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株式会社ヨシダラボ|吉田大作

  • 株式会社ヨシダラボ|吉田大作

今日のデジタル時代、機器類は便利になる一方、操作方法、その用途が多種多様になった。しかし、便利さゆえの複雑さ。だからこそ、ほっとできるアナログ的なステーションとしての役割が、我々写真屋さんに必要だと思う。

そもそも人間そのものがデジタルではなく、アナログである。五感で感じ、直感で動く。山形にいるだけで感じる「なんとなく」という心地よさ。それは、先祖代々、ふるさとに生きるDNAに受け継がれてきたものが、応えている証拠だと思う。

これからも、笑顔が生まれる「心地よさ」を感じていただけるお店を求め続けていきたい。10年後は、写真というものがどんな形に変わっていくか分からないが、人間そのものはあまり変わっていないと思う。どの時代においても、お客様の気持ちが詰まった大切な一枚の写真をお任せいただける、信用に支えられた企業であり続けたい。

 

2015.11.05:コメント(1):[リーダーズ]

株式会社滝の湯ホテル|山口敦史

  • 株式会社滝の湯ホテル|山口敦史

パリッ子に「日本でどこへ行きたい?」と聞くと、ほぼ100%が東京と京都に行きたいと言う。「じゃあ3番目は?」と聞いた時、「う〜ん、山形かなぁ」と言われるふるさとを私は作りたい。その為には、山形ブランドの確立と受入態勢の強化、そしてパリッ子が好む情報発信が必須だ。山形の魅力をブラッシュアップして、100年後も変わらない価値を築き、さらに付加価値を付けていくことが必要。
例えば樹氷や出羽三山、さくらんぼなどは、それぞれが固有の魅力を持ち、他の追従を許さない。そこに Try and Error で高付加価値をつけていく。また、観光地や道路標識などの多言語化はもとより、会話能力の向上、Wi-Fi、交通の整備など、受入態勢の強化を働きかけていきたい。

そして一番重要なのは、それらをどのように発信していくか。受信者が魅力を感じなければ、どんなに素晴らしい情報でも全く価値がない。相手の立場に立って、山形の魅力を発信する。それこそがまさに「おもてなし」の発信である。

2015.11.05:コメント(1):[リーダーズ]

ジャスト株式会社|岡崎淳一

  • ジャスト株式会社|岡崎淳一

これからの日本、やまがたは、これまでの「守られたものづくり」から「自立したものづくり」へと変革しなければ生きてゆけないと考えております。中小、小規模、個人の事業主が、独自性のある製品、サービスなどを追及し、ブランディングによる国内外発信を続けることが小さな島国で生きる我々の道ではないかと考えます。

資源を他国より調達し、より高い付加価値を付与して海外へ還元する。自分の目で確かめ、自分の肌で感じて、どこの国と付き合うべきかを考える。そのような行動があたりまえになることを祈念したい。
そして、やまがたが「ものづくり立県」の名にふさわしいと思われることを全国へと共有していきたいものです。

 

2015.11.05:コメント(1):[リーダーズ]

株式会社カーサービス山形|小川大輔

  • 株式会社カーサービス山形|小川大輔

10年先を考えるのは非常に難しい。中期計画と短期計画、1年計画をきちんと立て、その計画目標に向かって一生懸命やることが、10年後の維持発展につながると思います。

長期のビジョンを社員に示すことは大事ですが、時代にあわせた変化も必要。これからは、その変化に柔軟に対応できる組織づくり、情報を共有できる人材育成に力を注いでいきたいと考えます。また、理念に沿った考えを持った社員を育て、次の時代の幹部候補者がいる。そんな環境になっているのが理想です。父に教わった言葉に「会社は社長の器で決まる。社長が成長しないと会社の成長はない」があります。この10年でどこまでできるかわかりませんが、自らを奮い立たせ勉強し、人間性や言葉の深みを知り、少しでも自分と会社の成長になる努力をしていきたい。

会社が目指す姿はたくさんありますが、何よりも大事にしたいのは社員さん。社員のみんなが定年退職するときに『この会社で仕事をしてきて本当に良かった』と言っていただける会社を目指して精進して参ります。

2015.11.05:コメント(1):[リーダーズ]

株式会社鈴木酒造店 長井蔵|鈴木大介

  • 株式会社鈴木酒造店 長井蔵|鈴木大介

情報を発信できることが製造者の強みだと常々考えています。弊社は、先の震災で全流失、加えて所在地は原発から近いこともあって全町避難となり、永年培ってきた市場をコミュニティーごと失う経験をしました。冬期間に集中して行う酒造りにとって被災のタイミングは、半製品・製品等の在庫も一番多い時期で製造に充てた資金が文字通り水泡となる結果を招きましたが、幸い怪我人も無く従業員の家族も無事だったことが唯一の救いでした。マイナスからの出発でも事業再開に懸けたのは、古里に対しての熱い思いからです。状況が刻々変わるなかでも、米加工と地域文化の一部を担わせて頂いた古里に対して今後も変わらずに責任を果たしてゆきたいと考えています。

そしてご縁があって再開の場となった長井市でも、存分に長井市の環境を活かしながら地の粋と魅力を発信し、「磐城壽」と「一生幸福」という図らずも持つこととなった二つの祝い酒を真の祝い酒にできるよう、人の想いが循環する場づくりに力を注いで参ります。まずは10年後、長井の農家さんたちと協同で楽しい事業が立ち上がっているはずです。

 

2015.11.05:コメント(1):[リーダーズ]