基準地点からの距離を示す標識です。長井線の場合、基準地点は赤湯駅になります。距離標には三つの種類があります。数字が縦に「21」と並んでいるのは、キロポストとも呼ばれ、1キロごとに建てられます。成田駅は赤湯駅から21キロ付近にあることを示します。長井線の延長が30.5キロですから、約3分の2の位置にあることがわかります。次が、上部に分数のように「1/2」と書かれている標識です。この標識は、500メートル単位に建てられるもので、この場合は赤湯駅から21.5キロメートルの地点であることを示します。最後の小さな標識は、100メートル単位の距離を表示するもので、写真の場合は800メートル地点を示しています。
駅舎の変遷(1980年代) その3
最後は、フラワー長井線一周年記念の写真(写真提供:玉置清吉氏)です。1989年(昭和64年・平成元年)10月の撮影と思われます。腰板部分と駅名看板がフラワー長井線のシンボルカラーで彩られています。さらに、駅長室と待合室の煙突の場所が変更されています。わずか5年ほどの間に屋根、窓、腰板、駅名看板、さらに煙突までも修繕の手がかけられたようです。
現在、『30年前の駅舎展』と題して成田駅舎の思い出の写真展を開催中です。ただし、金曜日から日曜日の週末、午後1時半から4時までの開場となります。お近くにおいでの際は、どうぞお立ち寄りください。なお都合により開場できない場合もありますことをご了承ください。、
駅舎の変遷(1980年代) その2
1987年5月に撮影された駅の全景写真です。この時には、正面の引き戸もサッシ戸になっていますし、腰板部分も茶系のトタン板になっているようです。屋根もトタン葺きに修繕されています。1988年10月はフラワー長井線の開業にあたり、フラワー長井線の三本のイメージカラーで装飾されていたようです。【写真提供:玉置清吉さん】
<参 考>
1987年(昭和62年) 4月20日 長井線特定地方交通線対策協議会開催
(第三セクター方式で鉄道として存続合意)
1988年(昭和63年) 3月24日 長井線特定地方交通線対策協議会開催
4月20日 山形鉄道株式会社創立総会開催
4月26日 山形鉄道株式会社設立登記
5月28日 第一種鉄道事業免許取得
10月25日 山形鉄道株式会社営業開始
西宮内駅 おりはた に駅名を変更
南陽市役所駅新設
駅舎の変遷(1980年代)その1
先に、「30年前の駅舎を巡る旅」として長井線の駅舎の写真を掲載してきました。この度、長く羽前成田駅の嘱託職員を勤められていた故・玉置清吉さん(長井市成田出身)の遺族の方から、貴重な写真を借用することができましたので、その一部を紹介しながら、昭和59年から60年代前半の成田駅の変化をご覧いただきたいと思います。
2枚の写真は、それぞれ1984年(昭和59年8月)撮影された玉置さん提供のものと、1986年(昭和61年9月)撮影の山形鉄道(株)提供のものです。2カ年の間に、窓がアルミサッシになっているのがわかります。ただし、屋根の補修具合と正面玄関の引き戸は木製のままのようです。
<参考>
1980年(昭和55年) 12月27日 「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」成立
1986年(昭和61年) 10月28日 第3次特別地方交通線として選定承認
1986年(昭和61年) 12月 3日 第1回長井線特定地方交通線対策協議会開催