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コレハ荒砥駅デス

  • コレハ荒砥駅デス
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知人からいただいた白鷹町の懐かしい写真の最後は、終点荒砥駅。広い敷地に建てられた、真新しい駅舎の威容が見えるようです。もう一枚は、荒砥駅のショーケースに展示されていた写真。車止めの屋根は、現在の羽前成田駅と同じく半切妻造りで、電球まで設置されています。そして何よりも行商のおばさんらしい方のリヤカーが味わいがあります。コレハ荒砥駅デス。

【写真提供:絵はがきで見る「大正・昭和の白鷹」】

コレハ松川ノ鉄橋デス

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絵はがきは内町・堺屋発行の「羽前鮎貝名所絵はがき」の中の一枚です。最上川鉄橋の建設工事の写真ですが、橋脚の上に組み立てられている木枠に上っている男性も見えます。絵はがきの「長井延長線」という題名と、「コレハ松川ノ鉄橋デス」とのカタカナ表記が時代を感じさせます。

なお荒砥駅には、建設当初の鉄橋の銘板2枚(上掲写真)が展示されていますし、県立荒砥高校・荒砥鉄橋研究所の研究報告書が掲示されています。お立ち寄りの際は、ぜひご覧になってみてください。

【絵はがき写真提供:「絵はがきで見る『大正・昭和の白鷹』」より】

2019.05.11:orada2:コメント(0):[停車場の記憶]

わしの村にも汽車が来た

  • わしの村にも汽車が来た
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鈴木商店発行の鮎貝停車場前通りの絵葉書です。鮎貝駅開業当時のものと思われます。駅の開業に合わせて駅前にあたらしいお店等が建てられ始めているようです。この頃は、各商店等が町の名所等を絵葉書にして発行する機会があったようで、当時の街の様子を知る上で、とても貴重な資料となっています。また、鮎貝までの開通の際の新聞記事によれば、新道の両側にほどこした電燈仕掛けの装飾柱が立ち、200名近い来賓は不忘楼で祝賀会をして祝ったとあります。「空前の大賑はひ 我も我もと新駅に」と、見出しも踊っています。

【鮎貝駅写真は「絵はがきで見る『大正・昭和の白鷹』」より。新聞記事は米澤新聞(大正11年12月13日(三))提供】

2019.05.09:orada2:コメント(0):[停車場の記憶]

湯の香、花の香、紬の里へ

  • 湯の香、花の香、紬の里へ
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知人から、フラワー長井線の開業を記念して販売された切手シートをいただいた。郵便局の郵趣会が制作したもので、昭和63年10月25日の日付で荒砥郵便局の消印が押されている。シートには?58、D52の蒸気機関車、日中平和友好条約締結10周年記念のパンダの切手も貼られている。山形鉄道初代社長である長谷川六郎さんの「湯の香 花の香 紬の里へ」の揮毫が美しい。

2019.05.08:orada2:コメント(0):[停車場の記憶]

2019.05.08:orada2:コメント(0):[停車場の記憶]