陽に焼けてあちこち剥がれてしまっている概況表。昭和38年4月の日付がある。38豪雪に見舞われた年である。一日の乗客数が昭和36年(1961年)が300人。ウィキペディアでは平成9年(1997年)104人、平成29年(2017年)が50人となっており、調査内容が同じだとすると現在の6倍ほどの利用者がいたことになる。産物は米2121トンの他に繭121トン、ホップ12トン、葉タバコ4トン。繭で121トンとはどれぐらいの容量になるのだろうか。そして八幡神社の祭礼は、10月第1土・日になっている。神社総代長は、明治からの記載のある「宮司の神社日誌」を調べてくださった。それによれば、例大祭は明治22年から昭和22年までが9月15日(旧8月15日)、昭和23年から32年までが10月15日。昭和33年から50年までが10月第1日曜日で、昭和51年から現在までが9月の第2日曜日になったとのこと。剥がれ落ちた箇所にも、面白い情報が隠れていたんだろうなと思う。やはり丁寧に保存しておくことが必要だな、とつくづく思います。
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