第22番「補陀落山 総持寺(そうじじ) 千手観世音菩薩」
おしなべて 老いも若きも※ 総持寺の ほとけの誓ひ 頼まぬはなし
お年寄りから子供まで押し並べて、総持寺の観音様のご誓願に頼まない(お祈りしない)人はいない。
観音様は大きな慈悲の心で人々をお救いになる。
※近年「高き賎しき」から変更されました。
◇「押し並べて(総じて)」と「総持寺」をかけています。
ここから第23番への道が最後の上り坂になります。
第20番「西山 善峯寺(よしみねでら) 千手観世音菩薩」
野をもすぎ 山路にむかふ 雨の空 善峯よりも 晴るる夕立
桧や杉の木立の中、上り坂を歩まれるころに急に曇って沛然※とした夕立になり、やっと観音堂に着かれ、夕立も晴れて、身も心もすがすがしい清浄の域に達せられたご様子と存じます。
このように、旅には雨もあり晴もあり、人生も然りであります。前向きに「日々これ好日」、観音様と共に、観音様がお護りくださるのです。
※はいぜん 雨が強く降るさま
引用:善峯寺副住職 掃部光暢「西国巡礼慈悲の道」より
第20番の観音様が鎮座する硯(すずり)石の洞穴から水が流れています。
伝説によると、
慈覚大師円仁が霊場を求め岩部山を踏査した時、洞の奥に清水が湧き出ているのを見て、矢立の墨壺に入れたことから硯石と呼ばれるようになりました。
(円仁はその後、山寺(立石寺)を創建しました。)
この故事から、この水を持ち帰り硯水として使うと、習字が上達すると云われています。
第19番「霊ゆう山 革(こう)堂(行願寺) 千手観世音菩薩」
ゆうは鹿の下に七がつく字です
花を見て 今は望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん
厳しい自然の中で咲く花を見ていると、今の望みは気持ちを革(あらた)めること、
革堂の庭の千草も盛んに咲いていることだろう。
◇「革堂」と「革める」をかけています。
花を「御法(みのり)の花」※、千草を「千手観音」に例えているとすると、
「御法の花を見て(法華経の教えで)、気持ちが革まる。
革堂の千手観音様のご利益も盛んとなるであろう。」と解釈できます。
※法華経のことです。
法華経の中の「観世音菩薩普門品第二十五」が観音経になります。