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戦後80年…戦時遺構と公職選挙法のはざまにて~市長の後援会幹部(市議)がまさか!!!???

  • 戦後80年…戦時遺構と公職選挙法のはざまにて~市長の後援会幹部(市議)がまさか!!!???

 

 「花巻防空監視哨聴音壕跡(はなまきぼうくうかんししょうちょうおんごうあと)」―。レンガ積みの円筒形の“戦時遺構”は閑静な住宅街に囲まれるようにして、ひっそりとたたずんでいた。敵機の来襲を音で感知する「聴音壕」である。直径3・5㍍、高さ3・17㍍で、戦時中の昭和17(1942)年に建造された。朽ち果てる「戦争の記憶」に心を痛めた地域住民らが平成30(2018)年8月、「聴音壕跡地」保存会を結成。6年前に浄財を募って、整備保存された。

 

 当市花巻も終戦直前の昭和20(1945)年8月10日、大規模な空襲に見舞われ、42人が犠牲になった。戦後80年、その記憶を確かめようと立ち寄ったのがこの戦時遺構だった。整備事業に協力した70人近い個人や企業の名前が記された看板の中に「照井省三」という名前を見つけた。寄付額は現金1万円となっていた。同姓同名でないとしたら、この該当者は現職の花巻市議その人にちがいないと思った。市議会HPによると、党派は社会民主党で、所属会派は「社民クラブ」(3人)だと判明した。

 

 「公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。以下この条において「公職の候補者等」という。)は、当該選挙区(選挙区がないときは選挙の行われる区域。以下この条において同じ。)内にある者に対し、いかなる名義をもつてするを問わず、寄附をしてはならない」(「公職選挙法」第百九十九条の二:公職の候補者等の寄附の禁止)―。いきなり、現実に引き戻された。素人目にも典型的な「公選法」違反ではないか、と。

 

 保存会の関係者によると、寄付の呼びかけは令和元(2019)年6月から行われ、66人から102万円の浄財が寄せられた。その年の7月20日には「環境整備とパネル設置」を祝う落成式が盛大に挙行された。一方、「芳志者」名簿に記載のある照井議員は平成26(2014)年7月に花巻市議に初当選し、現在は3期目。保存会の顧問にも名前を連ねている。

 

 この間、照井議員は上田東一市長の「後援会」事務局長として、一貫して「上田」市政を支えてきた。たとえば、就任直後の上田市長が「新興製作所跡地」の購入を拒否した際は自らの議会報告「市政ニュース」(2015年1月14日号)で、「跡地に建設予定のパチンコ店とホ-ムセンタ-をまちづくりの活性化へ」という持論を展開して擁護した。さらに、JR花巻駅の橋上化(東西自由通路)問題ではいったん、否決された予算案の復活を呼びかけた、いわゆる“やらせ要請”が議会内でも批判を浴びた。

 

 さらに、迷走を続けたうえでやっと市側が「駅前立地」を最終決定した新花巻図書館についても、こんな“誘導”質問をしていたことが分かった。「立地適正化計画」(平成28年8月)において「まなび学園」周辺とされていた立地場所は「新花巻図書館整備基本構想」(平成29年8月)の中で「数箇所」に変更された。以下の照井質問はそのわずか2か月前のことである。

 

 「例えば大通り一丁目、大通り二丁目、末広町、鍛冶町、そして吹張町は都市機能誘導区域の中に入っているのですが、その具体の活性策は見えていないのです。私の出身はたまたま大通り二丁目でして、この間行政区の集まりに呼ばれてお話を聞いたときに、図書館でも持ってきてくれないかという話もありました。それは、商店街が本当にもうなくなっている。したがって、商店街組合も解散をしているのです」(平成29年6月19日、「6月定例市議会」の会議録から)

 

 ところで一貫して、当局側を擁護する姿勢を見せてきた照井議員は開会中の6月定例会の一般質問(6月2日)で、「市の委託事業所での時間外労働に労働基準監督署の調査が入った。どう対応するつもりか」と迫った。「市としても実態を調べたい」―こんなやり取りを聞きながら思わず、眉につばを付けたくなった。「人の振り見て、我が振り直せ」―というではないか。まず、「公職選挙法」違反が疑われる身辺整理が先決ではないのか…。一方、仮に当該事案の時効がすでに成立していたとしても、自らの選挙基盤を支える「後援会」幹部として、この“疑惑”の人物を重用し続けてきた上田市長の“政治責任”は免れない。

 

 所属会派の「社民クラブ」は以前、平和と環境を旗印に掲げて「平和環境社民クラブ」を名乗っていた。ねじれにねじれた地方組織の実態を平和論者の党首、福島瑞穂さんが知ったら一体、どう思うだろうか。「強権」支配で知られる上田市政を下支えする“革新”政党―これが宮沢賢治の理想郷「イーハトーブ」の戦後80年の無惨な姿である。なお、照井議員は開会中の今議会で永年勤続(10年以上)の表彰を授与された。「平和と環境」を食い物にしてきたこの会派の罪は途方もなく、大きい。 (コメント欄に「聴音壕」の説明)

 

 

 

 

 

(写真は一般質問で、「労働関係法令違反」を取り上げた照井議員=6月2日午前、花巻市議会議場で。インターネット中継の画面から)

 

 

 

≪追記ー1≫~あれっ、もう「駅前立地」に決まったの!!??

 

 「旧総合花巻病院跡地の活用について」―。6月5日に再開された市議会6月定例会での似内一弘議員(緑の風)の一般質問に一瞬、虚を突かれた。「駅前か病院跡地か」と市民を二分した新図書館問題についての賛否は10日の議案審議の中で、議決される予定になっていたからである。もうすでに「駅前立地」を認めたかのような当局側の“露払い”発言ではないか。

 

 教育委員会議(5月19日)で「整備基本計画」を最終的に議決した際、委員の一人である役重真喜子さんは「首長も含めてですが、政治としての議会も含めて、私は非常に極めてその責任は重いと思っていると言わざるを得ないです」と釘を刺した。この日の似内議員と上田東一市長のやり取りはこの「役重」発言などどこ吹く風…「新図書館後」の跡地利用に話題の花が咲いていた。こうして、二元代表制はその双方の当事者によって、音を立てて崩れていったのだった。

 

 

 

≪追記―2≫~花巻市議会議員政治倫理要綱

 

  「議会監視」を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。議員の使命は「倫理」観に裏付けられた崇高なものだと改めて、教えられた。

 

 

 議員の皆さんが自分たちで決めたルールに従うと、当の御仁は、誠実な態度をもって疑惑の解明に当たるとともに、その責任を明らかにしなければならないようですし、4人の議員がいれば議長に審査請求ができるようですね。

 

(政治倫理基準)

 第3条 議員は、次に掲げる政治倫理基準を遵守しなければならない。 (1) 市民の代表者として、その品位と名誉を損なう一切の行為を慎み、その職務に関し不正の疑惑をもたれるおそれのある行為をしないこと。

(審査請求の手続)

 第5条 議員は、第3条に規定する政治倫理基準(以下「政治倫理基準」という。)に違反していると認められる議員があるときは、花巻市議会議員政治倫理審査請求書(様式第3号)にこれを証する資料等を添えて、議長に対し審査を請求(以下「審査請求」という。)することができる。2 前項の規定により審査請求しようとする場合は、議員定数の8分の1以上の議員の連署をもってしなければならない。

 

 

 

≪追記―3≫~「選挙区内での寄付」とまたもやの”不規則”発言

 

 「犯罪者?」を名乗る方から「今日の午後の新興跡地問題の答弁で、市長が犯罪者がどうしたこうした、とか言ってました。騙(だま)されなくて正解だったというトーンだったように聞こえましたが…」というコメントが届いた。

 

 この一件は私が市議在職中のことだから、鮮明に記憶している。がれきが放置されたままになっている現状を弁明する際の常套句で、「汚い過去を持つ業者の手に渡ったのが運の尽き。『安物買いの銭失い』を選択しなかった当時の考えは正しかった」と事あるごとに話していた。そして、ハタと気がついた。「公選法」違反も立派な犯罪じゃないか。わが市長はこっちとはウマが合うようで…

 

 

 

≪追記―4≫~よーく見ると

 

 「議会監視」を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。まるで、“投稿”ラッシュ。その分、上田市政だけでなく、議会に対する危機感の表れか?

 

 

 「例えば大通り一丁目、大通り二丁目、末広町、鍛冶町、そして吹張町は都市機能誘導区域の中に入っているのですが、その具体の活性策は見えていないのです。私の出身はたまたま大通り二丁目でして、この間行政区の集まりに呼ばれてお話を聞いたときに、図書館でも持ってきてくれないかという話もありました」―。この発言は議員のルールに違反していますよね。いわゆる口利きではありませんか?

 

<花巻市議会議員政治倫理要綱>

 

(政治倫理基準)

  第3条 議員は、次に掲げる政治倫理基準を遵守しなければならない。(2) 市民の代表者として、常にその人格と倫理の向上に努め、その権限又は地位を利用して、不正に影響力を行使し、又は金品を授受しないこと。(3) 市の行政庁の処分又は市が締結する売買、賃貸借、請負その他の契約に関し、個人、特定の企業、団体等を推薦し、紹介する等その地位を利用して有利な取り計らいをしないこと。

 

  

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新図書館“悲話”…最高学府の中の最高学部―東大法学部コンビが「イーハトーブ」を破壊した元凶だった!!!???

  • 新図書館“悲話”…最高学府の中の最高学部―東大法学部コンビが「イーハトーブ」を破壊した元凶だった!!!???

 

 「私はやはりJRの駅前構想というのが市民にとっては突然という形で、市長から発表 され、そのあたりからですね、非常に混乱してきたということですので、首長も含めてですが、政治としての議会も含めて、私は非常に極めてその責任は重いと思っていると言わざるを得ないです。ですので、議会でこれをしっかり透明な場所で議論をして、最終的に良い合意形成をしてほしいと思います。かつ市長と議会が今、なぜここなのか、どういうプロセスを経てここなのか。やはり市民の前に出て自分の言葉で説明をしていただきたいと思います。そうしていただくということ、そしてその市民の理解を得ていただくということを前提条件として私自身は決議をしたいと思います」(会議録から、要旨)―

 

 5月19日に開催された「教育委員会議」(佐藤勝教育長ら委員6人)で、新花巻図書館の「実施基本計画」を最終的に決定した席上、委員のひとりの役重真喜子・岩手県立大学総合政策学部准教授が「駅前立地」をめぐって、こう発言。他の委員も同意した。一見、市民に寄り添うような発言内容に目を引かれたが、「待てよ」と何度か反芻(はんすう)した。当ブログ(5月5日付と同11日付)でも指摘してきたが、「補助執行」という図書館“行政”の闇の部分がこの「役重」発言によって、あぶりだされたように思ったからである。

 

 教育部門の補助執行については「花巻市教育委員会の権限に属する事務の補助執行に関する規則」(平成19年3月)で定められている。その中で、補助執行させる事務は「花巻市立図書館に関すること。花巻市立図書館協議会に関すること」で、担当職員は「生涯学習部長、新花巻図書館計画室の職員及び図書館の職員」に限定され、予算執行を除く市長の関与は排除されている。つまり、図書館を所管するのは本来教育委員会であり、首長部局が図書館部門に関わることができるのは「補助執行」に限定され、それに伴う関連事務も教育委員会の監視下で行われなければならないということである。

 

 ところが、「役重」発言を見る限り、そうした主体的な立ち位置はほとんど感じられないどころか、逆に首長部局の“暴走”ぶりや議会側の機能不全に批判の矛先を向けているように思える。行政学者の肩書を持つこの人が「補助執行」という地方自治のイロハを知らないはずはないと思うだけにナゾは深まるばかりである。

 

 役重さんは東大法学部を卒業後、国家公務員第1種試験にトップ合格し、農林水産省に入省。その後、研修先の魅力にひかれて合併前の旧東和町役場に就職。同町教育次長、合併後は花巻市まちづくり部地域づくり課長、総務課長などを務め、2012年に退官した。農村風景をコミカルに描いた自著『ヨメより先に牛(ベコ)がきた』(家の光協会、2000年4月)は「はみ出しキャリア奮戦記」として、話題を呼んだ。上田東一市長が就任した2014年から市教育委員会委員を務め、現在に至っている。役重さんは前記の会議でこうも発言している。

 

 「最終的な意思決定するのは議会ですので、それを大前提としてお話をしていますが、市としては議会に判断をしていただく行政の専門性、専門家としての案を出さなければいけないことですよね。今回、計画としてお出しするというときに、その市民会議の対話による議論を重視した、重視するということについては、問題ないと私は思っています。しか し、それによって市が決めました。ということは、適切ではないと思います。図書館としてのその専門性の見識を市としてもたくさん今まで積み重ねてきたはずです。 そういったものを総合的に市として、こういう理由で判断しました。と言うのでなければ、市民会議の方たちもちょっと自分たちが結論出したみたいになりかねないですし、市としての専門家集団としての責任ということとも、少し違うような気がします」(会議録から、要旨)

 

 学者の“正論”としてはうなずけるが、教育行政に長く携わってきた立場の発言としては余りにも他人行儀ではないか。「図書館とはこうあるべき」という専門的な見地からのコミットがほとんど、感じられない。まるで「丸投げ」の体(てい)である。一方、議会側が「機能不全」に陥っているという指摘については、その門外漢的な姿勢はさておき、二元代表制が危機的な状況に陥っていることに対する警鐘だと受け止めておきたい。

 

 一方、同じ東大法学部出身の上田市長は首長部局と図書館とのかかわりについて、地方自治法(第147条、第148条及び第154条)などを根拠にこう答弁している。「普通地方公共団体の長は当該普通地方公共団体を統轄し、これを代表する。普通地方公共団体の事務を管理し及びこれを執行するなど広範な権限を与えられており、同法154条において生涯学習部職員を含む職員の指揮監督権限を与えられている」(令和3年6月市議会定例会「会議録」から。要旨)―。つまり、「補助執行」を度外視する形で、新図書館の「整備基本計画」に直接関与することの正当性を強調する内容になっている。一体、当市の図書館“行政”の中で何が起きていたのか。

 

 「役重」発言については、6月2日開催の市議会6月定例会の一般質問で、本舘憲一議員(はなまき市民クラブ)が取り上げた。これに対し、佐藤教育長は「当局と議会側がしっかり、議論してほしい」というメッセージとして受け止めたとし、一方の上田市長は「大衆団交のような形でなければ、市民の前で説明することはやぶさかではない」と答えるに止まった。

 

 「教育委員会」制度について、文部科学省はHP上でこう位置付けている。「行政委員会の一つとして、独立した機関を置き、教育行政を担当させることにより、首長への権限の集中を防止し、中立的・専門的な行政運営を担保すること」―。この大原則がことごとく踏みにじられたのが、新花巻図書館の“迷走劇”の実態だったのである。生涯教育の「原点」でもある図書館問題が首長部局と教育部局の間の“密室”ゲームに終始したことのツケは計り知れないほど大きい。

 

 最高学府の最高学部で「法律」の大切さを学んだはずの当の本人たちが「コンプライアンス」(法令遵守)を蹂躙(じゅうりん)していた―。私たち市民はいま、まるで“悪夢”でも見せつけられるような残酷な現実の前に立たされている。考えて見れば、「新花巻図書館」号は発車する以前にすでに“脱輪”状態にあったということである。その犠牲者は納税者たる市民に他ならない。

 

 

 

 

 

(写真は当時、話題をさらった役重さんの奮戦記=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

≪追記≫~「サイレント・マジョリティ」VS.「ノイジー・マイノリティ」!!!???

 

 

 「多くのサイレント・マジョリティーが我慢を強いられているということにもなりかねないと思っています」―。当ブログで取り上げた「役重」発言にこんなくだりがあります。上田市長、あなたはこの発言を引き取る形で、たとえば、「声の大きい人」をイメージする言葉として「ノイジー・マイノリティ」という表現を口にしていました。そのひとりを自認する私の体験談を伝えておきましょう。

 

 いまから65年前の昭和35(1960)年、日本では日米安保条約の改定に反対する「60年安保」の嵐が吹き荒れていました。そんなさ中、当時の岸信介首相は「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつもの通りだ。私には“声なき声”が聞こえる」として、改定を強行しました。今日のあなたの発言が当時の岸発言と違和感なく重なりました。あなたの先輩である東大生の樺美智子さんが機動隊とのもみ合いで死亡した時、私はすぐそばにいました。

 

 亡霊のような「ノイジー・マイノリティ」(声高な少数者)がいまなお、あなたの中に息づいていることにゾッとしました。いや、「サイレント・マジョリティ」(声なき声)こそが権力者が自分に都合が良いように操る際の常とう手段なのかもしれませんね。たとえば、岸元首相の孫に当たる安倍晋三元首相が生前の選挙演説の際、「こんな人たち(ノイジー・マイノリティ)に、私たちは負けるわけにはいかないんです」と語ったように…

 

 

 

 

 

早くも上方修正…新図書館関連予算~“迷走劇”のツケがいま、現実に~市長の“不規則”発言が火に油!!??

  • 早くも上方修正…新図書館関連予算~“迷走劇”のツケがいま、現実に~市長の“不規則”発言が火に油!!??

 

 「わずか半年足らずの間に40億円超へ」―。新花巻図書館の「駅前立地」を受けた補正予算案が30日開会の市議会6月定例会に上程された。昨年10月「候補地比較調査」報告書で示された概算事業費(3,992,423千円)の内訳の中では「測量及び調査費」は14,180千円、「計画及び設計費」は330,940千円となっていた。これらが今回の補正予算(案)でそれぞれ15,436千円と408,000千円に増額された結果、補正後の概算事業費は合計78,316千円の増となる「4,070,739千円」にふくれあがった。

 

 さらに、「測量及び調査費」と「計画及び設計費」の合計額は比較調査時点で345,120千円だったが、補正後には423,436千円とその伸び率は約23%に上っている。わずか半年でのこの伸び率から換算すると、実際の工事に着手する時点での事業費はかなり高騰していると見込まれる。

 

 また、今回の予算措置では設計業者を選定するための「公募プロポーザル」方式に要する費用として、359千円が計上されている。しかし、「候補地比較調査」を受託した大日本ダイヤコンサルタント(株)がすでに、設計業務を含む概算事業費を見積もっているにも関わらず、「なぜまた、公募か」という疑問がつきまとう。この手法をめぐっては昨年夏、意見集約を行う業者を選定するために実施されたが、合格点に届かずに不調に終わった経緯がある。これに代わった「対話型市民会議」が駅前立地のイニシアティブを握ったのは周知の事実である。

 

 前回の「比較調査」データは立地選定の際の大きな判断材料になっただけに今回の加算の根拠に議会の論議が集まりそうだ。こうした概算事業費の増大の背景としては図書館問題の解決を10年以上、先延ばししてきた行政責任も問われなければならない。今議会はその意味で「新図書館」をめぐる総括的な議論の場になることを期待したい。公共事業“受難劇”は当市だけに止まらない。

 

 資材費や人件費、物価高の影響は全国各地で公共事業の入札不調を招くなど自治体運営を直撃している。たとえば、新図書館建設の是非が争点になった静岡県伊東市の市長選挙(5月18日投開票)では新人で元市議の田久保真紀さん(55)が初当選を果たした。田久保さんは選挙戦を通じて、「なぜいま新しい図書館なのか。財源の負担がないから良いという考えで取り組むのは、少し考えが違うのではないか 『民意が反映されていない』との思いから計画は中止し、市民が本当に求めているものを探るべきだ」と主張してきた。

 

 上田市政は「駅前立地」を強行した理由のひとつとして、「国庫補助」(合併特例債)の発行期限が令和12年度に迫っていることを理由のひとつに挙げているが、伊東市の直近の事例に謙虚に学ぶべきではないか。「伊東にいままでなかった施設(図書館)が国の援助を得て出来るということになり、こんなに大きなチャンスはないと考えていて、やはり積極的に取り組むべきだ」―こう訴えていた現職は敗北した。「他山の石、以て玉を攻むべし」(詩経)という諺(ことわざ)もある。

 

 

 

 

(写真はJR“駅前図書館”のイメージ図=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

≪追記―1≫~伊東市の田久保新市長が図書館の入札中止を職員に指示!!??

 

 新図書館建設の是非が争点になっていた静岡県伊東市長選で、現職を破って初当選した田久保真紀市長が5月30日に初登庁し、さっそく図書館の入札中止に踏み切った。今次の市長選では国の補助に“おんぶに抱っこ”の現職に対し、「優先順序を精査し、民意に耳を傾けるべきだ」とする新人候補に軍配が上がった。当市も同じような課題を抱えており、伊東市民の選択に注目が集まっている。「変えるものは変える」と主張する新市長の一問一答は以下のアドレスから。

 

 https://share.google/4qE6nod49aTQDBK8b

 

 

 

≪追記―2≫~図書館の存在が要介護リスクの改善へ!!!???

 

 「まちに充実した図書館があると、要介護者が減るのではないか」―。こんな仮説を裏付けるユニークな研究成果が明らかになった。慶応義塾大学SFCキャンパスの佐藤豪竜・総合政策学部専任講師らの共同研究で、全国の高齢者7万人を対象に調査した結果、「図書館が多く充実している街ほど要介護者が少ないことが示された」としている。

 

 ところで、SFCと言えば「対話型市民会議」のファシリテーター(進行役)を務めた同じSFCキャンパスの山口覚・大学院特任教授の名前が記憶に新しい。市側は若者世代の駅前待望論をタテに一貫して「駅前」を主張。山口教授の助言を得る形で市民会議も「駅前立地」を選択した。仮に佐藤専任講師がファシリテーターに選任されていたなら、ひょっとして“立地論争”は180度違った展開を見せていたかもしれない。なお、令和5年1月現在の当市の要介護(要支援を含む)認定者は北上市より、1,555人多い6,178人に上っている。詳しくは以下のアドレスから。

 

 https://x.com/i/trending/1928230175797387516/normal

 

 

 

≪追記―3≫~上田市長が行政報告の最中に“不規則”発言…正気なのか!!!???

 

 「○○議員、目を覚ましてください」―。議会中継を見ていた私の耳には確かにそう聞こえたような気がした。5月30日に開会した市議会6月定例会で行政報告をした際、上田東一市長が手元の原稿から目を離しながら、後部の議員席に向かって、ボソボソと何ごとかをつぶやいた。居眠りを諭すつもりだったのか、(物事に対する)覚醒を促すつもりだったのか…

 

 仮に冒頭の発言が事実だとしたら、その確認を怠った責任は大きい。当の「○○議員」は「私の耳にも届いた。目をつぶって報告を聞いていた」と言っている。オフレコ発言だから、読み原稿にはその発言は残っていないにしても、音声記録はあるはずである。議員の名誉のためにも事実関係をはっきりさせるべきである。それにしても、こうした“不規則”発言もスルーしてしまう議長采配の無能ぶりにも驚かされる。

 

 

 

≪追記―4≫~「知る権利」を蹂躙、ガバナンス(内部統制)崩壊のシグナルか!!!???

 

 市議会定例会の冒頭に行われる市長による「行政報告」はこれまで、開会当日(5月30日)にHP上に公開されるのが慣例となっていたが、31日現在まだ掲載されていない。また、市民の生活に直結する予算案についても開会当日に議員説明会での説明が終わっているのに、市民への告示は未だにない。「知る権利」を蹂躙(じゅうりん)する“暴挙”と言わざるを得ない。「追記―3」で触れた“不規則”発言にどう対応するかも含めて、市側の出方を注視したい。

 

<注>~上記「行政報告」と議員説明会について、1日遅れでHP上に公開されたことを31日正午過ぎに確認した。なお、上田市長の”不規則”発言にかかる事実関係や釈明などは一切なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イーハトーブ」を破壊し尽くした責任を取って…上田市長と佐藤教育長は“腰ぎんちゃく”議員を道連れにして、直ちに辞職せよ~伊東市では新図書館反対の新人が初当選!!!???

  • 「イーハトーブ」を破壊し尽くした責任を取って…上田市長と佐藤教育長は“腰ぎんちゃく”議員を道連れにして、直ちに辞職せよ~伊東市では新図書館反対の新人が初当選!!!???

 

 「1・29」(2020年)から「5・19」(2025年)へ―。「新花巻図書館整備基本計画の策定に関し議決を求めることについて」―を議題とする教育委員会議(佐藤勝教育長ら委員6人)が5月19日に開催され、全員賛成で「整備基本計画」を最終的に議決した。議決に際し、役重眞喜子委員は「なぜ、駅前なのか。どういうプロセスを経たのか。市長が市民の前で自分の言葉で説明してほしい。これが議決の前提条件だ」と釘を刺した。今後は予算審議を伴う市議会の動きが焦点となるが、私はこの日が「終わりの始まり」の節目の日になるような予感がした。

 

 5年前の「1・29」に勃発した「イーハトーブ“図書館”戦争」は5年有余を経た本日「5・19」をもって、一見、市側の思惑通りに決着がついたように見える。しかし、私がこの間、目の当たりにしてきた光景はまるで、地底(じぞこ)から湧き出てくような草の根のエネルギーだった。マグマのような、その噴出を私は身震いするような面持ちで見続けてきた。「強権」支配に抵抗するその感動的な場面の数々は当ブログで縷々(るる)紹介してきたので、ここでは繰り返さない。私がいま、声を大にして叫びたいのは「5・19」が新たなスタート台になるであろう「始まり」宣言の発出である。

 

 

●「イーハトーブ」を破壊し尽くした責任を取って…上田市長と佐藤教育長は“腰ぎんちゃく”議員を道連れにして、直ちに辞職せよ●

 

 

 この若干、アジテーションめいた惹句を説明するためには文章よりも2枚の写真があれば事足りる。まず、冒頭の集合写真をじっくり、見ていただきたい。当ブログにも何回か登場願ったが、2年前の花巻まつりの際の記念写真である。上田東一市長の右隣が広瀬めぐみ・元参議院議員(詐欺事件で有罪となり、昨年8月に議員辞職)、さらにその右隣が藤原崇・元衆議院議員(昨年10月の総選挙で落選)。上田市長の左隣が川村伸浩・県議、前列右側が藤原伸・市議会議長で、他は市議会最大会派「明和会」の所属議員。お祭りだから、”提灯持ち”議員の方がピッタリか。また、右後方で嬉しそうに顔出ししているのは八重樫和彦・副市長である。

 

 この写真を眺めていると、広瀬、藤原両元国会議員の選挙運動にまさに、職務を投げ打つがごとく打ち込んでいたのが、上田市長とその提灯持ちに徹してきた写真の面々だということをまざまざと思い出す。そういえば、この時の選挙は皮肉交じりに”統一(東一)”教会がらみと騒がれたっけなぁ…

 

 一方、コメント欄に掲載した写真は2023年秋、米国・ホットスプリングス市との姉妹都市提携30周年を祝う花巻市民訪問団が派遣された際、佐藤勝教育長がダラス郊外の遊園地で収まった「ハイッ、ポ-ズ」写真である。訪米する10日ほど前、直属の部下が10代の女性にみだらな行為をしたという疑いで逮捕されるという事件があった。そのほとぼりも冷めないうちのこのポーズだった。

 

 「失われた10年」という言葉がある。1990年代のバブル崩壊後、経済が低迷した約10年間を指す。新図書館問題が迷走を続けた上田市政もちょうど丸10年を迎えた。来年2026年は市長選と市議選とが相次ぐ「選挙の年」である。「イーハトーブ」を破壊したと私が認識する面々はこの写真に登場する人物たちである。このほか、最後の生命線だった「図書館問題」に背を向けた市議たちの名前を以下に列挙する。今回の「始まり」宣言は二度と誤った「選択」を繰り返してはならないという不退転の自己決断でもある。「失われた10年」を取り戻すための…

 

 

<ひと目で分かる忖度議員リスト>

 

 図書館問題について、一般質問などで取り上げたことがなかったり、立ち位置を鮮明にしてこなかった市議、一般的に市長”与党”と呼ばれる「忖度」議員リストは以下の通り、かっこ内の数字は当選回数(敬称略)

 

・明和会~藤原伸(3回、議長)、高橋修(3回)、佐藤峰樹(2回)、盛岡耕市 (同)、横田忍(同)、及川恒雄(1回)、伊藤忠弘(同)、藤根清(同)、小原保信(同)

 

・社民クラブ~阿部一男(6回、最多当選)、若柳良明(5回)、照井省三(3回、上田東一後援会事務局長)

 

・公明党~菅原ゆかり(3回)、佐々木精市(1回)

 

 

 

 

(写真は今や、“文化財”的な価値さえある「イーハトーブ」の破壊者リスト=2023年9月10日、川村県議のFBから)

 

 

 

≪追記ー1≫~総事業費42・5億円の新図書館はいる?いらない?

 

 静岡県伊東市の市長選は5月25日に投開票が行われるが、ここでも大きな争点が図書館問題。人件費や資材費の高騰が足を引っ張る形になっているが、さて、新花巻図書館の前途は?詳しくは次のアドレスから。

 

総事業費42.5億円の新図書館はいる?いらない? 伊東 …

 

 

 

≪追記ー2≫~やっと、「掲出」されましたね!!??

 

 「祝 阿部暁子さん(花巻市出身) 2025本屋大賞受賞「カフネ」 岩手県の初の受賞」―。5月23日付のHP上の告知によると、こんな懸垂幕が市庁舎本庁舎に掲げられた。花巻東高校出身の翔平君や雄星君ら大リーガーたちの活躍は即座に告示されていたのに比べて、ずいぶんと間が抜けているではないか。受賞が決まったのは1ヶ月以上も前の4月9日。新図書館問題で顕著になった上田市政の文学的な”音痴”ぶりがこんなところにも…

 

 ひょっとして、阿部さんが地元の首長を飛び越えて、達増拓也県知事を表敬訪問(5月9日)したことが、”表敬イベント”がことのほか好きそうな上田東一市長の気に障ったのかも。それにしても、「掲出」(けいしゅつ)とはこれまた、文学的な素養を欠いたいかにも”お役所”的な表現ですな。そして、その問い合わせ先が「図書館」とは、あぁ。

 

 

 

≪追記ー4≫~新図書館反対の新人が初当選(追記―1関連)

 

 任期満了に伴う静岡県伊東市の市長選挙は、新人で元市議の田久保真紀さん(55)が、3選を目指す現職の小野達也さん(62)に競り勝ち、初当選を果たしました。選挙戦で田久保さんは新図書館建設の中止などを訴えていました。 田久保真紀氏 1万4684票 小野達也氏  1万2902票(5月26日付Yahooニュース)

 

 田久保さんは選挙戦を通じて、こう訴えてきた。「優先順位の問題として、なぜいまこの時期に真っ先にやらなければいけないのが図書館なのかということに尽きる。経済状況を含めて、観光についても伊東市は決して非常に豊かで潤っている状況とは言い難い面もある。 そういった中でなぜいま新しい図書館なのか。財源の負担が無いから良いという考えで取り組むのは、少し考えが違うのではないか 『民意が反映されていない』との思いから計画は中止し、市民が本当に求めているものを探るべきだ」

 

 これに対し、現職の小野氏は「伊東にいままで無かった施設が国の援助を得て出来ると言うことになり、こんなに大きなチャンスは無いと考えていて、やはり積極的に取り組むべきだ」と主張したが、及ばなかった。今回の市長選は当市が抱える新図書館問題とある意味で相似形をなしていると言える。

 

 

 

 

パブコメ“春闘”、ゼロ回答…この程度のレベルの人間に図書館問題を委ねていたとは、あぁ無情!!!???

  • パブコメ“春闘”、ゼロ回答…この程度のレベルの人間に図書館問題を委ねていたとは、あぁ無情!!!???

 

 新花巻図書館整備基本計画(案)に対するパブリックコメント(意見公募)の実施結果が5月18日付のHP上に公開された。公募期間は4月1日から同30日までで、応募総数は86人(133件)。私は7件について応募したが、とりわけ花巻という風土性を重視した「図書館像」―「宮沢賢治コーナーの充実と「まちづくり」について」(4月1日提出)の実施結果を検証する。ほとんどが基本計画(案)の中にすでに取り入れられているという回答になっているが、まずパプコメの全文を再掲し、それを受けた形で市側の対応を掲載する。

 

 

<パブコメ全文>

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(『春と修羅』序)―。賢治は自らを“現象”と位置づけているから、言ってみれば永遠に不滅の存在である。そんな賢治の全体像を具現する空間としての「宮沢賢治コーナー」をぜひ、設置してほしい。それを実践するためのいわば“処方箋”を以下に素描する。賢治関連本や資料などを蒐集し、単に閲覧に供するだけではいかにも浅慮と言わざるを得ない。このコーナーを図書館の内分館と見立て「IHATOV・LIBRARY」と命名することも合わせて要望する。ある意味、新花巻図書館の誕生は「イーハトーブ・ルネサンス」(文明開化)の幕開けといった趣(おもむき)も兼ね備えていると思うからである。

 

 

●「賢治の森」コ―ナ―の設置

 

 賢治を「師」と仰いだ人材はキラ星のように存在する。例えば、原子物理学者の故高木仁三郎さんが反原発運動の拠点である「原子力資料情報室」を立ち上げたのは賢治の「羅須地人協会」の精神に学んだのがきっかけだった。また、アフガニスタンでテロの銃弾に倒れた医師の中村哲さんの愛読書は『セロ弾きのゴーシュ』で、絶筆となった自著のタイトルはずばり『わたしは「セロ弾きのゴ-シュ」』だった。さらには、シンガーソングライターの宇多田ヒカルのヒット曲「テイク5」は『銀河鉄道の夜』をイメ-ジした曲として知られる。
 

 一方、戦後最大の思想家と言われた故吉本隆明さんに至っては「雨ニモマケズ」を天井に張り付けて暗唱していたというから、「賢治」という存在がまるで“エイリアン”のようにさえ思えてくる。吉本さんを含めた宮澤賢治賞とイーハトーブ賞(いずれも奨励賞を含む)の受賞者はこれまでに144の個人・団体に上っている。こうしたほとばしるような“人脈図”がひと目で分かるようなコ―ナ―を設置し、賢治という巨木がどのように枝分かれしていったのか。なぜ、賢治がその人たちの人生の分岐点に立ち現れたのか―その全体像を森に見立てて「見える化」する。さらに、定期的に受賞者を招き「私と賢治」をテーマにした講演会を開催する。

 

 

●「図書館」を軸としたまちづくり

 

 「図書館は屋根のある公園である」―。「みんなの森/ぎふメディアコスモス」の総合プロデューサーを務めた吉成信夫さんはこんなキャッチフレーズを掲げながら、こう述べている。「図書館というのは、今までのように閉鎖形で全部そこの中で完結しているというふうに考えるのではなくて、むしろ図書館の考え方が街の中に染み出していく。そして、街づくりというか、街の考えが図書館の中にも染み込んでくる、その両方が浸透しあうような造り方というのが、たぶん、これからいろいろな形で出てくるだろうと思っています」(開館1年後の記念講演)
 

 メデイアコスモスの中核施設である岐阜市立図書館館長を2015年の開館から5年間、務めた吉成さんは青壮年期に「石と賢治のミュージアム」や「森と風のがっこう」、「いわて子どもの森」(県立児童館)など岩手の地で賢治を“実践”した貴重な経験を持っている。その集大成は図書館の先進的な活動に贈られる最高賞「ライブラリーオブザイヤー」(2022年度)の受賞に結実した。
 

 「柳ヶ瀬商店街を活性化することに図書館がどうやって寄与できるのか」―。館長としての初仕事はかつて「柳ヶ瀬ブルース」に沸いた商店街の立て直しだった。そして、総合プロデューサー退任後の昨年9月、「無印良品柳ヶ瀬店」の店内の一角に本を陳列した無料の交流スペースがオープンした。名づけて「本のひみつ基地」。柳ヶ瀬商店街の歴史を展示した資料が並べられ、朗読会などにも利用される。仕掛け人のひとりである吉成さんは「足元の文化的な価値を見直し、今後のまちづくりに生かしたい」と抱負を語っている。まさに、“全身図書館”の本領発揮である。
 

 この「吉成流」に学び、図書館の来館者を駅前一極に限定せずに上町など中心市街地に呼び込むような新たな“人流”を形成する。「IHATOV・LIBRARY」で賢治を満喫した来館者を賢治の生家や一時期、教鞭を取った旧稗貫農学校(旧花巻病院跡地)、賢治の広場、花巻城址などのゆかりの地へと誘い、まち全体の賑わい創出につなげる。賢治の道案内でフィールドワークに出かけるという趣向である。

 

 

●「文化と観光」とのコラボミックス

 

 「科学だけでは冷たすぎる。宗教だけでは熱すぎる。その中間に宮沢賢治は芸術を置いたのではないか」(岩手ゆかりの作家で賢治関連の著作もある井上ひさし)―。兵庫県豊岡市で「演劇」によるまちおこしを実践している劇作家で演出家の平田オリザさんは自著『但馬日記―演劇は町を変えたか』の中で、井上のこの言葉を引き合いに出しながら、こう書いている。「賢治の思いが、100年の時を経たいまよみがえる。熱すぎない、冷たすぎない、その中間に芸術や文化を置いたまちづくりが求められている」。その活動拠点は芸術文化と観光をコラボした全国初の4年制大学―「兵庫県立芸術文化観光専門職大学」である。そういえば、詩人で彫刻家の高村光太郎は戦後の荒廃期、賢治童話を演じる子どもたちの姿に感激し、その児童劇団に「花巻賢治子供の会」の名称を献上したというエピソードも伝え残されている。
 

 さて、今度はその「オリザ流」に学びたい。著作や翻訳書、研究書、評論、映画やアニメ、漫画本、演劇、ドキュメンタリー、果てはアンチ賢治や地道な地元研究者の労作…こうした「多面体」としての賢治の一切合財を集めた「IHATOV・LIBRARY」が実現すれば、日本だけでなく、世界中から賢治ファンなどのインバウンド需要を喚起し、温泉観光地としての活性化も期待できる。また、賢治関連本は毎年、陸続と出版が続いており、まさに賢治“現象”には終わりがない。「世界で行きたい街」の第2位にノミネートされた盛岡に見習い、「世界で一番、行きたい図書館」を目指す。賢治の壮大な“実験場”としての「IHATOV・LIBRARY」こそが、未来を切り拓く「マコトノクサノタネ」(賢治作詞「花巻農学校精神歌」)を育(はぐく)む圃場である。

 

 

●「平和と連帯」メッセージの発信拠点に

 

 東日本大震災の際、米国の首都・ワシントン大聖堂で開かれた「日本のための祈り」やロンドン・ウエストミンスター寺院での犠牲者追悼会など世界各地で、英訳された「雨ニモマケズ」が朗読された。また、この詩に背中を押されるようにして、世界中からボランティアが被災地へ駆けつけた。そして、年明けの厳寒の元日に起きた能登半島地震。この時もこの詩に詠われた「行ッテ」精神がボランティアを奮い立たせた。さらに、「3・11」で甚大な被害を受けた岩手県大船渡市が未曽有の山林火災に見舞われた今回の災厄に際しても、賢治の寄り添い合いの精神が未来への光をともし続けている。
 

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)―。世界に目を向けると、いまもあちこちで戦火が絶えない。ウクライナやガザ…世界全体の悲しみの地にもこのメッセージを届けたい。「平和と連帯」を希求する賢治の心の叫びを積み込んだ「銀河鉄道号」…その始発駅は「IHATOV・LIBRARY」こそが一番、ふさわしい。

 

 

●将来のまちづくりに向けて

 

 「豊かな自然/安らぎと賑わい/みんなでつなぐ/イーハトーブ花巻」―。当市は「将来都市像」をこう描いている。いうまでもなく、「イーハトーブ」とは賢治が未来に思いを馳せた「夢の国」や「理想郷」を意味する言葉である。一方、図書館学の父とも呼ばれるインド人学者のランガナータンは「図書館は成長する有機体である」と述べている。「IHATOV・LIBRARY」が目指す”夢の図書”は世代を継いで成長し続ける永遠の有機体である。

 

 自らを「幽霊の複合体」(『春と修羅』序)と称してはばからない、この天才芸術家のその”お化け”の正体を暴いてみたいというのが偽らざる気持ちである。旧総合花巻病院の中庭に「Fantasia of Beethoven」と名づけられた花壇があった。設計者の賢治は「おれはそこへ花でBeethovenのFantasyを描くこともできる」(『花壇設計』)と豪語した。「賢治とは一体、何者なのか」……

 

 等身大の“おらが賢治”を取り戻したい。そこには少子高齢化の困難な時代に立ち向かうためのヒントがびっしり、詰まっているはずである。時代を逆手に取った伝家の宝刀、つまり「イーハトーブはなまき」でしかなしえない「まちづくり」の妙手がここにある。「IHATOV・LIBRARY」が万巻の書で埋め尽くされたあかつきには旧花巻病院跡地(旧稗貫農学校跡地)へ独立館として新築・移設する。真の意味での賢治ゆかりの地―“桑っこ大学”の愛称で呼ばれたこの地に「マコトノクサノタネ」が芽吹く未来を信じたい。未来世代へのバトンタッチである。

 

 ※

 

<市側の回答>

 

●「それを実践するためのいわば“処方箋”」及び「IHATOV・LIBRARYと命名」することについてはご意見として伺います。「宮沢賢治賞やイーハトーブ賞等の受賞者等による講演会の開催及び賢治との人脈図がわかるようなコーナーの設置等」については、「宮沢賢治など本市ゆかりの先人や、本市ゆかりの作家なども含めて図書企画展示等やイベントを開催します」と新たに記載します●

 

 

 膨大なパブコメ(意見表明)に対する市側の実質的な回答は上記のたった4行である。当方の真意がほとんど伝わっていないことに今さらながら、肌がざわッとする感覚に襲われた。いま真っ盛りの春闘になぞらえれば、完全な“ゼロ回答”ということになる。考えて見れば、上田東一市長も含め、これほどまでに貧相な思考の持ち主たちに「知の殿堂」とも呼ばれる図書館問題を委ねたことがそもそもの間違いだった。このまちは原点から出直すしかあるまいと心底、思う。私はパブコメを提出する際の当ブログに以下のように記した。あとの祭りだが、それが図星だったことにやっと、気がついた。

 

 

 宮沢賢治の作品のひとつに『図書館幻想』と題する何となく不気味な掌編があり、「ダルゲは振り向いて冷やかにわらった」という文章で結ばれている。研究者によると「ダルゲ」とは盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)時代の無二の親友だった「保阪嘉内」を指しているらしい。互いの生き方の違いから、1921(大正10)年7月18日、ある図書館の一室で二人は訣別を告げた。以降の賢治は生前唯一の詩集となった『春と修羅』など後世に残る創作活動に憑(つ)かれたように没頭したという。


 ところで、新花巻図書館の「駅前立地」に舵を切った市側は賢治関連について、こう記している。「宮沢賢治に関する資料については、市民から、宮沢賢治の出身地にふさわしい図書館としてほしいなどの意見が多いことから、今後出版される図書資料はもちろん、未所蔵で購入可能な資料は古本も含め積極的に収集し、地域(郷土)資料スペースにおいて配架する予定ですが、宮沢賢治専用のスペースを設けることも検討します」(「新花巻図書館整備基本計画(案)」説明資料)


 それにしても「市民から要望があったから…」という言い草は随分と上から目線というか、主体性がなさ過ぎではないか。「賢治まちづくり課」を擁する市側こそが率先して、賢治生誕地ならではの斬新な発想を示すべきではなかったのか。これを裏返せば「それがなかった」ということであろう。この辺りにもいかにも貧困な図書館像が透けて見えてくる。私自身は一貫して「病院跡地」への立地を求めてきたひとりであるが、その図書館像は建設場所によって変わるはずはなく、むしろ時代を継いで進化されるべきものであろう。以下のパブリックコメント(意見書)は賢治に導かれるようにして思い描いた私なりの図書館“幻想”である。

 

 

 

 

(写真はパブコメのイラスト図。基本計画(案)に“お墨付け”を与えるだけのアリバイづくりに利用された=インターネット上に公開の図柄から)

 

 

 

 ≪追記≫~提出した他のパブコメは以下の通り

 

 

・鶴陰碑と「新興跡地」の改修並びに新館長の「公募制」の導入について(同17日)

・当地ゆかりの現役作家コーナーの設置について(同22日)

・「駅前立地」に至る経緯の記述について(同23日)

・賢治「ゆかりの地」論について(同24日)

・対話型「市民会議の構成について(同26日)

・意見集約の「信憑性」について(同27日)