HOME > 我が師 松山俊太郎さんのこと

犬の身でありながら

松山さんのことはいっぱいありすぎて、まして思い出ではなく日常だった。
ある時、松山さんとうなぎと3人で飲んでて、大きくなったら何になるかという話をし、3人とも充分大人なのに、うなぎはあと5cm大きかったらプロレスラーになる。私は漬けもの屋だ。
そして松山さんは金沢、福井といったあたりでお上人(しょうにん)様になり説教をし、そして信者は、うちのお上人様は犬の身でありながら、お上人様になったのだから偉いのだ。というお話。

松山先生の告別式

昨夜は1人だけ。前、新潟にいたお客様。今は名古屋へいた人が1年ぶりの御来店。彼は今は加工とスリランカの食材を扱っている店をやってるそうだ。いろいろ話は弾んだが、こっちは明日のことが心配でなので・・・

ともかく早めに帰り、11時10分にはねた。12時10分目が覚め、次は1時10分、2時20分、そして3時15分におきた。フロヘ入り頭をそり、アパートへ出たのはうちの時計で5時20分、そして駅には正確な時計で5時25分に着いた。アパートの時計はいくら進んでるのだろう。3つ時計あるが全部進んでる。

山形駅は停電だというので切符は買えずそのままのりこみ米沢までは寝てたが、あとはおきてジャイの日の料理の訳をしてた。

幡ヶ谷から歩いて行く途中で道を聞いた人が松山さんの小学校からの同級生だった。

いろいろ思い出を語りあいながら会場へ着くとうなぎが来てシモンさんがいるよとシモンちゃんの隣りの席へ。同級生の方もその隣り、うえまつようこさん。

皆んな松山さんが大好きで松山さんを尊敬している人ばっかりなので気持ちのいい式がとりおこなわれた。

火葬、そして場所を変えての打ち上げも参加し、7時12分の新幹線で帰り、店へ着いたら、ヘロヘロ、クタクタ。

明日の用意を少しし、アパートへ。帰ったら12時半。アンプル剤をのみ、今日は早寝。あんまり松山さんの思い出はありすぎるので・・・葬儀委員長の蒼一郎に感謝。

うなぎに言われた。
過去の記事でアツミ半島をアマミ大島と間違ってたという話。多田君に訂正しといた。うなぎごめん。私の字がきたなかったので多田君が読めず間違ったんだろう。

我が師 松山俊太郎4
http://samidare.jp/jay/note?p=log&lid=233869

松山さんのこと

松山さんは法華経の話を書いた時、蓮を図表にして書いた。私もそれを真似して(まぁ真似になっていないだろうけど)ガラムマサーラーの表をつくったり、料理も図表にし、同じ名前の料理を例えばパーラックパミールだとするとほうれん草の扱い方(まぁこれは大体同じだが)スパイスの使う順や、スパイスの量なども全部表にして、これは使うが、これは使わない、いやいやこっちでも使うとか表にして自分のパーラックパ二ールをつくりあげた。

うちの店で出してる料理は全てそのようにして味を決めたものなのです。他の店のこと知らないのもあたり前でよその店がおいしいものを出そうが、おいしくないもの出してようが興味ないのです。だからって言ってうちの店の覗きはやめて、おいしいインドを食べに来て!!

松山さんに二度とあえないのか、又、飲みたかった

我が師、松山俊太郎が11日の朝6:00喪くなったそうだ。

私には師匠というべき人が3人いた。

武蔵美の時、服装史の先生でフレスコ壁画日本画家の長谷川路可先生、学校でたあとも作品をみてもらいに目白の家までよく通った。

次の先生は舞台衣装の会社に紹介してくれた大寺三平先生。三平さんとこにも作品をもって訪ねた。

そして、インド哲学者、梵文学者の松山先生。

松山さんとの出合いは新宿の飲み屋でその前に舞踊見に行き、その会場で会い、後のバーであい、ちょうど篠原もいて2人で松山さんのインド哲学の弟子になったのだ。今から40年以上も前の話だ。

そのうち、篠原が抜け、後を補充したがみんなやめ、3年位したら私1人、そこで私が京都の佛教大の通信に入り、そのテキストで松山さんに講義をしてもらったこともあった。

東京を離れる4年位前からサンスクリットもうなぎと一緒に教えてもらった。まず、サンスクリットはわからないことがわかった、ということ位だけどいつもいい体験だった。

松山さんは蓮の研究をしてた。何で蓮なんですかと聞くと世の中で一番役に立たないものだからとすました顔でいってた。

私もその真似(いや真似にもなってないが)、世の流れではないナーンをやってないインド料理屋、誰にも相手にされてないインド料理屋を嫁に追い出されてもやってるという訳だ。私の味をわかる人はわかる、勿論わかんない人の方が多いが。

それと松山さんはお経も図解して表にするのが好きな人で、私もガラムマサーラーを表にしたり、南インドの料理で四州で何処ではチャトニーというか他の処ではカシャンドというなどと誰も興味のない表を作ったりしていた。

今度も新しい本でのガラムマサーラーの表やチャトニーマサーラーやターザマサーラー等の表を作ってみようかと思ってた所だった。

松山さんの想い出は折々に書いていきます。まずは冥福を祈ってます。私ももうすぐ行きますがあえるかな・・・

ああそうそう私には残念ながらインド料理の師匠はいません。

ジャイの日

大好きな松山さんの
ことを書き続けていたら、
まだまだいっぱい
いろんなことが思い出されるが、
もう今月のジャイの日でした。

松山さんは昨年「綺想礼讃」という
546ページ、6600円+税の
大きな本を出しました。
本屋か図書館で見て下さい。

今月のジャイの日は
パンジャーブの料理です。

パンジャーブの料理は一昨年、
昨年と続き3回目です。

このパンジャーブの料理の特色としては
TADKAという仕上げの方法があります。

これは他の地方にもあり
Bhagarといわれています。

料理の最後に油脂を熱し、
その中にマサーラーを加え
その油脂ごとマサーラーを
鍋に加えた料理法の事です。