HOME > 停車場の追憶写真帳

30年前の成田駅 ①

  • 30年前の成田駅 ①
  • 30年前の成田駅 ①

1986年(昭和61年)9月5~6日に長井線沿線の全駅舎が撮影された写真帳が保存されていました。屋根や壁等の腐食状況のコメントが記載されています。昭和61年10月は、第三次特定地方交通線として長井線の廃止が決定され、昭和62年4月には国鉄から東日本旅客鉄道が承継。さらに翌昭和63年10月25日に山形鉄道フラワー長井線が開業しました。これらの写真は国鉄時代の最後の駅舎風景といえます。順次ご紹介していきますので、30年前の匂い(!?)を感じてください。【写真提供 山形鉄道(株)】

屋根が瓦屋根であり、一部をトタンで補修しているように見えます。駅名の看板が超大きい。窓はサッシですが、腰板部分は木製になっています。平成23・24年の改修前には、腰板部分はトタンでしたから、その後にトタン張りにしたと思われます。駐輪場が賑わってます。ママチャリが多いのも良いですね。駅前の立木の多さも目につきます。コメントには「屋根、壁面の腐食」と記載されていました。

2017.02.13:orada:コメント(0):[停車場の追憶写真帳]

転車台と雪捨て列車

  • 転車台と雪捨て列車
  • 転車台と雪捨て列車

今泉駅の敷地内にある転車台の除雪も大変な作業であったろう。そしてもう一枚は雪を積んだ貨物列車が、白川鉄橋で雪捨て作業を行っているところである。転車台も現役だったのだろう。貨物列車も最近は見なくなった。

2017.02.04:orada:コメント(0):[停車場の追憶写真帳]

昭和30年代の豪雪状況

  • 昭和30年代の豪雪状況
  • 昭和30年代の豪雪状況

今年は、短期間に集中して降雪に見舞われ、枝折れ等の被害が出ています。この度、山形鉄道さんから貴重な写真をお借りすることができましたので、幾つかを紹介します。。一枚は「宮内町表一番雪捨列車運転」と朱書きされています。もう一枚は、「今泉構内」とメモがあります。今泉の構内の屋根に積もった雪を、そのまま貨車におろしています。

【写真提供:(株)山形鉄道】 アルバムのタイトルは『昭和35年度以降雪害状況 今泉分区』と記載されています。過去の豪雪災害と言えば、昭和38年(1963年)のサンパチ豪雪が有名であり、その年のものでないかとは思われますが詳細は不明です。

2017.02.03:orada:コメント(0):[停車場の追憶写真帳]

昭和53年の乗車券

  • 昭和53年の乗車券
  • 昭和53年の乗車券
  • 昭和53年の乗車券
  • 昭和53年の乗車券

山形市在住の鉄道コレクター 小野様から、羽前成田駅で発行された乗車券と入場券の画像を提供いただいたので紹介します。

昭和53年、A型常備乗車券で羽前成田から山形、北山形ゆき。有効期間2日のため青色地紋。№147初売券です。

昭和57年、B型常備入場券。№128

乗車券を見て、改めてこの駅がれっきとした駅で、しっかり発券していたんだということを実感します。小野様、貴重な資料を提供いただきありがとうございました。

2016.10.15:orada:コメント(0):[停車場の追憶写真帳]

停車場の追憶写真帳 ⑤

  • 停車場の追憶写真帳 ⑤
  • 停車場の追憶写真帳 ⑤

 この2枚の写真は、国鉄職員に採用された若人が、羽前成田駅での研修を受けている時の写真だろうと思います。私のように古い人間は、この写真を見ると「青い山脈」とか「キューポラのある街」といった青春映画を思い出すのです。写真の中の好青年は、浜田光夫に似ていると思いませんか。そして本当に清純そうな女性は、浜田光夫と共演した吉永小百合さんや和泉雅子田代みどり松原智恵子と似ていると思いませんか?

2015.07.30:orada:コメント(0):[停車場の追憶写真帳]