《特記ー1》~花巻東高校の快進撃と城跡無残!!??
「みちのくの/国原広く/見晴るかす/高き城跡…」―。選抜高校野球大会でベスト8へと快進撃を続ける花巻東高校の大活躍に声を枯らす今日この頃。その歓喜の気持ちも校旗掲揚の際に歌われる校歌を聞いた途端、消え失せてしまう。同校の前身は冒頭の校歌にある「高き城跡」に隣接して建っていた。その花巻城址には桜の名所として知られた「東公園」があり、校名はそれに由来するとも言われる。いまその城跡は、瓦礫(がれき)が山と積まれた廃墟と化している。元凶は市政を担う上田東一市長である。まちのど真ん中に無残な姿をさらけ出して、足かけ10年。初戦を観戦したという上田市長はどんな気持ちで、この校歌に耳を傾けたのであろうか。
そして、この汚名を返上せんと頑張っているのが同校が輩出した菊池雄星や大谷翔平ら若き大リーガーたちである。郷土の童話作家、宮沢賢治は「イーハトヴとは…実在したドリームランドとしての日本岩手県である」(『注文の多い料理店』広告チラシ)と書いている。彼らは日本岩手県を飛び出し、世界中にその夢を届け続けている。ガンバレ、東高球児たち。「師よ学友よ/この学び舎に/先達の教えを刻み」…校歌はこう閉じられている。”東魂”(とうこん=闘魂)におんぶにだっこの上田(東一)市政よ、あゝ無情…
《特記―2》~東高球児よ、夢をありがとう!!??
16年ぶりのベスト4は果たせなかったが、その溌剌プレーに力と夢を授かった。本当にありがとう。ところで、件(くだん)の上田東一市長はといえば、この日の市長日程(公務)に「東高応援」とあるので、甲子園球場で声援を送ったことだろう。熱戦が繰り広げられているさ中の午前9時42分、花巻市は暴風警報の発令に伴い、トップ不在のまま、市災害警戒本部を設置した(午後6時10分に廃止)。この暴風の中、イーハトーブへの帰還は如何や…
大会直前、上田市長は「未来を担う若者世代のために」と懸案だった新図書館の立地場所をJR花巻駅前に最終決定した。その言や良しとしよう。だったら、尚更のこと…。「みちのくの/国原広く/見晴るかす/高き城跡…」―。この誇り高き校歌に歌われる「城跡」(旧新興製作所跡地)の無惨な姿を一刻も早く修復すべきではないのか。若者世代の先陣を切り拓いてくれた東高球児の活躍に報いるためにも…
(注:上田市長が野球観戦をしたこの日、同市消防本部の20代の男性消防士が酒気帯び運転の嫌疑で、懲戒免職に処せられたことがHP上に告知された。野球応援をとやかく言うつもりはないが、あなたが口癖のように言う「コンプライアンス」(法令遵守)は一体、どこに。自身のリスク管理を含め、足元の「ガバナンス」(内部規律)の確立も忘れないでほしい)
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上田東一市長は2014(平成26)年に初当選した際、「深沢晟雄 (ふかさわまさお )」と「新渡戸稲造」の二人の先人を尊敬する人物として、挙げていた。旧沢内村(現西和賀町)の2代目の深沢村長は昭和35(1960)年、65歳以上の医療費の無料化を実現。翌年には1歳未満の乳児の医療費を無料化し、さらに無料の対象となる高齢者の年齢を60歳まで引き下げた。そして、2年後には当時の日本の地方自治体としては初めて、乳児死亡率0%という偉業を達成した。「生命行政」を掲げる深沢村長は国や県の干渉に対して、こう喝破した。
「国民健康保険法に違反するかもしれないが、憲法違反にはなりませんよ。憲法が保証している健康で文化的な生活すらできない国民がたくさんいる。訴えるならそれも結構、最高裁まで争います。本来国民の生命を守るのは国の責任です。しかし国がやらないのなら私がやりましょう。国は後からついてきますよ」(及川和男著『村長ありき』)―。コンプライアンス(法令遵守)の重視をことあるごとに口にしながら、それに背を向け続けた「Mr.PO」とは雲泥の差である。たとえば―
国への陳情要望活動で政府高官と会ったことを必要以上に議会で語ったり、立地適正化計画を全国3番目に策定して国の覚えがめでたいことを自慢気に話したり、補助金や地方交付税を国から多くもらえることを是とする国の補助金行政に誘導された財政運営に胸を張ったかと思えば、ふるさと納税の好調は他の地方公共団体の税収を収奪している現実があるのに、その金額の多寡(たか)を声高に口にするなど国の言うがままの“優等生”たらんとする「上田」市政と、住民に寄り添った「深沢」村政とは天と地ほどの対極にある。ところで、一方の新渡戸の名著『武士道』にはこんな一節がある。
「おのれの良心を主君の気まぐれや酔狂、思いつきなどの犠牲(いけにえ)にするものに対しては、武士道の評価はきわめて厳しかった。そのような者は『佞臣』(ねいしん)すなわち無節操なへつらいをもって、主君の機嫌をとる者、あるいは『寵臣』(ちょうしん)すなわち奴隷のごとき追従の手段を弄して、主君の意を迎えようとする者として軽蔑された」(奈良本辰也・訳解説)―
新花巻図書館の迷走劇を見るにつけ、私は主君を「市長」、佞臣や寵臣をその取り巻きや一部の「職員」に置き換えて、この文章を読むようになっていた。市長のトップダウンをそのまま、口移しのようにオウム返しする担当部署の語り口がこの文章とピッタリ重なったからである。
そしていま、「上田」主導で移転・新築が強行された総合花巻病院は新たな巨額な財政支援にもかかわらず、将来に経営不安を残したままである。他方の新図書館号はといえば民意を排除する形で、終着のJR花巻駅前にやっとこさ、到着したようである。しかし、そこにはかつて「師」と仰いだはずの二人の先人の面影はみじんもない。それどころか、恩を仇で返すような豹変ぶりである。
5年余りにわたった「イーハトーブ“図書館”」の発端は元をただせば、ある意味で図書館に最も親和性のある「賢治」をその空間にどう位置付けるか。近年ますます、“賢治精神”の現代的な意義が強調される中で、賢治の一切合財を集めた「世界一の賢治図書館」を、私はひそかに夢見てきたのだった。生誕地のど真ん中で、賢治を“実験”してみたいと…。結果として、それがインバウンド需要を喚起し、国内だけでなく、世界中にから賢治ファンを呼び寄せる契機になるのではないか。「世界で行きたい街」の第2位にノミネートされた盛岡に見習い、「世界で一番、行きたい図書館」を目指して…。こんな夢物語も結局は「Mr.PO」とは水と油だったというわけである。
今回改めて『なめとこ山の熊』をじっくり、読み直してみた。この物語は互いに弔(とむら)いを尽くし合うことによって、小十郎とクマたちとの間で初めて、“和解”が成立したことを教えているのではないか。そしてまた、その「生と死」の哲学の深淵から伝わってくるのは、「戦争」という人間同士の醜い殺し合いの無意味さへの警告のようにも感じた。「北ニケンクヮヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ」…あの「雨ニモマケズ」の精神とどこかで通底していると考えるのは“深読み”すぎるだろうか。
●ぴしゃというように鉄砲の音が小十郎に聞えた。ところが熊は少しも倒れないで嵐(あらし)のように黒くゆらいでやって来たようだった。犬がその足もとに噛み付いた。と思うと小十郎はがあんと頭が鳴ってまわりがいちめんまっ青になった。それから遠くでこう言うことばを聞いた。「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」。もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。
●それから三日目の晩だった。まるで氷の玉のような月がそらにかかっていた。雪は青白く明るく水は燐光(りんこう)をあげた。すばるや参(しん)の星が緑や橙(だいだい)にちらちらして呼吸をするように見えた。その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環(わ)になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸(しがい)が半分座ったようになって置かれていた…
「日ハ君臨シ カガヤキハ/白金ノアメ ソソギタリ/ワレラハ黒キ ツチニ俯シ/マコトノクサノ タネマケリ」(花巻農学校精神歌)―。“桑っこ大学”の愛称で呼ばれた旧稗貫農学校の教師だった賢治は当時、校歌を持たなかった教え子たちのためにこの歌を作詞した。この所縁(ゆかり)の地こそが図書館の建設候補地にひとつである旧花巻病院跡地である。私にもし…という仮定が許されるなら、「マコトノクサ」のタネのひと粒が蒔かれたこの地に、賢治精神を満載した「IHATOV・LIBRARY」(「まるごと賢治」図書館)をためらうことなく、建てていたはずである。花巻市民の不幸はその施工主がたまたま、そうした感性を持ち合わせない、まるで不動産業を兼業するような首長だったということと、その人物を「佞臣」あるいは「寵臣」さながらに無条件で支持する”忖度”議員が多数派を占めているということであろう。
午前7時、いまでは“市民歌”となった精神歌が時報代わりのチャイムとして、市庁舎から四方に流れる。「ケハシキタビノ ナカニシテ/ワレラヒカリノ ミチヲフム」…当ブログのタイトル「ヒカリノミチ通信」はその中の一節からの借用である。そのブログの内容を「ウソ」呼ばわりして憚(はばか)らなかった「Mr.PO」に対する、これが最後の返書である。
(写真は3選を果たし、バンザイする上田市長=2022年1月23日、花巻市内の選挙事務所で。インターネット上に公開の写真から)
《追記ー1》~特別委等の設置陳情は不採択へ
花巻市議会3月定例会最終日の19日、「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」(瀧成子代表)から出されていた「新花巻図書館整備特別委員会等の設置を求める」―陳情に関する採決が行われ、議長を除いた反対13人、賛成10人で不採択となった。付託先の議会運営委員会でいったん採択された陳情は僅差で逆転された。会派別の賛否の内訳は反対が明和会8人、社民クラブ3人、公明党2人で、賛成ははなまき市民クラブ4人、緑の風4人、共産党花巻市議団3人。
それぞれ3人の議員が賛成と反対の討論を行ったが、賛成討論の中では二元代表制の観点から「図書館問題に対する議員間の自由討議を怠るなど議会側の取り組みにも反省が求められる」といった意見が述べられた。一方、反対討論に立ったある議員は「図書館問題に関する一般質問は36回にも及んでおり、議論は尽くされたと思う」と語った。しかし、件の議員が所属する最大会派の「明和会」を含め、これらの反対議員が図書館問題に関連して、質問に立った姿を私は寡聞にして見たことがない。
いずれ、これから進められる基本計画や実施計画の策定に当たり、議会側がその使命をきちんと発揮するかどうか―市民の監視の目が光っていることを忘れてはなるまい。議会側はいま、上田「強権」支配の軍門に下るかどうかの瀬戸際に立たされている。
《追記ー2》~民意喪失
「議会傍聴者」を名乗る方から、以下のような長文のコメントが寄せられた。市側の強引とも言える新図書館の「駅前立地」の方針決定に市民の間には大きな動揺が走り、当方にもその理由を問う声が相次いでいる。そんな折、その背景を的確に分析したこのコメントは混迷の度を極める図書館問題への認識を促す内容になっている。以下に全文を掲載する。
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新花巻図書館の建設を巡って、市の将来を思う市民から提出されていた陳情を市議会が採択しなかったことは、反対に回った市議たちによって千載一遇の機会を失ったと後世、言われることだろう。全国あちこちで物価高騰により、公共工事の費用が当初の設計をはるかに超え、入札不調はもちろんのこと、計画そのものを見直さなければならない状況があるのは枚挙にいとまがない。
新図書館はようやくこれから、基本計画策定、基本設計、実施設計と工事実施までの道のりはまだまだはるかに遠い。今の経済情勢からすると、実施設計が完成した段階での事業費は、現在の見立てよりもはるかに高額になっていて、更に工事入札の頃には更に増額になっていることだろう。今回、新図書館計画等に市議会の参画があり、将来の問題を共に検討できる場があれば、今後予想される課題に対して効果的に対応できる術を検討できたことだろう。「議会は、市民の多様な意見を的確に把握し、市政に反映させるための運営に努めなければならない」(花巻市議会基本条例第4条第3項)―。市議会自ら定めたこの条例はただのお題目としか響かない。
また反対討論の中で、ある市議が署名活動団体の市民が次回選挙での投票行動について圧力をかけるかのような発言があったことを議場で披露していたが、民主主義の中で投票行動は主権のある有権者の権利であり、自由であることを完全に見落としているばかりか、そのような発言をすることによって、市民の署名活動を貶めようとしているのを感じる。陳情の内容を審査するべき議会の場において、論点をすりかえている発言と感じた。その発言者がいわゆる労働争議の中で弄してきた、他者に圧力をかけるような言動を思うと複雑な気持ちであるが、当のご本人には首尾一貫しているのだろう。
《追記―3》~「沖縄戦80年」を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。そのまま、転載させていただく。
「増子さんのブログで伝わること・・・今、花巻で起きていることが太平洋戦争末期、特に沖縄戦において起きているように思えること。日本軍のプロパガンダに支配されたことと似たような状況が市の広報で行われていないだろうか。新図書館問題のことである。また、太平洋戦争当時と同じく、現代の報道機関も事実を伝えていないこと。東条英機が定めた戦陣訓に基づいておびただしい国民が特にも沖縄で殺された。勘違いしたトップの指令はいつも普通の市民にとって悲惨である。が、利権がある誰かにとっては最高であろう。今の花巻市がそうであろう」