長井市史では次のように記されています。「軽便鉄道は・・略・・レール(軌道)の幅は国内鉄道と同じであるが、機関車も車両も小型のものであった。・・略・・本線を走る汽車がボギー貫通式になっているのに、軽鉄はマッチ箱列車と煙突の長い豆機関車であったから、赤湯駅に出て本線の機関車が入ってくると、思わず引き込まれるような恐怖を感じたものだった。」
奥羽本線を当初走っていたのは2120形機関車(全長10,439㎜、全高3,810㎜)のようですが、その後、急こう配に対応して4100形(全長11,483㎜、全高3,787㎜)が導入されたとのことです。上の写真は、ウィキペディアに「600形の形式図」、「総武鉄道3(後の鉄道院630)」として掲載されていたものです。長井線を走っていた645号機と全く同じかは確かではありませんが、豆機関車のようには思えず、結構品格があるように見えるのですが如何でしょうか。
【出典・資料】写真及び機関車諸元はウィキペディア、記述引用は長井市史第3巻より
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