HOME > 記事一覧

黒獅子伝説『卯の花姫物語』 7-⑧ 摂関家批判の六

 政権批判五の中の藤原忠文ノ三
 以上述べた様な気性の人物であったから、此度自分が総大将の地位にあり乍ら全くの論功行賞を反故にされたと聞いた時の怒り方と云ったら大変である。
 余りと云えばあまり、無法にも程がある。朝廷で俺を征討大将軍に適任と認めて任命したのである。総大将として指揮権の任を執って、諸国の軍勢を召集するのに士気が振って応ずると否とは、一偏に大将軍の器量の如何んによって決定するものである。
 東国の戦地に於ける者共が早速の成功と雖も、即ち総大将の器量に関係する処によるものたるのは言を要せぬことである。此処に忠文が進軍の途上に於いて、已に戦勝の自信を以って余裕綽々たるのさまを書いて見よう(出征途上の詩)
   漁舟火影寒焼浪
    ぎょしうのひのかげは、さむうして、なみをやく。
駅路鈴声夜過山
    えきじの、すずのこえは、よるやまをすぐ。
右は忠文官軍を率いて進軍の途次駿州清見ケ関の風景を感賞して一詩を賦したものである。
 彼が大将軍としての自負心強く戦勝を期して洋々たるの様相をうかがい知るものである。それに何ぞや。現地の武士共や貞盛徒輩のみの功名ばかりとの行賞とは何事である。今度の戦争に関する限りは、戦地の者と曰わず出征途上の者とを問わず、すべからく総大将たる拙者が指揮権下で、曰わば家来同然の奴輩である。
 彼等とて背後に器量優れた大将軍が卒いる官軍の大軍が進軍して来ると云う威勢を背景にしたからこそ、現地の軍勢終結に安々と成功したし、応募者の方でも早く応じたので、速やかに追討の功を奏したのである。そうした関係にある最高指揮者の権限に任じておき乍ら全く行賞無したとは、人を馬鹿にした仕打ちだと云うて怒髪天をつく有り様。今は世人に顔の向けどころがない俺が面目は丸潰れと云うて、関白が官邸の方をはったと睨んで罵り散らし、毎日毎日罵りつづけておると云う。

黒獅子伝説『卯の花姫物語』 7-⑦ 摂関家批判の五

政権批判五の中の藤原忠文ノ二
 こうして忠文は鷹を使う術にかけては、十八秘法、三十六口伝、異朝の奥儀まできわめざるはないと云う大の鷹通であったのだ。
 頂度其頃、醍醐天皇第四皇子重明親王と云う方も大の鷹狩り好きであったので、或日忠文が宇治の邸に御出でになって、彼が日頃愛しておった秘蔵の鷹をくれろと云って所望された。忠文は惜しい思いであったが、向こうは親王様のことでもあれば断る訳にもいかない。仕方ないから二番目のものを献上した。親王は大喜びで帰途に就いた。途中で殿を見つけたので、早速鷹を放って合わせて見たら鷹がそれて逃げて行ってしまった。親王は大いに怒って忠文が邸に戻って来た。あんなものをくれたとは非道い奴だと云うてせめたのであった。
 すると忠文が云うには、こちらに今一羽あれよりよいのがありますが、あの鷹は親王様が御使いになるには御無理かと思って、其次のものを差し上げたのでありましたが、あれでもだめでありましたかと云うて、それでは致し方がありませんからと云うて今度は一番目の名鷹を出して、「よくよく御気をつけて御使い下さいませ。」と云うて差し上げた。親王は忠文が云うた言葉の意味が判らないで帰って行ったのである。又も途中で使って見たら忠文が云うた通りに逃げられてしまった。
 鷹だろうが馬だろうが、彼らの方では使い主や乗り手が技術の巧拙程度をちゃんと知っておるものである。そこで親王はつくづくと考えてみたが、はっと気がついて始めて、さっき忠文が云うた言葉を理解したと云うことであった。
 こういう風に忠文の人物は何事にかけてもぐんと一流をぬいた、当世卓出の紳士であったのだ。又一旦、人に頼まれ事を引き受けたとか或は自分が思いたったとかのことは、徹底的にやり遂げないでおかないと云う精神力の強い人であったと云う。

黒獅子伝説『卯の花姫物語』 7-⑥ 摂関家批判の四

 摂関政権批判検討の四の中の藤原忠文ノ一
 其状態を見るに忍びない頼義が、私財で税金を立て替えて助けてやったと云う。しかも其立替金は自分に持ち合わせの金が無かったので、借金であったと云うに至っては、愈々気の毒な思いと共に、頼義が人となりを偲ぶに足るものである。
 そうした事を考えて見れば、もうそろそろ藤原氏の摂関政権が武門の政権に替えられていく因果の胚子を生みつつあった様子がありありと判るのである。そんな状態に永続の性質がある可き道理がない。やがては来る武門政権の実現となったのも当然の帰結と云うものである。藤原政権が、人をさんざん使った揚げ句に恩賞を惜しんで事件を起こした事が数々ある。中のおもなる一例をあげてみよう。以前天慶三年の二月に平将門が東国で謀叛を起して威勢を振った時も京では大狼狽した。
 其時、征討大将軍に任命されて征途についた人は藤原忠文と云う文官出の大将軍であった。処が其官軍が、戦地迄で到着しないうちに、東国では土地の武士藤原秀郷や平貞盛等の為に、将門はもろくも討伐されて戦が終わってしまったので、忠文は途中から京へ引き返した。其途中から引返したと云うのにかこつけて、時の氏の長者関白藤原忠平が恩賞を与えない。処で其征討大将軍の忠文は頼義の温厚な人だと事が起こらないで済んだのであったが。
 この忠文と云う人はそうはいかない性格であったから只では済まなかったのである。(もしや其人は文官でなくて兵力を持っておる武将であったら謀叛を起こすかったかと思うのである。)
 元来この人は当時公家出の文官には一種変わったところのある人物であった。丁度武士の様な性格で、剛直果断気概隆々とした硬骨漢であった。もっともそれだからこそ此度の征討大将軍になども選ばれたのであったでしょう。一面忠文についてはこんな話もあるのである。鷹匠としても非常な名人で神に通ずる様な妙技のある人であった。従って常に素晴らしい鷹の逸ものを沢山飼っておったと云う。

黒獅子伝説『卯の花姫物語』 7-⑤ 摂関家批判の三

 摂関政権批判検討の三
 四年の任空しく二年を過ぎ、年貢を徴収する能はず。面して貴族直属の租税取り立ての役人の督促甚だしきこと雲の如し。よって私財を以て、しばちく立替いおけり。彼国の官吏の言を聞くに、年々早凶にして田に秋実なく民に菜食ありと。臣謹みて隣国の前例を ずるに任期の年限を延長して。その国の疲弊を救済せる国司まことに多し。いはんや希代の巧を致せる者いづくんぞ特別なる恩賞なからんや。
 昔、班超は三十年を以て西域を平ぐ。今、頼義十二年を以て東夷を討平す。遅速優劣の判断いずれぞ。たとい千古の封を受くることなからんも、なんぞ重任の恩典を許されざらん。天恩を望請す。臣が意を哀 し。 なくも御認可を賜い臣をしておむろに。復興の計をなさしめ。もっと負債を弁済する方法をたてさせられよ。臣真情を呈して請願すること如件云々。
(以上日本外史の一節抜粋に処るもの)
 右の一文を読んで見ても、藤原氏の政権がどうしてこの様に国家の為に身を尽くしたのに報いる恩賞をおしんだものかは一寸は考えられない様なものとは云うて見た処で、結局自分等は氏の長者として政権をほしいままに振る舞い余りにも豪奢を極めた暮らしをして財政に余裕がなかったのが原因であったと判断するより外ないと考えるのである。
 当時の武将が、如何に気の毒なものであったかの様相がありありと判るのである。十有余年も遠国に行って強敵と戦って、寒さと闘いと飢いと戦いして生死の巻を彷徨して朝廷国家のためにつくし軍功をおさめて、面して後に賞賜として得たものは何ものかと云うと、僅かに新任の国司に任ぜらたのみであったとは。処が其ようやくにして得た新任の伊予の国が、大凶作の年であったと云うことである。 更にそうした上に其国でも、京都の貴族に直々に入納しなければならない分の租税があったので取り立て役人が困って入る。人民から無理無理の督促の状態は目に余るものであったと云う。

黒獅子伝説『卯の花姫物語』 7-④ 摂関家批判の二

摂関政権批判検討の二
 以上の様に難儀して務めても報いが少くないのに、自分は何にも云わないで耐えてよいとしても、自分が部下にも其通りにしてもよいと云う訳にはいかんのである。それに困って頼家が朝廷に願った請願書がある。昔の原文は漢文であるがそれをやくしたもののままを揚げて、当時の武将が如何に気の毒なものであったかの様相の参考にしてみましょう。
(日本外史抜粋に拠るもの)
 伊与守源頼義請願書
 臣聞く、人臣勲功をたてて恩賞を受くるは和漢古今同じきところなり。これを以て或は下財より起りて勲賞をかけ、或は兵卒より出でて将相にいたる者ありと。頼義は功臣の子孫として生まれ、国事に精勤努力すること久し。たまたま東夷蜂起して郡県を侵盗し、人民を椋めとって、六郡をあげて皇威に服せざること数十年。近年に及んでは日にますます○○なり。
 頼義、永承六年を以て任を彼国に受く。天喜中にいたって鎮守府将軍の職を兼ぬ。臣天皇の詔をふくみて、虎狼の国に向く。堅甲を被り利刀を帯し、身に矢石を受けつつ、千里の外に暴露し萬死の境に出入す。
 天子の威と将卒のちからとをかりて、終に其功を奏するを得たり。其賊将・安倍貞任、藤原清経等みな伏して音を京師につたふ。余の醜慮 安倍宗任ら手をつかねて降りその巣窟をはらい、これを県官に差し向けぬ。叛逆の徒みな王民となる。乃ち功績は朝廷の記録にとどめられ、伊予守たるを受け得たり。臣聖恩をかたじけなうし、謹みてこれを受け奉る。
 しかも残余の賊を鎮服するがために尚奥州にとどまる。且つ征戦の際、功労ある者十余人彼等の為に抽賞を乞えども未だ裁許を得ず。ために任地におむかず。去年九月、任府を賜わる遅引の罪やむを得ざるに出ず。(御ことわり其請願書余り長文により次号にわたるを御免ゆるし下されたい)