写真帳のコメントに「時庭駅はなはだしい荒れ方であった」とあるとおり、寂しいぐらいの状況です。現在は、コミュニティセンターが建設(平成8年)され、駅前は落ち着いた雰囲気の住宅地となっています。また、ガーデニング事業や鉄道写真展にも取り組んでいます。
【写真提供:山形鉄道(株) 1986年9月5日撮影】
南長井駅はトイレが新しくなったようです。待合室には長井高校生徒会、合資会社長井製作所、台町子供会の連名で「駅は自分のもの」という看板が見えます。が、写真帳には「待合所内部の荒れ方は激しい」とのコメントがありました。それはさておき、その当時も今も、高校生の大事な足であり、「今日もあの娘は長井線」のとおり、甘酸っぱい青春の1ページなのでしょうね。
【写真提供:山形鉄道 1986年9月5日撮影】
30年前の長井駅ですが、公衆電話などは変わっていないようですが、タクシーの形も何となくレトロっぽく感じます。懐かしい名前の食堂の看板も見えます。長井駅の内部の様子は、かなり変わっていますし、ホーム側にも回廊風に軒があったようです。
【写真提供:山形鉄道(株)】
写真帳全体の雰囲気がわかってもらえるように、ファイルをそのまま写真にしてみました。珍しく駅員さんが写っています。委託駅の駅長の談話として「長井線沿線の駅舎の多くは開通時(大正12年)のままだ」とのコメントが、写真帳に記載されています。それにしても駅長室内の券売機、黒電話、タクシー会社の日めくりカレンダー、応接テーブルの上に見える茶菓子器etc・・・、いい味出てますねぇ。
蚕桑駅も新築されていますが、この当時から駅の脇には公民館(雪舟町公民館)があり、なんと黄色の公衆電話がありました。ホーム側からみると成田駅などとほぼ同じく、ビニールトタンで囲っているのがわかります。電柱についている駅名票が『こぐは』となっているのが良いですねぇ。