知人からいただいた白鷹町の懐かしい写真の最後は、終点荒砥駅。広い敷地に建てられた、真新しい駅舎の威容が見えるようです。もう一枚は、荒砥駅のショーケースに展示されていた写真。車止めの屋根は、現在の羽前成田駅と同じく半切妻造りで、電球まで設置されています。そして何よりも行商のおばさんらしい方のリヤカーが味わいがあります。コレハ荒砥駅デス。
【写真提供:絵はがきで見る「大正・昭和の白鷹」】
知人からいただいた白鷹町の懐かしい写真の最後は、終点荒砥駅。広い敷地に建てられた、真新しい駅舎の威容が見えるようです。もう一枚は、荒砥駅のショーケースに展示されていた写真。車止めの屋根は、現在の羽前成田駅と同じく半切妻造りで、電球まで設置されています。そして何よりも行商のおばさんらしい方のリヤカーが味わいがあります。コレハ荒砥駅デス。
【写真提供:絵はがきで見る「大正・昭和の白鷹」】
鈴木商店発行の鮎貝停車場前通りの絵葉書です。鮎貝駅開業当時のものと思われます。駅の開業に合わせて駅前にあたらしいお店等が建てられ始めているようです。この頃は、各商店等が町の名所等を絵葉書にして発行する機会があったようで、当時の街の様子を知る上で、とても貴重な資料となっています。また、鮎貝までの開通の際の新聞記事によれば、新道の両側にほどこした電燈仕掛けの装飾柱が立ち、200名近い来賓は不忘楼で祝賀会をして祝ったとあります。「空前の大賑はひ 我も我もと新駅に」と、見出しも踊っています。
【鮎貝駅写真は「絵はがきで見る『大正・昭和の白鷹』」より。新聞記事は米澤新聞(大正11年12月13日(三))提供】