HOME > 我が師 松山俊太郎さんのこと

松山さんとのこと

ブルース・リー・ブームがあった時、私と松山さんはブルース・リーの妹役で出演してた、アンジェラ・マオの後援会を二人で作り、名誉会長と会長で勿論、会員はなし。
アンジェロ・マオはその後もカンフー映画にいっぱい出てたので、栗山が香港の映画に行ったとき、なんでアンジェラ出さないのと言ったら、出演料高くてといってた。
世界のプロレスに出てたチーフ・ジェー・ストロンボーという正義のインディアンレスラーにも2人で2人だけの後援会をつくり、名誉会長と会長をやってた。勿論会員は誰もなし。
ストロンボーについては暗黒舞踏の連中にストロンボーのステップが舞踏につながりいいといったのが新聞に載ったといって喜んでた。
ストロンボーはやられてもやられてもインディアンステップで起き上がってきて、ステップを踏んで元気になってトーマホック・チョップで相手をやつけちゃうのだ。

松山さんとのこと。

京都では詰所という所へ泊ってたんで、松山さんも同じ詰所へ泊ってて、東本願寺の詰所で東美濃詰所、夏場スクーリングの学生に貸してた。

2人で近所のカツ屋へよくごはんを食べに行ったが、流石京都のカツ屋さんビーフのカツ屋だった。

薄いけど結構、味はよかった。3日ほど松山さんは泊って帰ったが、その後で友人達が京都へ来てくれ、その連中と飲み歩いた店へ。松山さんも連れていければよかったのにと思ったもんだ。

松山さんのこと

私が佛教大のスクリーングに京都に滞在中、松山さんが稲垣足穂との対談があり、京都まで来てくれ一緒に食べ飲み交した。

四条河原町の藤井大丸の並びの地下に食堂といおうか、和風レストランがあった。そこには同じクラスの友人の大阪の西仲さんとよく食べに行ってた。

ところで、寿司もあれば、トンカツもあればというデパートの食堂のような店で、店の中は水が流れてて橋がかかってた内装の店で、私とと西仲さんはトンカツをおかずに寿司を食べてたら、松山さんが「そういうのありかい?」。
まぁ、メニューにあるんだから「ありじゃない」といって、松山さんも食べてた。今でもふしぎな組み合わせといえば、ふしぎだけど。

夜は京都にあった和風カレー屋でワインを飲みながらカレーを食べてる時も「ゆりちゃん、こういうカレーありかい?」と聞くので「カレーなんか和風だが、欧風か、何でもありなんじゃない、私の作るインドのとは違うから」と・・・。
その店のカレーは元嫁に追い出されて仙台で店長やった時に、レトルトでとりよせてたカレーだった。でも工場で作っててとごはんをあおるのだが、味の素いれるのだったが、私は店へ入って“味の素”を全部捨てちゃった。

そして、30年ぶりにそのカレーに対面した。

松山さんと酒飲んでるとすぐ言い合いになる。

2人とも子供みたいなもんだろうから、しようがないのだ。

2人でよく言い合いしたのは、ロンリコの151とスピリタスのどっちがおいしいか。

私は勿論スピリタス。

50年以上前からのウォッカ好きで新橋のウォッカ屋のママさんにも可愛がられていたし、山形でもウォッカ屋に通ってる。

松山さんはロンリコの151がおいしい、スピリタスは96°でアルコールの度数が強すぎて味がない。

私はその度数が強いのにちゃんと味が感じられておいしいという。ロンリコの151はロンリコ自体がまずいラムなのでますますまずくてしようがない、ともいい、2人でいつも同じことを同じように言い合ってる。いや言い合っていたのだ。

松山塾

松山さんとこのインド哲学の勉強会はクマ、シノハラ(※1)と2人で始まったが、あまり話がすばらしいので、私とクマの後、背中に2人の聴きもらした話をきいている人もいてもいいだろうと思い、キヨ(※2)と中尾ちゃんを連れていった。そしたら、クマは30すぎてものを習うのはそんなことじゃないんだ。オレとオマエと松山さんの3人の関係が大事なのに、オマエはそれを解ってないって、いい、抜けた。

松山さんに申し訳なかったです。もっと松山さんのおこずかいが増えればいいと思ったもんでというと松山さんはクマとは唐とこでもはなしてる聴きにきてるから平気だよといってくれた。

その後も栗山(※3)やアブ(※4)や色んな友達を連れていったが、結局は私1人が残った。師と弟子、1対1、まぁウパニシャドみたいなもんですねと毎週通ってた。

そのうち京都の佛教大広告を見てここに入ってみましょうといったら、松山さんもおもしろいんじゃない、俺も佛教のことあんまり知らないからなんて言ってくれて通信の佛教大へ入り、そこの本をテキスト代わりに使ったりもしたのだった。

※1.クマ、シノハラ:鉄の彫刻家、ガラスの彫刻家、昔は絵本作家、唐さんとこのポスターはすごい。
※2.キヨ:劇団四季の創立後芝居してた。吉祥寺一のヨッパライ、伊勢屋焼鳥屋長男。
※3.栗山:栗山富夫。ICSでて松竹へ。釣りバカ日記の初めの頃の監督。
※4.アブ:武者八一路篤信。実等さんの孫。武美の後輩。その後ブサンソンへ留学。いいやつだったけど数年前鬼籍入り。よく、吉祥寺であってた時、今日僕バイトしてきちゃったというから何やったんだよというとおじいちゃんとこの本箱整理して10万がんばっちゃったなんて(40年前以上の話)クマがユリ、あいつ何なんだいって、ひっぱたいてやろうかというから、いやいやいいやつなんだからやめといてくれと、たのんだこともあったけ。