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若者達へ ⑧家庭とは・・

 もう一度“家族”の問題に戻って、“家”や“家族”の意味を考えてみよう。“家”というものを何代にもわたって継続して使う動物は、人間以外はいないであろう。それは、人間が稲などの植物を栽培し、一箇所に定住することを覚えたからであろう。このことは、ヨーロッパの「牧畜民俗」と日本など東洋の「農耕民族」の違いでもあるはずだ。
 田畑を耕し、家族が何代にもわたって同じ家に住み、同じ墓に埋まるのである。そうして家屋には霊が宿り、床の間には家族に福をもたらす座敷童が住みつくのである。これが本当の「生命のつながり」であろう。
 しかし現代は、少子高齢化である。長井で運よく仕事につき、さらに運よく結婚できた二人は、実家に老人夫婦を残して街中のアパートに住むのが一般的のようである。こうした歴史を重ねていった時に、家族とはどのようになっているのであろうか。ちなみに私の次男は、二人娘の長女と結婚するらしい。長男は家に戻って来たが、アパート暮らしをしたいと言っている。そんな私は、一人娘をもらってしまい、実家の家も解体してしまった。

若者達へ ⑦学校で

 前回、「子供の幸せをとおして大人が変わるしかない」という話をしました。子供達が悩むのは、小・中学校の思春期だと思います。とすると、学校の先生方が、いかに可哀そうな子供とその親と向き合うか、ということが問題だと思います。
 ある先生と会った時に、「40年間の人生を経た大人をどうやって教育するのですか。そんな問題のある親は学校やPTAにも来ないでしょう。」と質問したことがあります。そしたら、その方は、「夕方、お家に電話します。そして、今日は○○ちゃんはこんな良いことをしたんですよ。お家で褒めてやってくださいねと。そんな事を繰り返して、学校と親のコミュニケーションと信頼関係を創っていくのです。褒めることが教育の基本ですからね。ただし、先生方に伝えているのは、もしもこんな努力が無駄だと知ったら、親を切りなさい!と教えています。何故なら、教師の仕事は子供守ることだからです。」
 過酷な教育現場の中に、こんな先生もいることは、うれしくなります。皆さんはどう感じますか。

若者達へ ⑥保健室で 

 「保健室で」というタイトルを見て、多くの人は思うだろう。「変な民俗学者のことだから、コスプレが出てくるだろうな・・・。」残念でした。今日は3・11だから真面目にやるんだ。ましてや「若者達へ」だからね。
 “保健室登校”というのがありますよね。保健室には、優しくて素敵な養教の先生がいるんです。そんな女性の先生が語った言葉が、重く心に残っています。「保健室に登校する生徒は、親の人生を背負っているんです。15歳ぐらいの一番不安定な時期の子供達が、重いカバンの中に背負って来るのは、親の人生なんです。例えば夫婦喧嘩に明け暮れる親、子供に辛くあたる母親自身の悲しい人生を背負って来るんです。」
 「大人が変われば子供が変わる」という看板が掲げられています。けれど私には、まともな社会を創るには、「子供をとおして大人が変わる」しか道はないのではないか、とも感じています。ただしこの理論は、すべての親が「自分の子供は幸せにしたい。」と願っていることが前提なんですが、これも今の社会では難しくなっているような気がします。本当に悲しくなって来ます。
 

若者達へ ⑤家族の絆3・11

 今日は3月11日である。2年前の惨劇が一日中テレビに流れた。テレビのインタビューに対して、「家族が一緒の家に住めないこと」「友達と一緒に学校で遊べないこと」「仕事がないこと」が辛いと答えている。
 優しいおじいさん、おばあさんがいる家。友達と一緒に遊べる学校。お父さんやお母さんが一生懸命働く仕事場や会社、働くことに意味を知る場所。これは故郷そのものでないだろうか。
 地方の景気が低迷を続けている中でも、家族と共に暮らせることの有難さを感じて欲しい。生命のつながり、家族団らんの夕餉の素晴らしさを改めて考えさせられた。

若者達へ ④体罰問題

 わが町・長井で体罰問題が発覚した。ある中学校の教師が、クラブ活動の際に生徒の鼓膜に損傷を与える暴力をふるったというものである。 学校教育法の第11条において、「校長および教員は、懲戒として体罰を加えることはできない」とされている。この規定に対する刑事上の罰則はないものの、教員以外の者と同じく、スキンシップと解せないものについては、暴行罪や傷害罪(死亡した場合は致死罪)となる。また、教員が職権として体罰を加えた場合は、刑事上の責任とは別個に民事上の責任も問われることもある。
許される懲戒権を超える体罰について次のように定めている。
1.身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る・蹴るの類)は体罰に該当する
2.被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(お端坐・直立等・特定の姿勢を長時間にわたって保持させる
 法務省では、体罰を日本国内における主な人権課題の一つとみなし、「(愛のムチなどと言って)校内における体罰や暴力容認の雰囲気を作り出したりすることは、いじめや不登校を誘発する原因と考えられる」との見解を示している。
 法として規定するには、上のような規定が当然なのかもしれないが、私には少し納得がいかない部分がある。人が人に対して、本当に向き合った時に、そんなに冷静でいられるだろうか。私のように還暦を迎えるような年寄だったら可能かもしれない。しかし20代や30代の若い人が、「お前らもっと真面目に頑張れよ、なんで真面目に生きないんだ。」と思った時に、冷静ではいられるのだろうか。教育者とはそれほど難しいあり方を要求されるものだろうかと思うのである。
 皆さんはどうお考えでしょうか。