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停車場憧憬  祭りの記憶・村の記憶

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いよいよ明日から、お文殊様のお祭り(子供獅子)だ。長井で行われる獅子舞は、光があり、動きがあり、音があって、子供達の脳に深く記憶されるものだ。ところで、「鉄道がなくなると、町は廃れる。」と語った友がいた。子供の数が少なくなって、学校も統廃合が進められている。ある地域では、子供の祭りが休止になったとの話も聞こえて来る。学校がなくなれば、村人が集まる機会も少なくなり、帰省した時に同級生が集まる場所もなくなってしまう。そして、祭りがなくなれば、村の記憶もなくなるのではないだろうか。停車場と祭りを永く残して行きたいものだ。【写真提供:氏家・永山・佐々木/ただし成田八幡神社の祭礼時のものです】

2017.08.13:orada:コメント(0):[停車場憧憬]

停車場憧憬  祭りの記憶

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もうすぐお盆である。息子夫婦が帰って来た。孫の動きの一つ一つに、笑い声がおこる。14日には、御文殊尊の祭礼で、子供の獅子舞が町を練り歩く。かつて息子もその一団の中にいたものだ。子供が少なくなって祭りの継続を心配する人もいる。まして都会で生きる息子である。笛や太鼓、祭りの記憶は、どこまで伝わって行くのだろうか。せめて、盆と正月ぐらいは、顔を見せて欲しいものだ。【写真提供:渡部・永山】

2017.08.11:orada:コメント(0):[停車場憧憬]

停車場憧憬 母の人生を想う

   6月から、週末の午後は、可能な限り駅茶(駅長室)を開けるようにしている。駅舎を訪れる人に、中を覗いてもらいたいとの気持ちである。いろいろな方が訪ねて来てくれるが、そんな中に、おふくろさんを連れて来られたご家族がおられた。話を聞くと、おふくろさんは長井市西根出身で、高校時代に成田駅から南長井駅まで通ったのだという。今、西根の実家には誰もいなくなり、お墓も東京に移すのだという。

 ひとしきり想い出談議に花を咲かせての帰り際、「お母さんの想い出の場所を守っていてくれてありがとうございました。」と、娘さんが丁寧に頭を下げられた。故郷の家やお墓がなくなる時代なのだという寂しさと共に、この駅舎の風景を、母娘が想いを重ねて眺めていることに深い感動を覚えたものです。

停車場憧憬 それは母の人生を想う旅

2017.07.28:orada:コメント(0):[停車場憧憬]

停車場憧憬 超えたい山・・・

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生命生まれる春に、故郷を出て、自分の夢を追いかけたい思いに駆られたものだ。私の青い我儘を、何も言わずに父母はうなずいてくれた。けれど、祖父母の涙が切なかった。

停車場憧憬 それは切ないほどの家族の温もり

2017.07.13:orada:コメント(0):[停車場憧憬]

停車場憧憬  各停だから・・・

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樹間から見えて来る山々。あの山々と向き合ってみたいと思う。各駅停車で降り立ったホームでのひと時、人生に無駄なものはなかったと思いたい。

停車場憧憬 それは私自身の生き方を探す旅でもある。

2017.07.13:orada:コメント(0):[停車場憧憬]