さて、長井線を走っていた蒸気機関車では、96(きゅうろく)がよく知られていますが、軽便鉄道時代に走っていた機関車はどんな機関車だったのだろう。「当初の列車は汽かんも小さく、客車もボギー車と違い横腹に七つも八つも出入口のある極めて旧式なもので文字通りの軽便鉄道であった。」と、荒砥町史に記述されています。
上の長井市史の写真では判然としませんが、白鷹町史に掲載された「開通当時の長井線機関車」の写真では645の番号を確認することができます。鉄道に詳しい知人からは、当時の機関車について次のようなコメントをいただきました。
「写真から見ると長井線に配属されたのは600形機関車の645号機のようです。この車両はイギリスのナスミス・ウイルソン社製で、1887年(明治20年)から1904年(明治37年)までに78両が輸入され、日本各地で主力機関車として活躍しました。1906年(明治39年)の鉄道国有法公布後、形式が「600形」と改められ、600から677号機となり東日本に集められました。長井線を管轄する仙台管区には22両が配属され、主にローカル線や入れ替え用に活躍したそうです。長井線で活躍した後は、同じ仙台管区内であった新潟県の西吉田へ転属となったようです。たぶんそこで、最後の活躍(戦後間もなくの頃まで)だったのかもしれません。」
ということは、大正11年の全線開通時は、イギリス生まれの機関車が同じイギリス生まれの最上川橋梁(平成21年 近代化産業遺産に認定)の上を走っていたということですね。
【写真と参考資料】 荒砥町史、白鷹町史・白鷹想い出写真館、長井市史
この記事へのコメントはこちら