7月12日(土 )伊達な城館ウオーク(ぐるっと長井の館めぐり)に参加してきた、フラワー長井線の時庭駅から南長井駅間を約4時間で歩く館と街巡り・・この長井市は山形県と福島県の県境にそびえる西吾妻山を源流とする最上川が流れ、長井盆地の中央部で置賜野川と合流する、その合流地点の南側に広がる長井の町場は、米沢と庄内地方や出羽三山を結ぶ街道沿いにあり、かつ越後へと向かう街道との結節点でもあったことから、古くから交通の要衝として重視されていました。この長井市は水路や小川が見られる水の街・豊富な水に恵まれてきたと同時に、大洪水などの災害が起こり、水の脅威にもさらされてきており、水への感謝と畏怖を象徴する水の神”黒獅子”も有名である・・立体交差の水路に板塀が残る裏道も風情がありますね・・水路には”バイカモ(梅花藻)”が見れます。湧水河川など、水質の良い水路に自生する水草とのこと、街中の水路で見られのはすごいことです・・生まれ育った川西町上小松殿原地区、小学の低学年までは水草が残る小川が家の前を流れていた・・蛍にイトトンボ、黒トンボ、ヤゴにヒルにいろんな魚が泳いでいた今ではコンクリートのブロック川となったが、ここ長井は小川が残っているのですね・・一枚目写真は2本の水路が上下で交差している、下の水路を流れているのが野呂川、上を横切るよう水路を流れているのが大樋川とのこと。くぼみから水があふれて野呂川に落ち込む。水路が立体的に行き交っていた。立体水路が、いつ、何のために造られたのかは文献がなく、はっきりとしたことは分からないが江戸時代の絵図に存在が確認されている・・
旧横浜正金銀行(よこはましょうきんぎんこう)本店
横浜みなとみらいに出張があり、宿泊したすぐ前が、横浜を代表する歴史的建造物の一つ横浜正金銀行の本社がありました。
この建物は明治三十三年着工し、 明治三十七年に完成した石造三階建・・現在は神奈川県の所有になり、関東大震災で被災したドームを復原し、 一部増築および改修をして県立博物館に使用している・・明治三十年代における代表的洋風建築で、外観はよく保存されておりますね・・馬車道は国際的な雰囲気漂う洗練された通り、馬車道のデザインは当時の英国建築が基になっているので、赤レンガ造りの建物や歩道を見てロンドンやマンチェスターにいるように錯覚します・・後ろに移るビルは近代のビルですがなんのそっけもない高層ビル・・これもいつかは歴史的建造物といわれる時が来るのでしょうか?
横浜 馬車道
7月4,5,6日と横浜みなとみらいに行ってました・・・宿泊したところが馬車道通り、オー懐かしいなという感じですー・・東京に憧れ都会に就職、でも40過ぎ頃から徐々に田舎が良くなり、定年後は田舎暮らしと心に決めてましたがね・・都会に出た歳1975年人生初のデートが山下公園から外人墓地、そして馬車道と異国情緒にあふれて、特におしゃれな店があった馬車道も行きました・・当時、ハマトラファッションというのが流行ってましたね・・「清潔感あるお嬢様」をイメージした、ポロシャツとベストやカーディガン、膝丈のタータンチェックの巻きスカート、ハイソックスにローヒールパンプスが基本的な組み合わせです・・なつかしい限りです。この馬車道の名、明治以降、来日する外国船の港と税関所につながっていたところ、そこを通る裕福な外国人が乗っていた馬車に因んでつけられ、富裕、洗練、国際性の代名詞となりました。1850年代に開港した横浜において、馬車道は領事館、入国管理そして税関に関わる人々が行き来していました。そこはガス灯、アイスクリームなどの日本における発祥の地です。外国文化の日本への入口でした。1868年に下岡蓮杖が日本最初期の写真館を設立し、1869年には町田房蔵が日本初のアイスクリーム店を開業しましたとあります。 宿泊したホテルの入り口に馬車が展示されてました・・