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岩部山三十三観音めぐり紀行18

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第18番「紫雲山 六角堂(頂法寺) 如意輪観世音菩薩」

 

わが思ふ 心のうちは 六の角 ただ円かれと 祈るなりけり

 

六の角とは、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲のことで、これらを捨て去って角を無くし、円満になること、すなわち「六根清浄を願う」という祈りを込めた形と伝えられています。

引用:六角堂ホームページ

 

◇「六の角」と「六角堂」をかけています。

岩の上部にありますので、見落とさないようお気をつけください。

2020.06.15:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]

岩部山三十三観音めぐり紀行番外編 前立仏

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第1番観音様を目指し、参道を行くと最初に現れるのが「前立観音」(まえだちかんのん)です。ですがその像容をよく見ると、炎の光背を背にし、右手には剣、左手には羂索※を持っている様子から不動明王像と考えられます。

 

前立という言葉には「本尊を守護してその前に立っている像」という意味があることから、おそらくこの地から1km以上山奥にある「北沢不動尊」の前立仏であると思われます。

 

※衆生救済の象徴とされ、不動明王や千手観音などがこれを持っています。

2020.06.15:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]

岩部山三十三観音めぐり紀行17

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第17番「補陀落山 六波羅蜜寺 十一面観世音菩薩」

 

重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂に 参る身なれば

 

例え五つの大罪(一つには父を殺し、二つには母を殺し、三つには聖を殺し、四つには平和をみだす、五つには仏の身より血を流す)を犯した者でも、御観音様とご縁を結び、

今度は六つの六波羅密※を日々実践することにより罪は消えていくことだろう。

 

引用:六波羅蜜寺チケット

 

※六波羅密とは、この世に生かされたまま、仏様の境涯に到るための六つの修行

(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)をいいます。

波羅蜜とは彼岸(悟りの世界)に到ることです。

 

引用:六波羅蜜寺ホームページ

2020.06.12:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]

岩部山三十三観音めぐり紀行16

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第16番「音羽山 清水寺 十一面千手千眼観世音菩薩」

 

松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は 涼しかるらん

 

清らかな覚りに導いていただける菩薩の説法に触れ、音羽の滝の清らかな水で、心を洗い

清めることを通じて、様々な煩悩から、心から解放されるようになれば、心は平静を取り

戻し、清らかな心境をずっと維持する事ができるであろう。

引用:清水寺ホームページ

 

◇「松風」を「菩薩の説法」と説明していることについて補足すると、「松吹説法度生

声」という中国の法話から来ています。

声だけが説法ではなく、天地に満ちている「松風の音もまた、仏様の説法の声」といった

意味になります。(諸説あり)

2020.06.11:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]

岩部山三十三観音めぐり紀行15

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第15番「新那智山 今熊野観音寺 十一面観世音菩薩」

 

昔より 立つとも知らね 今熊野 ほとけの誓ひ あらたなりけり

 

今熊野の観音様は昔から人知れず、人々を救う誓いを立てておられ、

それは今も新たな誓いとして変わらない。

 

◇「あらたなり」と山号の「新那智」をかけています。

 

今熊野の霊験記(引用:今熊野観音寺ホームページ)

後白河法皇は持病として激しい頭痛がおありでした。今熊野観音に頭痛平癒のご祈願を

続けられたところ、ある日の夜、法皇の枕元に観音様が現れ病める頭に向けて光明を

お差しかけ下さいました。すると永年苦しんで来られた頭痛が、不思議にもたちまちに

癒えてしまいました。

 

◇上記の説話を踏まえると「枕元に立つ」と「誓いを立てる」をかけているのかも

しれません。

2020.06.10:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]