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岩部山三十三観音めぐり紀行番外編 天狗岩

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天狗岩

岩部山の展望スポットで、岩部山駐車場から歩いて10~15分ほどで到着します。

(お遍路でいうと逆打ち)

南には吾妻連峰、東に蔵王連峰が望めます。

 

眺望が良く、戦国時代には山城(岩部山館 別名:月見ヶ城)が築かれました。

この地は伊達氏と最上氏との領境にあたり、隣の中山地区※にある最前線の中山城を擁護し、最上勢の侵攻に備え、複数の館が作られました。

 

伊達から蒲生そして上杉領となり、慶長五年(1600年)の慶長出羽合戦では最上勢が小岩沢村に侵入、焼き討ちに遭いました。

 

※昭和32年1月1日に分町(上山市に編入)するまで、置賜郡に属していました。

中川という地名は、明治22年に合併する際、中山村の「中」と川樋村の「川」を参互折衷して中川村とした合成地名です。

2020.06.29:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]

開山 金毛和尚

  • 開山 金毛和尚
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天保の大ききんで人心はすさみ、親子の情すら薄らぐ有様でした。

川樋村松林寺十六世住持の金毛(きんもう)和尚は観音様にすがるより他なしと決断し、村人等の協力を得て西国三十三観音を勧請しました。

 

江戸時代に彫られた金毛和尚像で第26番観音の近くにあります。

順路表示はありませんが、南側に遊歩道が分かれていて10mほど進むと岩陰に彫られています。

 

像の下側に「天保 四巳? 石工 栄?」と刻まれていることから、石工の像という話もありますが、右手に仏具の金剛杵を持つことから和尚像であると考えます。

2020.06.26:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]

岩部山三十三観音めぐり紀行26

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第26番「法華山 一乗寺 聖観世音菩薩」

 

春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる 法の華山

 

春には桜、夏には橘、秋には菊の花が咲くように、いつも有難い仏様の花が咲いている妙法華華のお山です。

鳥の声、梢の音も、観世音菩薩の大慈大悲のお声と聞こえます。

 

引用:一乗寺 山主 太田 實秀「西国巡礼慈悲の道」より

 

◇「花」と法華の「華」をかけています。

 

観音経は「妙音観世音」妙なる※声の観世音と説いています。

 

※素晴らしい・美しい

2020.06.26:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]

岩部山三十三観音めぐり紀行25

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第25番「御嶽山 播州清水寺 十一面千手観世音菩薩」

 

あはれみや 普き門の 品々に なにをかなみの ここに清水

 

観音様はあわれみ(慈悲)の心を持っている。

普門品※(観音経)を唱えれば何も悩むことはなく、清水の観音様が救ってくれる。

 

◇「なみ(波)」に「清水」を組み合わせています。

観音経は「或漂流巨(略)波浪不能没」大海を漂流しても観音様を念ずれば波の中に溺れることはないと説いています。

 

※法華経の「観世音菩薩普門品第二十五」の略称で観音経のことです。

2020.06.25:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]

岩部山三十三観音めぐり紀行24

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第24番「紫雲山 中山寺 十一面観世音菩薩」

 

野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へ参るは 後の世のため

 

多くの人々が野山や村里を越えて、中山寺の観音様にお参りに行く。

観音様は、後世救済の手を差し伸べてくれる。

 

第24番の観音様が彫られた岩は、貴族が被っていた烏帽子の形に似ていることから「烏帽子岩」と呼ばれています。

「烏帽子岩」は茅ヶ崎だけでなく山形にもあるんです。

2020.06.24:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]