今は「おりはた」駅と改名されましたが、30年前は西宮内駅という名称だったようです。写真帳には「西宮内駅 無人 整備状況普通」と記載されています。「整備状況普通」というのは、西宮内駅が初めてです。駅に向かうまでの細道・小路も味わい深いものがあります。
【写真提供:山形鉄道(株) 1986年9月5日撮影】
♪幸せ来る橋 幸来橋を 左に眺めて梨郷を過ぎて 今泉あたりで人待ち顔は 米坂線の誰を待つ♪
今泉駅は米坂線と長井線の交差点であり、圏内からの乗客で賑わっていました。各学校それぞれの制服を着た女子高生は、まぶしく見えたものである。また長井にあった大企業に勤める人たちも列車通勤が多く、他町から来る女子工員との出会いの場でもあったという。おらだの会の某会員夫婦も、今泉駅で出会ったとのこと。ホームにはKioskの売店が見える。寒い中で喰ったしょっぱい掛け蕎麦のうまかったことが忘れられない。
【写真提供:山形鉄道 1986年9月5日撮影】
今泉駅前の雰囲気は、今とほとんど変わっていないようですが、屋根の色合いと煙突は面白い形をしています。宮脇俊三という鉄道作家(?)が1980年に発表した「時刻表昭和史」という本があります。その中で、昭和20年8月15日に父親と一緒に、今泉駅前の広場で玉音放送を聞いたことが記載されています。また今泉駅前で有名なラーメン屋さんといえば「かめや」さんですが、昭和28年創業で当時は一杯35円だった、とお店のHPにありました。もう一つのエピソードとして、今泉駅前の某旅館さんが駅弁を売っていたと聞いたことがあります。どんな駅弁だったのか食べてみたい気がします。「30年前の今泉駅」のさらに30年前のことでしょうか。
【写真提供:山形鉄道 1986年9月5日撮影】