黒獅子伝説『卯の花姫物語』 7-⑤ 摂関家批判の三

 摂関政権批判検討の三
 四年の任空しく二年を過ぎ、年貢を徴収する能はず。面して貴族直属の租税取り立ての役人の督促甚だしきこと雲の如し。よって私財を以て、しばちく立替いおけり。彼国の官吏の言を聞くに、年々早凶にして田に秋実なく民に菜食ありと。臣謹みて隣国の前例を ずるに任期の年限を延長して。その国の疲弊を救済せる国司まことに多し。いはんや希代の巧を致せる者いづくんぞ特別なる恩賞なからんや。
 昔、班超は三十年を以て西域を平ぐ。今、頼義十二年を以て東夷を討平す。遅速優劣の判断いずれぞ。たとい千古の封を受くることなからんも、なんぞ重任の恩典を許されざらん。天恩を望請す。臣が意を哀 し。 なくも御認可を賜い臣をしておむろに。復興の計をなさしめ。もっと負債を弁済する方法をたてさせられよ。臣真情を呈して請願すること如件云々。
(以上日本外史の一節抜粋に処るもの)
 右の一文を読んで見ても、藤原氏の政権がどうしてこの様に国家の為に身を尽くしたのに報いる恩賞をおしんだものかは一寸は考えられない様なものとは云うて見た処で、結局自分等は氏の長者として政権をほしいままに振る舞い余りにも豪奢を極めた暮らしをして財政に余裕がなかったのが原因であったと判断するより外ないと考えるのである。
 当時の武将が、如何に気の毒なものであったかの様相がありありと判るのである。十有余年も遠国に行って強敵と戦って、寒さと闘いと飢いと戦いして生死の巻を彷徨して朝廷国家のためにつくし軍功をおさめて、面して後に賞賜として得たものは何ものかと云うと、僅かに新任の国司に任ぜらたのみであったとは。処が其ようやくにして得た新任の伊予の国が、大凶作の年であったと云うことである。 更にそうした上に其国でも、京都の貴族に直々に入納しなければならない分の租税があったので取り立て役人が困って入る。人民から無理無理の督促の状態は目に余るものであったと云う。
2013.01.27:orada:[『卯の花姫物語』 第7巻]

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