、師と弟子、2人状態。即ちウパニシャド状態が続いてて私が佛教大へ入ったということは前にも書いたが、そのスクーリングで知り合った東京支部の後輩のSさん、彼は1年生だったが、やはり佛教学科なそうで親しく交わった。ある時松山さんとこへそのSさんを連れていったら、私と一緒に行った足立区のG院というお寺の僧侶を師僧として坊主になり、そのお寺の手伝いのお通夜に行かされたりしてと話してて、松山さんに大工の手間賃が1万3千円なのにあそこから(G院)は5千円しかもらえないと松山さんに嘆いてて、(私はまだ彼は資格を取ってないんだから当たり前だと思ってた)後で松山さんに彼は僧侶になりたいのか金儲けしたいのかどっちなんだろうねと聞かれて、坊主になるやつなんて、みんな金儲けしたい気根のいやしい連中ばっかりといったことがあった。そのS氏は自分のうちを寺院に建て直し息子に黒塗りの高級車を運転させ、後ろの席にふんぞり返ってたという話を聞いた。でもその頃はこっちも付き合ってなかった。
その後5年か6年かして亡くなったらしいので。
やはり人間、気根の素晴らしい人は素晴らしい。
松山さんのように。