わがうちなる長井線
芳賀秀次郎
この長井線にのって、ぼくは入営した。この汽車にのって、ぼくは父の死の枕辺にかけつけた。この汽車にのって、ぼくは大火で焼け失せたふるさとを後にした。ぼくの青春も、ぼくの人生そのものも、長井線と共にあった。その長井線が、いま赤字線のゆえに廃止されるという。ぼくのふるさとそのもの、ぼくの人生そのものが、いきなり断ち切られるような気持である。(略)
【写真:白鷹想い出写真館より】
出兵兵士見送り 荒砥駅昭和13年(1938年)頃
就職列車見送り 荒砥駅昭和29年(1954年)3月
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