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「ずっと、ずっと帰りを待っていました」…「記憶」の“郵便配達”

  • 「ずっと、ずっと帰りを待っていました」…「記憶」の“郵便配達”

 

 『ずっと、ずっと帰りを待っていました』(新潮社)―。朝日新聞「読書欄」(3月16日付)に掲載された書評のタイトルに目を奪われた。副題に「『沖縄戦』指揮官と遺族の往復書簡」とあった。「浜田哲二・浜田律子」…著者名にまた、びっくりした。「あの、浜ちゃんではないか」。さっそく、本を取り寄せた。朝日新聞のカメラマンだった「浜ちゃん」は2010年に社を早期退職し、元読売新聞記者の妻律子さんとともに20年以上、沖縄で戦没者の遺骨収集と遺留品や遺族への手紙の返還運動をしていることを初めて知った。本書はその集大成とも言える感動の物語だった。 

 

 太平洋戦争末期の激戦地・沖縄で、陸軍第24師団歩兵第32連隊を率いたのは大隊長の伊東孝一(2020年2月没、享年99歳)だった。当時24歳の伊東は約千人の部下のうちその9割を失った。生還した伊東は戦後、戦死した部下たちの遺家族に沖縄の土を同封した600通の“詫び状”を送り、356通の返書を受け取った。約8年前、ある偶然の出会いをきっかけに、伊東さんからこの返書の束を託されることになった浜田夫妻はNPO「みらいを紡ぐボランティア」を立ち上げ、学生たちとともに気の遠くなるような「留守家族」探しの旅に出る。 

 

 「姿は見えなくとも、夫は生きている。私の心の中に」、「軍人として死に場所を得た事、限りなき名誉と存じます」、「肉一切れも残さず飛び散ってしまったのですか」、「本当は後を追いたい心で一杯なのでございます」、「白木の箱を開けると、石ころが一個。それだけだったのよ」…。本書にはわが子や夫の死を悲しむ肉親の返書が25通収められている。敗戦後70年以上の時空を隔てる旅は難航を極めた。消息を尋ねる電話が「振り込め詐欺」に間違われたり、警察官さながらの“地取り”調査をやったり…

 

 北海道出身の多原春雄伍長(享年25歳=推定)は敗戦の1945年(日付は不明)に糸満市内で戦死した。「母として、確報を受けないうちは、若しやと思い…」―。母親のサヨさんが伊東さん宛てに返書をしたためたのは敗戦翌年の6月。そして80年近い歳月を経て、この返書を受け取ったのが春雄さんの甥(故人)の妻である良子さんだった。また、えっと思った。アイヌ民族の血を引く多原良子さん(71)が卑劣なヘイトスピーチを繰り返す女性国会議員を相手に、人権救済の申し立てをしたことは記憶に新しかった。北海道の記者時代、アイヌ民族の復権運動の先頭に立っていた多原さんの姿を懐かしく、思い出した。縁(えにし)の不思議に興奮しながら、私は机の引き出しから変色した葉書の束を取り出した。

 

 太平洋戦争の敗色が濃厚になった1944年夏、私の父は旧満州(中国東北部)に応召された。4歳になったばかりの私に父の記憶はない。敗戦後、ソ連軍の捕虜となり、シベリアの大地に没した。享年37歳の若さだった。葉書は戦地から送られてきた軍事郵便である。「記憶」の“郵便配達”役を見事に果たしてくれた浜田夫妻に感謝しながら、私は「父さんはどんなところで死んだのかねぇ」と繰り返し口にしていた、いまは亡き母親の言葉を反芻(はんすう)していた。

 

 何十年振りかで「浜ちゃん」に連絡を取った。デブの浜ちゃんは61歳になっていた。実は夫妻の本拠地は世界遺産の白神山地がある青森県深浦町である。「みらいを紡ぐボランティア」には多くの学生たちも参加。沖縄戦の戦没者の遺骨収集だけではなく、白神の森と生き物たちやその文化を記録する活動も続けている。

 

 返書を朗読する若い学生ボランティアとそれを受け取る遺家族たち…。双方の目には涙が。この光景に何度ももらい泣きした。世代をまたぐ「記憶」がバトンタッチされる、その瞬間に感動する涙だったのかもしれない。それにしても一体、このエネルギーはどうやったら生まれるのだろうか。齢(よわい)84の老いぼれは浜田夫妻からドスンと背中を押された気持ちになった。

 

 

 

 

(写真は「死者は生者の中に生きる」(保坂正康氏)、「人間は信頼できる存在なのである」(佐藤優氏)などの激賞を受けている本書)

 

どうなる?「いのちと健康」(下)…“計画倒れ”に終わった「立地適正化」計画~「ウソから出たマコト」~あぁ、“城跡エレジー”!!??

  • どうなる?「いのちと健康」(下)…“計画倒れ”に終わった「立地適正化」計画~「ウソから出たマコト」~あぁ、“城跡エレジー”!!??

 

 「現時点で作成・公表に至った自治体は大阪府箕面市と熊本市の2団体のみです。 花巻市は6月1日に公表を予定しており、全国で3番目、東北では初めての立地適正化計画となります」(2016年5月27日開催の記者会見)―。1番になれなかった悔しさをにじませながらも、上田東一市長の顔は紅潮しているようだった。以降、「全国で3番目」が上田市政を貫く枕言葉になっていくのだが… 

 

 上田市長が初当選(2014年1月)した半年後、「改正都市再生特別措置法」(8月1日)が施行され、立地適正化計画に基づいた「コンパクト(+ネットワーク)シティ」構想が提唱された。国の優遇措置を受けられるとあって、全国の自治体の間で“先陣”争いが起きた。この法律との運命的ともいえる“遭遇”がその後の上田市政の方向性を決定づけることになる。2年後に策定された「花巻市立地適正化計画」(2016年6月1日)には現在まで続く三大プロジェクト(病院移転×新図書館×駅橋上化)がそろい踏みしていた。そのトップバッターに位置づけられたのが、総合花巻病院の「移転・新築」事業だった。 

 

 「本移転事業は国が創設した『立地適正化計画制度』に基づき、花巻市が策定した『都市機能誘導区域』への移転事業であります」―。立地適正化計画が策定された半年後、病院側の「移転新築整備基本計画」(2016年12月2日)にはこの事業が行政主導の事業であることが明記されていた。当時、現職の市議だった私もこの点を追及した。前哨戦としての「病院立地」論争にこんなやり取りがある(2015年12月定例会の会議録=要旨)

 

増子:立地適正化計画は平成28年3月に策定期限が迫っているということがあるわけでしょう。その辺をはっきり言ってください。だから、慎重にやりたいけれども一方で、制度資金を活用するために急がなければだめなのだと。

佐々木忍(健康福祉部長):立地適正化計画でございますけれども、来年度からの採択事業の実施に向けて、いま一生懸命進めている状況でございます。有利な財源を使うということについては、議員もお分かりのことと思います。

 

 「まずは、立地ありき」―。「ハコモノ」行政に付き物のこの手法は上田市政の目玉政策だった三大プロジェクトにも共通している。立地適正化計画の成功例第1号として、広く喧伝(けんでん)されてきた「総合花巻病院」問題の顛末については(上)と(中)でその経緯を明らかにした。さらに、10年以上も前に船出したはずの「新図書館」構想はいまなお、荒波に翻弄(ほんろう)される難破船そのものである。その一方で、これらのプロジェクトの陰で闇に葬られようとしている“負の遺産”を忘れてはなるまい。実は上田市政が誕生して真っ先に直面したのは未だに未解決の「新興跡地」問題だった。

 

 「由緒あるこの土地をふたたび、市民の手に」―。当時、市民の関心事はまちの中心部に位置する旧新興製作所跡地(花巻城址)の行方だった。「新しい風」を標榜して、さっそうと登場した新市長に多くの市民は年来の悲願を託した。法律も味方してくれそうだった。適用法の「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)にはこう規定されていた。「公有地の拡大の計画的な推進を図り、もって地域の秩序ある整備と公共の福祉の増進に資することを目的とする」―。まちづくりを推進するため、当該自治体に土地の優先取得権を与えていたのである。

 

 「多額の費用がかかるため、当市がただちに当該土地全部を取得するのは無理。利用目的がはっきりしない案件に貴重な税金を投入することはできない」―。その年のクリスマスイブ、市民はこんな縁起でもないプレゼントに腰を抜かした。当時の譲渡価格はわずか百万円だったが、建物の解体費用に莫大な費用が見積もられていた。当該跡地が立地適正化計画(都市機能誘導区域)の適用外で、国の優遇措置を受けられないというのが取得断念の真相だったことが後で分かった。あれから早や10年、まちのど真ん中にはいまも瓦礫(がれき)の荒野と化した廃墟が無惨な姿をさらし続けている。

 

 「絵に描いた餅を示すことはしない」―。上田市長は「駅橋上化(東西自由通路)」事業に際し、その将来ビジョンを示すことをかたくなに拒み続けた。「国の有利な融資制度を利用して、いま出来ることをやるのが首長に課せられた使命だ。評価は将来世代に委ねるべきだ」という論理は一面、その通りであろう。しかし、私には病院の移転新築に当たって、例えば「交流人口80万人」などという“大風呂敷”(つまりは「絵に描いた餅」)を広げ過ぎたことに懲(こ)りたからだろうと勝手に推測している。そもそも、グランドデザイン(青写真)の伴わない公共事業には”眉唾もの”が多いことは過去の事例が教えている。

 

 “城跡エレジー”(花巻城哀歌)にむせび泣いているうちにふと、こんな気持ちにさせられた。「私たち市民は結局、上田“迷走劇”という自作自演に踊らされてきただけではなかったのか」―。ひと言でいうと、その「詐術」(ウソ)にだまされたということである。

 

 

 

 

 

(写真は構造物の一部が放置されたままの新興跡地。この一角に一時期、猛毒のPCBが不法に保管されていた=花巻市御田屋町で)

 

 

 

 

<「詐術」の事例研究…新図書館立地の“ウソ”>

 

 

●「(町なか=中心拠点を維持・存続していくために)生涯学園都市会館(まなび学園)周辺への図書館(複合)の移転・整備事業」(花巻市立地適正化計画、2016年6月)

●「(立地)候補地を数箇所選定した上で、基本計画において場所を定める」(新花巻図書館整備基本構想、2017年8月)

●「JR花巻駅前のスポーツ用品店用地(JR所有)に50年間の定期借地権を設定した『賃貸住宅付き図書館』構想が突然、公表」(「新花巻図書館複合施設整備事業構想」、2020年1月。同年11月に賃貸住宅付きの部分は撤回)

●「JR花巻駅前のスポーツ用品店用地を第1候補とし、土地取得交渉に入る」(市長行政報告、2022年9月)

 

 新図書館の立地場所が当初の「まなび学園周辺(病院跡地を含む)」から一転、「JR花巻駅前」に変更された経緯について、当局側からの説明は一切ない。この闇の部分にこそ、上田流「詐術」(ウソ)が隠されている。

 

 そのウソを読み解くヒント~①花巻駅橋上化と新図書館の駅前立地に要する総事業費は合わせてざっと、100億円と見積もられている。だから当然、”利権”が群がる。この二つの事業を受注できるのはJR側が指名する市内の有力企業11社に限定されており、勢い「利害」関係が先行する、②さらに、この二つの事業は表向きは「別物(の事業)」と言われてきたが、実際は秘密裏に「ワンセット」事業として、構想されてきた。駅前の「賑わい」創出を旗印に掲げる上田市政にとっては、そのどちらが欠けてもそれが達成できないことは目に見えているからである。

 

 同上ブログで言及したように、上田市長自らが駅橋上化についての将来ビジョンを示すことを拒んでいる。というより、出来ないのである。両輪がなければ、車は前に進めない。両翼がなければ、飛行機は墜落するー。つまり、図書館とセットでなければ、二つの事業の相乗効果による「賑わい」創出が水泡に帰すことは自身が一番、分かっているはずである。それゆえに今度は「若い世代は駅前を希望している」などという”世論誘導”をしながら、駅前立地を強行しようというハラのように見える。

 

 8年前、「花巻市立地適正化計画」で新図書館の立地場所として明記された「まなび学園周辺」には広大な敷地を有する旧総合花巻病院跡地がある。病棟群が撤去された跡地こそが「文教地区」にふさわしいという市民の声がわき起こったのは当然である。さらに、この年度末に当該跡地は正式に「市有地」として登録された。

 

 それなのになぜ、「駅前立地」にこだわり続けるのか。答えは簡単。つまりは最初から、JR主導型の”出来レース”だったというのが、上田流「詐術」のからくりである。「駅前活性化」(表)と「利権」(裏)…表裏をなすコインはかくして、素知らぬ顔で市中に出回ることになる。「ウソから出たマコト」にだまされてはならない。(詳細な経緯については、当ブログの関係記事を参照)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「非公開」議員説明会にメディアからも厳しい批判…「二元代表制」を危ぶむ声も~市民の「知る権利」はどこに!!??

  • 「非公開」議員説明会にメディアからも厳しい批判…「二元代表制」を危ぶむ声も~市民の「知る権利」はどこに!!??

 

 今月22日の花巻市議会臨時議会に先立つ議員説明会が「非公開」になったことについては26日付当ブログ(追記)で触れたが、その内容がひとりの議員の議会報告「てる省の市政ニュース」で明らかにされた。当局側の”秘密主義”に抵抗する形で、市民に対して情報公開してくれたことをありがたく思う。社民クラブ(社民党系=3人)に所属する照井省三議員で、案件となった総合花巻病院に対する財政支援の資料や質疑などが詳しく掲載されている(コメント欄に裏面)

 

 これを見ると、病院側の経営状況が予想以上に悪化していることが分かる。このため、当局側が市民感情に配慮して「非公開」にしたものと思われる。しかし、市政運営はあくまで、市民に開かれたものでなければならない。とりわけ、予算(税金)をめぐる審議にはその”負の部分”を含めた透明性こそが求められる。取材陣も締め出すという異常事態に上田「強権」支配―ここに極まれりといった感がある。

 

 ところで、照井議員は上田東一市長の後援会事務局長の肩書も持っている。「あら不思議」と思ったのは、その肩書の所以(ゆえん)である。もしかして、ご乱心の殿に対する”反旗”!?とりあえず、密室政治の一端を垣間見せてくれたことには謝々。とはいえ、市民参画を声高に叫ぶ議会側が「非公開」の軍門に下ったとすれば……市民に背を向けたという意味でことは重大である。非公開の「是非」論争につながることを願いたい。

 

 

 

 

《追記ー1》~「記者の目」の鋭い視点

 

 

  今回の総合花巻病院への財政支援について、岩手日報花巻支局の山本直樹記者がコラム「記者の目」(3月29日付)で、当局側の議会無視の姿勢を厳しく批判した。ということは「無視された」議会側のあり方にも一石を投じたということである。つまり、「二元代表制」の危機に対する警告でもある。以下にその部分を転載させていただく。

 

 「…急転直下の臨時議会前、内容が告知されないまま開かれた市議会議員説明会は非公開。密室で議論がほぼ尽くされたのか、その後の議会は、淡々とした説明になった。24年度は、長年懸案とされてきた新図書館建設候補地の選考について重要局面を迎える。今回の市当局の対応は、市政課題への姿勢に疑問を残した。財源を生かした大胆な政策は必要だが、市民への説明責任を怠ってはならない」

 

 

《追記―2》~議員説明会の文書開示を請求

 

 

  本日(29日)付で、総合花巻病院に対する財政支援に関わる議員説明会(3月22日開催)に提出された説明資料と会議録の写し。「非公開」という理由で文書開示ができないという場合は、その「非公開」の理由と「公開ー非公開」の基準の根拠の明示を求める―という内容の行政文書開示請求を当局側に提出した。

 

 

 

《追記―3》~花巻市議会基本条例(平成22年6月制定)をおさらいしよう

 

 

(議会の活動原則=第4条)

1、議会は、市政の監視及び評価並びに政策立案及び政策提言を行う機能が十分発揮 できるよう、円滑かつ効率的な運営に努めなければならない。

2 、議会は、公正性及び透明性を確保し、市民に開かれた運営に努めなければならない。

3、 議会は、市民の多様な意見を的確に把握し、市政に反映させるための運営に努めなければならない。

 

(議員の活動原則=第5条)

1、議員は、議会が言論の場であること及び合議制の機関であることを認識し、議員相互間の自由な討議を尊重しなければならない。

2、 議員は、市政全般についての課題及び市民の意見、要望等を的確に把握するとともに、 自己の能力を高める不断の研さんに努め、市民の代表としての自覚を持って活動をしなければならない。

3、 議員は、議会の構成員として、市民全体の福祉の向上を目指して活動しなければなら ない。

 

 

 

《追記―4》~花巻市議会議員政治倫理要綱(平成26年3月告示)をおさらいしよう

 

 

(政治倫理基準=第3条)

議員は、次に掲げる政治倫理基準を遵守しなければならない。

 

(1) 市民の代表者として、その品位と名誉を損なう一切の行為を慎み、その職務に関し不正の疑惑をもたれるおそれのある行為をしないこと。

(2) 市民の代表者として、常にその人格と倫理の向上に努め、その権限又は地位を利用して、不正に影響力を行使し、又は金品を授受しないこと。

 

2 議員は、政治倫理基準に反する事実があるとの疑惑をもたれたときは、自ら誠実な態度をもって疑惑の解明に当たるとともに、その責任を明らかにしなければならない

 

 

 

 

 

 

 

 

どうなる?「いのちと健康」(中)…強引な行政主導と泡沫(うたかた)の夢!!??

  • どうなる?「いのちと健康」(中)…強引な行政主導と泡沫(うたかた)の夢!!??

 

 「総合花巻病院の移転整備に向けた検討が始まっています」(平成27年11月15日発行)―。足掛け10年ほども前の「広報はなまき」の1面にこんな大見出しがおどった。「移転整備検討委員会」(13人)の筆頭には上田東一市長の名前も。次号(12月1日発行)には1面と2面のぶち抜きで、完成イメージ図付きの「移転整備基本構想(案)」(以下「旧構想案」)がでかでかと載った。寝耳に水の市民や議員の間には「病院移転の既成事実化がねらいではないのか」という批判が巻き起こった。上田“迷走劇”はこうして、始まった。

 

 旧構想案(平成27年11月策定)は「(病院側の)施設の老朽化が進んでいることから、厚生病院跡地への建て替えを検討している」とした上で、高らかにこう謳っていた。「新病院や高等看護専門学校、認可保育所などの複合的機能の展開により、移転地において年間80万人が行き交うにぎわいを創出。市中心部における地域活性化につなげていきます」―。総事業費は約99億円で、うち当市への補助金要請は約30億円。過去最大級のこの公金支出をめぐって、市民の意見は二分された。

 

 「病院側からの要請なのか、それとも行政主導なのか」―。このプロジェクトの是非をめぐる論争のさ中、旧構想案が公表された直後の議員説明会で病院側から突然、“爆弾発言”が飛び出した。「移転整備の打診は市側からあった。こうした打診がなかったら、現在地で医療業務を続ける予定だった。お膳立ては全部、行政側が用意した。病院としてそれに乗っただけだ」―

 

 取材を進めるうちに病院側ではすでに、病棟の耐震工事や地下水利用工事、電子カルテなど各種システム改善、非常用発電設備の設置などの長寿命化に備えた準備を進めていたことが分かつた。さらに、前市政時代の平成22年度には耐震化補助金として2,100万円を支出していた。こうした各種補助金の返還免除という“禁じ手”まで駆使した「移転・新築」構想は早くも1年余りで座礁に乗り上げた。資金繰りが追い付かなかったためである。 

 

 当初の旧構想案に変わって、登場したのが「移転新築整備基本構想」(平成28年12月策定=以下「新構想案」)である。「どうなる?(上)」で詳述したように、新構想案では総事業費が約86億9千万円に圧縮され、制度補助金の負担分を含めた市側の補助金も19億7500万円に減額された。その結果、「80万人」の交流人口の創出は泡沫の夢と消え、医療の生命線である診療科目も小児科や皮膚科、眼科などの開設が見送られた。さらに、呼び物だった多目的ホール(234席)やオーガニックレストランの設置も計画倒れに終わった。“助産所”事件と呼ばれる出来事があった。 

 

 「助産所は2階建て(延べ154平方メートル)で1日2人の利用者に対し、産婦人科医や助産師など5人が対応に当たる」―。旧構想案でこう明記されていた記述が新構想案ではそっくり削除され、こう書き替えられた。「将来的に産婦人科医師や助産師の体制が整った際には出産の受け入れを検討する。それまでは助産師外来を開設し、出産前後の妊婦指導を行えるようにし、同時に産後ケア施設の開設も検討する」―。新病院のオープンから丸4年。上記の“公約”はすべて反故(ほご)にされ、「出産」受難は解消されないまま、現在に至っている。

 

 「一方では医師の確保は大変、至難のわざでございます」(平成27年3月定例会会議録)―。病院の「移転・新築」問題に当初から携わった当時の佐々木忍健康福祉部長(のちに副市長、その後退職)は在任中、こう言い続けた。「仏作って、魂入れず:」…今回の財政支援の要因は元を正せば、「魂(医療本体)より仏(ハコモノ)」を優先させた上田市政の強引な政治手法に起因すると言わざるを得ない。22日開催の市議会臨時会で上田市長は今回の事態の責任をすべて、病院側に転嫁(てんか)する発言を繰り返した。果たして、そうなのか。胸に手を当てて考えてほしいと思う。思い当たるフシがあるのではないか。

 

 

 

(写真は総合花巻病院の受付ロビー。財政支援のニュースに不安を訴える人も=花巻市御田屋町で)

 

 

 

《追記》~議員説明会が非公開に!?

 

 総合花巻病院に対する財政支援を審議する臨時会に先立ち、22日午前9時から議員説明会が開催されたことが25日付市HPで告知された。「本説明会は非公開のため、説明資料及び会議録は掲載しません」とあった。よほど、市民に知られたくないことでもあるのか。それにしても、選挙を通じて市民の負託を受けたはずの市議会側に“かん口令”を敷くとは。こんな”秘密主義”に抗議をしない議会も議会。あるベテラン議員がポロリともらした。「まるで、”ガス抜き”みたいな雰囲気だった」。2024年3月22日ー相互に監視し合うという「二元代表制」はここに死した。自らの使命を放棄したという意味では、ともに「自死」である。

 

 

 

 

 

 

どうなる?「いのちと健康」(上)…総合花巻病院に巨額の財政支援~「財政民主主義」が破綻の危機に!!??

  • どうなる?「いのちと健康」(上)…総合花巻病院に巨額の財政支援~「財政民主主義」が破綻の危機に!!??

 

 花巻市議会の臨時会が22日開かれ、公益財団法人「総合花巻病院」(大島俊克理事長)に対し、総額5億円の補助金を支出する補正予算案が上程された。さらに、同病院に対して抵当権を設定している金融団が総額6億円の債権放棄に踏み切ることも明らかになった(22日付市HP参照)。関係者によると、同病院は2年連続で債務超過に陥り、今年度末には9億7000万円に達する見込みだという。議員側からは病院側の経営状況や今後の見通しなどについての質問が出たが、「市民の病院」としての位置づけを優先させるべきだとして、財政支援の予算案は全会一致で可決された。

 

 上田東一市長は質疑の中で「2期連続で純資産額が300万円未満になると、自動的に『公益財団』としての資格が消滅する。その期限が年度末に迫っており、今回はそれを回避するための緊急的な措置。この種の支援はこれを最後にしたい。そのためにも病院側には理事会の構成の見直しや経営改革を求めていきたい。将来、市立病院化する考えはない」と答弁。病院側が本年中をメドに「財団法人」から(300万円の縛りがない)「社団法人」への機構改革を検討していることを明らかにした。

 

 同病院が現在地にオープンしたのは2020(令和2)年3月2日。当時の病院側の「移転新築基本構想」(平成28年12月)によると、総工費は86億9千万円で、うち市側の補助金は19億7500万円。この内訳は市単独補助が12億円で、残りの7億7500万円は国の制度利用に伴う市負担分となっている。また、病院側の自己資金はわずかに1億円で、金融団からの借入金が30億3千万にのぼっている。つまり、自己資金をほとんど持たないまま、多額の借金に頼りながらの多難な“船出”(見切り発車)だったことがこの数字からも分かる。これにコロナ禍などが追い打ちをかけ、経営を直撃する形になった。

 

 一方、「公益財団法人」である病院側の管理執行体制は10人以内で構成する「理事会」が担っている。「市民に開かれた病院」を目指すとして、この中には医療福祉関係の有識者や行政関係者も含まれ、当市の副市長(当時)もオープン前の2019(令和元年)10月から理事職にあり、現在は八重樫和彦副市長がその職を継いでいる。

 

 直近の登記簿謄本(土地、建物)によると、金融団(4行)はオープン1年後の2021(令和3)年3月29日付で同病院に対し、総額75億円にのぼる抵当権を設定。その債権額は当初の借入額の2倍以上に達している。このことからも“綱渡り”を覚悟の上で、厳しい運営を続けてきたことがうかがわれる。この間、八重樫副市長は「理事」として、その経営状況などを知る立場にあり、片や経営改善などにも関与しなければならない立ち位置に置かれていたことになる。こうした“二足のわらじ”の功罪も改めて問われなければならない。この点について、上田市長は「お目付け役としての役割を期待したが、十分に果たせたとは思っていない」として、今後の対応に含みを持たせた。

 

 ところで、私が今回の臨時会の招集を知ったのは前日の21日夕に掲載されたHP上の告知だった。十分な審議の余地を与えないという「上田流」議会運営の常とう手段だが、巨額な公金つまり税金に関わる案件が安易な形で「いのちと健康」という大義名分と引き換えに、まるでそのことを”隠れ蓑”(みの)にしたかのようなやり方に危惧を抱いた。多くの市民も不信感を募らせており、議会中継を観たある市民はさっそく、X(旧ツイッタ‐)に書き込んだ。「市民の皆さん、花巻病院の案件で議会のライブ中継が始まっています。すごい内容になっています。病院の経営状態に無関心ではいられない内容です」。また、別の市民は「税金の“私物化”ではないか」と切って捨てた。その一方で、当事者であるベテラン議員は「議会の当日にいきなり、議案が提出されても精査する時間すらない」と不満をぶちまけた。

 

 上田市政の市民不在と議会軽視は今に始まったことではない。当該病院の「移転・新築」構想が公になったのは約10年前の「広報はなまき」の一方的な告知記事だった。また、住宅付き図書館の「駅前立地」構想が突然、青天の霹靂(へきれき)のように降ってわいたのは記憶に新しい。「駅前か病院跡地か」という立地論争が続く中、市側が新たにJR用地の取得を強行しようとする姿勢にも「これこそが税金の二重払い〈無駄遣い〉ではないのか」という市民の批判が高まっている。

 

 私たちの生活を支える財源のほとんどは税金である。だからこそ、審議を十分に尽くした上で、議会の議決を得ることが「財政民主主義」(憲法第83条)の基本なのである。上田市長は事あるごとに「税金の無駄使いは許されない」と繰り返してきた。この言葉を今こそ、おのれに問い返してほしいと思う。上田“迷走劇”の実態については随時、報告したい。

 

 

 

 

(写真はオープンから丸4年を迎えた総合花巻病院=花巻市御田屋町で)