軽便鉄道長井線が国有鉄道線路に登場したのは、開業4日前の鉄道院告示第97号でした。けれどもその前の段階で、計画路線としての検討や決定があるのが当然だろうと思えます。例えば、明治25年(1892年)鉄道敷設法では、奥羽線と米坂線が予定路線に指定され、その中でも奥羽線は第1期間内に着手すべき路線と規定されています。つまり、整備されるべき鉄道路線を、法律の中で明示しています。
その手法は、鉄道国有法制定後の大正11年(1922年)に公布された改正鉄道法も同じ体系になっています。この法律では、第1条に「帝国に必要なる鐡道を完成するため政府の敷設すべき予定鉄道線路は別表に掲げる所による」として、別表25号に山形県左沢より荒砥に至る鐡道(左荒線)、26号に山形県米沢より福島県喜多方に至る鐡道(野岩羽線)が掲げられているのです。
左荒線や野岩羽線といった路線が法律の中に規定されているのに、長井軽便線の名前は何処にも見つけることができません。我らが長井軽便線は、忽然と歴史の中に登場したのでしょうか。
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