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30年前の西宮内駅

  • 30年前の西宮内駅

今は「おりはた」駅と改名されましたが、30年前は西宮内駅という名称だったようです。写真帳には「西宮内駅 無人 整備状況普通」と記載されています。「整備状況普通」というのは、西宮内駅が初めてです。駅に向かうまでの細道・小路も味わい深いものがあります。

【写真提供:山形鉄道(株) 1986年9月5日撮影】

2017.03.09:orada:コメント(0):[停車場の追憶写真帳]

30年前の梨郷駅

  • 30年前の梨郷駅
  • 30年前の梨郷駅
  • 30年前の梨郷駅

駅名看板が目立ちます。梨郷駅のホーム側には、「歓迎 梨郷神社参拝団」の看板も見えます。この頃は、参拝客も多く利用したのでしょうか。枕木を活用したと思われる歩道も素敵です。現在の駅舎は、バンガロー風の建物になっています。フラワー長井線の各駅を巡る旅も面白いものがあります。

【写真提供:山形鉄道 1986年9月5日撮影】

2017.03.08:orada:コメント(0):[停車場の追憶写真帳]

30年前の西大塚駅

  • 30年前の西大塚駅
  • 30年前の西大塚駅

1914年(大正3年)に建設された西大塚駅です。2015年8月、成田駅と共に登録有形文化財に登録されています。残念ながら正面からの写真が残っていませんが、現在の写真と比較してみてください。駅舎に掛けられたハシゴは、もしかすると30年の間、ずーっとあそこに掛けられていたのかもしれません。駅前広場の樹木は伐採されて、今は一本だけになっているようです。自転車がたくさん置かれてあって、当時の汽車通学の様子が伺えます。

【写真提供:山形鉄道(株) 1986年9月5日撮影】

2017.03.06:orada:コメント(0):[停車場の追憶写真帳]

30年前の今泉駅 ②

  • 30年前の今泉駅 ②
  • 30年前の今泉駅 ②

♪幸せ来る橋 幸来橋を 左に眺めて梨郷を過ぎて 今泉あたりで人待ち顔は 米坂線の誰を待つ♪

今泉駅は米坂線と長井線の交差点であり、圏内からの乗客で賑わっていました。各学校それぞれの制服を着た女子高生は、まぶしく見えたものである。また長井にあった大企業に勤める人たちも列車通勤が多く、他町から来る女子工員との出会いの場でもあったという。おらだの会の某会員夫婦も、今泉駅で出会ったとのこと。ホームにはKioskの売店が見える。寒い中で喰ったしょっぱい掛け蕎麦のうまかったことが忘れられない。

【写真提供:山形鉄道 1986年9月5日撮影】

2017.03.04:orada:コメント(0):[停車場の追憶写真帳]

30年前の今泉駅 ①

  • 30年前の今泉駅 ①
  • 30年前の今泉駅 ①

今泉駅前の雰囲気は、今とほとんど変わっていないようですが、屋根の色合いと煙突は面白い形をしています。宮脇俊三という鉄道作家(?)が1980年に発表した「時刻表昭和史」という本があります。その中で、昭和20年8月15日に父親と一緒に、今泉駅前の広場で玉音放送を聞いたことが記載されています。また今泉駅前で有名なラーメン屋さんといえば「かめや」さんですが、昭和28年創業で当時は一杯35円だった、とお店のHPにありました。もう一つのエピソードとして、今泉駅前の某旅館さんが駅弁を売っていたと聞いたことがあります。どんな駅弁だったのか食べてみたい気がします。「30年前の今泉駅」のさらに30年前のことでしょうか。

【写真提供:山形鉄道 1986年9月5日撮影】

2017.03.03:orada:コメント(0):[停車場の追憶写真帳]