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長井の心 猪熊弦一郎さん&朝倉文夫先生&長沼孝三さん

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 201422日にNHK日曜美術館で、猪熊弦一郎さんが紹介された。

猪熊さんは、三越デパートの包装紙や上野駅の大壁画を制作した人である。この番組を見た時に、長沼孝三先生との共通点を感じた。長沼孝三さんも三越のデザイン部の仕事をしたこともあり、さらに上野駅に愛の女神像を制作している。このことを、文教の杜の事務局長に伝えたところ、猪熊さんが長沼先生の自宅で写真を撮っていることを教えられた。

 http://blogs.yahoo.co.jp/kassy1946/51145291.html

 さらに、過日、長沼孝三さんのご遺族の方に伺った際に、朝倉文夫先生と長沼孝三さんの関係を教えてもらった。朝倉文夫先生は、明治から昭和の大彫刻家・大彫塑家であり、「東洋のロダン」とも称された方です。その朝倉文夫先生が、自身の葬儀の際は、長沼孝三さんを葬儀委員長にすることを頼んだそうです。さらに、文教の杜は、朝倉さんの記念館を意識して作られているとの評が紹介されていました。

 http://www3.ic-net.or.jp/~motokazu/marudaiougiya.htm

 このような縁を思いながら、長井市の丸大扇屋と長沼孝三彫塑館を訪ねてほしいと思います。 

変な民俗学 1-⑧ 長井の心で伝えたかったもの・・・

  • 変な民俗学 1-⑧ 長井の心で伝えたかったもの・・・

 変な民俗学 第1巻(長井の心)は、しばらくの間、お休みしていましたが、むらむらと書きたくなってきちゃいました。よければ読んでみてください。

 「長井の心」は、長井市名誉市民の故・長沼孝三氏が、故郷の人々に残したメッセージあるいは遺言でもあります。そんな長沼孝三氏が、最後のライフワークとして取り組もうとしたテーマが「念仏踊り」でしたが、目標を達成できずに逝去されました。

 伊佐沢の久保桜の下で、一年に一度だけ、踊られるのが「念仏踊り」です。 樹齢1200年といわれる久保桜の下で踊られる念仏踊りを見た時に、長沼孝三氏は感じたと思われるのです。そして制作したのがこの写真です。

 みなさん、考えてみてください。桜と踊り子が、球体の中に張り付いています。質問1:何故、球体を使ったのか、球とは何か? (ヒント)球と地球とは・・・。  質問2:桜と人間のウェイトがどうなっているか? 

 今年度中に策定予定の長井市教育振興計画も、「長井の心」を伝えることを目標としています。一人でも多くの方に、このことを考えてみて欲しいと思います。心ある方は、タスビルの「若い太陽の広場(ビアガーデンをする場所)」に建てられていますの、ぜひじっくりと眺めてみてください。

成田駅前変な民俗学 1-①茂吉と翁草

 故郷は遠くにありて…・・

 「翁草」という野草をご存知だろうか。その名のごとく、白髪の老人が腰を曲げているような花である。どんなにひいき目に見ても、美しいと言えるものではないが、山形県が生んだアララギ派の歌人・齋藤茂吉が「翁草」を題材とした句を多く作っている。とりわけ、茂吉が東京の医学部に進学していた頃に詠んだ句に、次の句がある。
 「翁草に唇ふれて帰りしが あはれあはれいま思ひ出でつも」
故郷の野に咲いていた花に、故郷を想う青年茂吉の心が映る。そして、初恋の想いにも似た切なさが感じられて、私が好きな句である。そしてこの歌は、室生犀星の「故郷は遠くにありて思うもの…」の歌に似たものを感じる。なお、この翁草はレッドデータブックの危急種になっているが、その貴重な群生地が長井市の成田地区内にあることを知っている人 は少ないだろう。
 さて、「故郷は遠くにありて思うもの…・」に戻ろう。私の子供もこの春、大学進学で故郷を離れていった。都会のアパートに一人居て、彼は何を想うのであろうか。その想いは、私達が就職列車に乗って、上野駅に降り立った時の、切ない想いに通じるものがあるのではなかろうかと思うのである。
 現代は、ITの時代であり、企業人は世界を駆け巡り、NGOとして若者が遠い外国の支援に向かう時代である。現代に生きる若い人にとって、活躍の舞台は故郷ではなく世界である。しかしその一方で、50年立った今でも、故郷に帰りたいと願う同胞(はらから)がいる。私は、翁草のように故郷で生きる運命にある。私達は同胞の友のために、どのような故郷を残さなければいけないのか。そして世界に向かって旅立とうとする子供達に、故郷の何を伝えなければならないのか。そんなことを、「ふるさと長井ナビ」のスタートに考えてみたいと思うのである。

成田駅前変な民俗学 1-②長井の心

  長井の心

 地元の長井高校の大先輩である長沼孝三先生は、「長井の心」という詩の中で、「私は日頃、人間形成の最も重要な条件は、故里の自然環境そして風俗、習慣であると考えておりますので、長井に生まれ『長井の心』で育った事を誇りとし、感謝しております」と書いている。
 第一話で紹介した歌人・茂吉を形成したのは、最上川や蔵王連峰、そして翁草という野の花々を含めた「ふるさと」であったかもしれない。長井高校の校是に、かの有名な犬養毅の揮毫による「万物我に備わる」がある。万物が備わる“我”こそは、「ふるさと」という土壌の中で形成されたものと考えることができる。故郷を知ることと、我を知ることは、ある意味では相通ずるものがあるような気がするのである。そしてそれは、生命を伝え、自らのDNAを探る旅ではなかろうか。そして、この事を理解することが、世界の平和と共存につながるものに思えるのである。今も長井市の教育の基本方針は、『長井の心を育てる』ことである。
 また、故郷・長井で、素材にこだわり製法にこだわって生きて来た食の匠が集まり、長井銘産品研究会が設立された。メンバーは、羽前成田駅前の高橋鯉屋と大千醤油店、そして草岡ハム、大勝麺匠などである。彼らの思いは、「長井の心」「食の職人の心」を伝えたいという一点にある。食育が脚光を浴びているこの時に、食をとおして、自らの故郷を考えてみることも一つの切り口であろう。物語とは、“物”が“語る”ものであるかもしれない。物が語るのは、職人の生き様であり、故郷の心そのものであろうと思うのである。
 ⇒ 興味のある方は,置賜地域地場産業振興センターのHPへどうぞ

成田駅前変な民俗学 1-③桜の花は・・・

桜の花は咲きにけり…・・何故桜の下で酒を飲むのか

 第二話でDNAのことを話しましたが、故郷のDNAを考えるよりは、日本民族のDNAから話しをした方が分かりやすいと思う。ヘンなオジさんの民俗学を始めたいと思います。興味があれば、読んでみやってくだい。
 故郷・長井の春は、桜で始まる。久保桜、大明神桜など、故郷に桜の花は咲きにけり…・である。日本の国花は桜である。さて、「何故、日本人は桜の下で酒を飲むのだろうか?」。このことを民俗学的に考察してみよう。
 サクラのサとは、サ神(作神様)のサを意味する。サから始まる言葉を並べると、相模の国、我が母校の長井高校が建つ「早苗ケ原」の早苗、サナブリ、そして早乙女etc。お分かりになるだろうか。稲作文化が伝わった弥生時代に、それまでは山岳宗教として山に住んでいた神様が、いつのまにか作神様として、里に降りて来るようになった。里人が、田植えを終えて秋の豊作を祈る時期に、サ神様が降りてくる座席が、クラ(坐)であったのである。つまり、サクラは作神様が里に降り立つ場所だったのである。そしてサケ(酒)は、サ神にササゲるものであり、里人が飲む酒は、サ神からのおサガリもののサケなのである。
 国の天然記念物・久保桜のような桜の老木に、日本人が今でも、何とも言えない感情を持つのは、こうした記憶に埋もれたDNAに基づくものである。そして、現在、置賜地方の最大の観光事業は桜回廊であり、台湾や韓国からも観光客が来ているのである。そして、白兎地区にある葉山は、置賜一円の作神様として崇められた山であることを覚えておいて欲しい。