長井市中央地区公民館

長井市中央地区公民館
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 御筒屋とは、漆の実から蝋を取り生成・製造するところである。
 元禄3年(1690年)米沢藩内に6ヶ所設けられた。その内の1箇所
である。
 元禄6年(1693年)に3ヶ所に削減されたが、当御筒屋は明治の
廃藩まで続いた。寛政8年(1796年)に失火により焼失し、宮村に
移転したが、文化12年(1815年)小出に移された。
 嘉永5年(1852年)に小出火災・松坂火事により再焼失したが、
翌年再建された。
 筒屋の面積は、4反3畝14歩の広さであった。明治5年(1872年)
置賜県は、木の美に対する諸制度を廃止し、土地及び建物を民間に
払い下げた。
 稲荷神社の建立は不明。漆製品の商売繁盛と住民の健康・安全を
祈るため建てられたものと思われる。当時から地区民が守護神とし
て戴き修理・改築・管理等を行い、現在は片田稲荷神社として地区
で毎年例大祭を実施している。
 当稲荷神社の小祠は、筒屋の敷地内に祀れれていた鎮守(別当は
薬師寺)である。
 例大祭は、毎年5月第2日曜日。

平成28年度設置。






 慈愛の像は昭和32年、長井小学校創立80周年記念事業として、PTA
(会長・横山薫一氏)が中心となって設置されたものである。作者は
長井市出身の彫刻家 長沼孝三先生である。
 この作品がもとで校庭の森が、「慈愛の森」として整備され、校是が
「慈愛」となって、「慈愛」は長井小学校のシンボルとなっている。
 また「慈愛の碑」は、平成6年「慈愛の教育」を創設した時、その
実践テーマソングとして作成された「慈愛の歌」である。「慈愛の教育」
が文部大臣より表彰されたことを記念して設置されたものである。

平成22年度に修復再設置。(長井小学校)

▽慈愛の像


▽慈愛の碑



  「緑の里」

 山は連なり    川は流れる
 緑の里に     花は咲き
 町には幸せが   優しく佇んでいる

 郷土の詩人蒲生直英の詩集「四季流転」の巻頭の詩である。
彼は大正9年に長井市川原沢に生まれ、教職にあって昭和28年に
第1詩集「連鎖の山」を刊行し、以来平成6年の「わが住む町」まで、
故郷の美しい自然と素朴な生活をこよなく愛し気負いなく自然態で
詠んだ5冊の詩集を世に出している。
 現在、日本現代詩人会に所属し、山形新聞詩壇撰者をつとめ、
詩誌「焔」「石笛」の同人である。

平成6年度設置。平成11年度修復。(あやめ公園内)






「あやめ公園開園記念碑」

 この碑は花の長井を代表するあやめ公園の開園を記念して、当時
全国的に有名な3人の川柳家の自筆の句を刻んで昭和12年7月長井川
柳者の有志が発起して建設したものである。句は、

 名園の花を生かして絵雪洞  五花村
 人去りて地にむらさきの詩が残る  剣花坊
 魂はゆかりの色へよみがえり  飴ン坊


「あやめ公園『山形県一名所』碑」

 あやめ公園は明治43年7月に金田勝見氏が、自分で経営する茶店の
西の杉林跡5畝を開墾してあやめを植えたことに始まる。昭和5年に、
山形新聞社が「山形県一名所」の人気投票を行ったとき、佐藤鶴吉
町長を先頭に全町民が燃え、町外の縁故を尋ねて、あやめ公園への
投票をたのみ、遂にその栄冠をかちとった。
 この「名所県一」の首位獲得運動を通じて、「宮公園」という意義
が「長井のあやめ公園」へ、そして更に「東北一のあやめ公園」と
いう意識に高まり全盛期を迎える動機となった。「長井音頭」「長井
小唄」の地方ソングを作ったのも3年後のことである。


あやめ公園開園記念碑は昭和62年度設置。
あやめ公園山形県一名所碑は平成元年度設置。
平成11年度に2つに分かれていた案内板をまとめたものが設置された。
(あやめ公園内)




 当社は平安の昔、坂上田村麿将軍が蝦夷地征服の際、日本武尊の
御神徳を追尊して白鳥の杜をここに創建されたのが始まりと伝承さ
れているものである。
 鎌倉時代以降、長井・伊達・蒲生・上杉と歴代の領主の信仰厚く
下長井郷44か村の神社をここに合祭し、下長井郷総鎮守の杜として
総宮の社号を定めたものと伝えられる。当地の旧村名宮村はこの杜
に由来するもので特に「宮の明神参り」は江戸時代に最高の賑わい
を呈したものであったという。
 現在の御本殿は、名君上杉鷹山公ゆかりの官財を下賜せられ、郷民
のすべてが浄財を寄進して建立されたものである。
御宝物に木像男神像、木造観音立像外懸仏・鬼面・古鏡・獅子頭など
貴重な文化財を伝えている。


昭和59年度設置。平成26年度修復。




立像は山形県指定有形文化財

札 所:置賜三十三観音札所 第十番
本 尊:馬頭観音立像(木像彩色)
御詠歌:夜もすがら 月を見上げて おがむなり 
              沖の川瀬に 立つは白波

 当所は地勢的に西国三十三番札所第十番三室戸寺(宇治川のほとり)に
なぞらえて定められたもので御詠歌もほとんど同じである。ご本尊は鎌倉
時代の初期に都の仏師の手になるすぐれた作品である。
 現在の本堂は天保年間の造立東側に祭礼の日(旧7月10日)参詣の馬が
本堂に登る渡り廊下が設けられてあった。

昭和61年度設置。平成22年度修復。