白鷹町蚕桑出身で歌人、詩人でもあった芳賀秀次郎氏が書かれた「わがうちなる長井線」という題のエッセイがある。「やまがた散歩」というタウン誌の創刊号に寄せたものである。この中の長井線の風景に係る部分を、手元にある当時の写真等と共に紹介していきたい。写真は長井市史第3巻(近現代編)より。
ぼくの故郷白鷹町は、昔の名を蚕桑村といった。(略)。この村に鉄道が開通したのは大正十二年である。ぼくは小学校の二年生であった。遠い記憶を辿ってみても、汽車が通るということは、ふるさとの村にとって、ほとんど革命的な出来事であった。遥か遠い物に思われていた「都会」の匂いや、「近代」というまばゆいものが、汽笛のひびきと共に突如として村にやってくるのだ。村の大人も、子どもたちも、胸をおどらせながら、鉄道という名の「文明」が石炭の煙をふき上げながらゴトゴトと通る日を待っていた。(略)。長井線開通の日、ぼくらはそろって旗行列をした。桑畑のなかの村道を、日の丸の旗をふりながら歩くと、何かもうすばらしい幸せをつかまえたような喜びがあって、心がはずんだ。(略)
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